花田欣也のすばらしきトンネル道

普段何気なく通るトンネルだが、日本全国には道路トンネルが約11,000本、鉄道トンネルは約5,000本あるといわれている。とくに各地の旧道や廃線跡などには、かつて地域交通や産業の重要なルートとなっていた歴史を秘めながら、今は通る人も少なく山中にひっそりと佇んでいるトンネルが多く存在する。
そんな全国のトンネルの中から自治体や事業者に通行を許可され、「安全・安心」に見る・歩くことができるトンネルをその魅力とともに紹介していこう。

今回紹介するのは、滋賀県長浜市から福井県敦賀市を経て、福井県南越前町の今庄・湯尾にかけて貫かれる旧北陸線トンネル群。厳しい峠越えの歴史が刻まれているこれらのトンネルは、今も地域の公道として活用されている。

※トンネルは現地状況により通行できない場合もあります。事前に地元の関係先(自治体の観光課や観光協会など)に確認されると安心です。

文・写真(特記以外)/花田欣也

花田欣也

トンネルツーリズムプランナー(トンネル探究家)、総務省 地域力創造アドバイザー、一般財団法人地域活性化センター フェロー
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福井県敦賀市・南越前町・滋賀県長浜市

旧北陸線トンネル群
~日本海ルートを切り拓いた
明治のトンネル群

前回は東の碓氷峠のトンネル群を紹介したが、今回は西の鉄道廃線トンネルの横綱として、旧北陸線トンネル群を挙げたい。

敦賀の港は古くから北前船による交易の拠点だったが、陸路は急峻な峠道と冬期の豪雪に阻まれ、かつて上杉謙信も上洛を果たせなかったという。明治に入り、関西から北陸へ通じる鉄道ルートの開通は国家プロジェクトとして進められた。

北陸旧線のトンネル群/出典:地理院地図Vectorを加工

柳ヶ瀬トンネルに掲げられていた「萬世永頼」の扁額(上部に嵌められたプレート)は当時の伊藤博文首相の揮毫(きごう)によるもので、現在長浜鉄道スクエアに展示されている。その後の北陸本線の開通により日本海沿いの鉄道ルートが確保され、特に物資輸送力は飛躍的に高まった。そして今、北陸新幹線の敦賀延伸工事が進められており、開通後には明治、昭和、令和の3世代の北陸トンネルを通れることになる。

日本遺産認定ストーリー「海を越えた鉄道~世界へつながる鉄路のキセキ~」の構成文化財でもある旧北陸線トンネル群には、敦賀から今庄にかけて、現在の北陸トンネル開通後の旧線(廃線)跡に11本のトンネルがあり、今も地域の公道として活用されている。

長浜から敦賀へ
~現存する日本最古の鉄道
トンネルを抜けて

長浜から敦賀にかけては柳ヶ瀬、小刀根(ことね)両トンネルが現存し、柳ヶ瀬トンネルは自動車専用道路として現在も使用されている。

現存する鉄道トンネルで全国で最古の小刀根トンネル

  

小刀根トンネルは1881(明治14)年に建造され、現存する鉄道トンネルで日本最古。ポータルのアーチ環のトップ部分にある要石に、「明治14年」と刻まれているのは当時の貴重な遺構だ。この区間の鉄道開通により、敦賀港からウラジオストックまで船で渡り、シベリア鉄道でヨーロッパまで通じる「欧亜国際連絡列車」が走ることになった。

                   

小刀根トンネルの年号入り要石

これらのトンネル群も、建設時の苦労はもとより、開通後も最大25パーミルの峠越えがあり、さらに豪雪地でもあったため、蒸気機関車の運行は命がけだった。碓氷峠と違って特殊な軌道を使用せず、この峠の区間は当時の鉄道の勾配限界とも言われた。

残念なことに蒸気機関車の空転事故も起きたが、その後「敦賀式」と称される集煙装置を煙突に取り付けた蒸気機関車が考案され、峠のピーク付近の柳ヶ瀬トンネルの入口に巨大な排煙装置と隧道幕を設けて煤煙から乗務員たちの命を守った。これらの仕組みはその後全国のトンネルの多い急勾配路線でも採用されることになった。

北陸本線(長浜~敦賀間旧線)の峠越え区間/1932(昭和7)年頃

敦賀から今庄へ
~山中越えのトンネル群

樫曲トンネル

敦賀から今庄にかけての“山中越え”のトンネル訪問のアクセス方法は、並行する二次交通が少ないため、やや健脚向けだが敦賀駅などにある「つるがシェアサイクル」の電動機付き自転車を借りることが考えられる。タクシー利用は無難だが、マイカーの場合、トンネル周辺に駐車スペースが少ないので注意を要する。

この区間に1893(明治26)年~1896(明治29)年に開通した旧北陸線のトンネル群が連続するが、シェアサイクルの乗り捨てが出来ないため、その日の天候次第で適宜折り返すなど無理のない行程が望ましい。

北陸本線(敦賀~今庄間旧線)の”山中越え”区間/1932(昭和7)年頃

見どころはまず、敦賀から最初の樫曲(かしまがり)トンネル(87m)。短いトンネルだが、総煉瓦造りのポータルは威厳に溢れ、「これから峠越えが始まる」関所のようにも感じる。内部ではカンテラ風の橙色の照明が点灯し、思わず写真を撮りたくなる。

葉原築堤

その後、しばらく走ると鉄道ファンの撮影地として有名だった葉原築堤の上を通り、やがて979mの長い葉原トンネルが見えてくる。このトンネルも含め、単線のトンネルであったため車の交互通行が出来ないので、トンネル前には珍しい待ち時間表示付きの信号も見られる。対向車が来ないタイミングがわかるので、入口付近を撮影するのにも便利だ。

葉原トンネル

旧線当時、夕陽の美しい“名車窓”としても知られた杉津(すいづ)を通り、今も廃線跡から敦賀湾の景観を望むことができる。現在の北陸自動車道・杉津PAのあたりに杉津駅があったという。その先はトンネルに次ぐトンネルが展開し、筆者の好きな“トンネルinトンネルinトンネル”の好スポットも現れる。

杉津の景観

曲谷トンネル付近の“トンネルinトンネルinトンネル”

そして、筆者一押しの曲谷(まがりだに)トンネル(260m)は、そのトンネルが連続する区間にある。敦賀側からトンネルに入ってみると、左に急カーブを描いており、照明が煉瓦のトンネル内をグリーンに照らし、これが絶妙。「どこへ行ってしまうんだろう感、満載!」のトンネルだ。アニメ「千と千尋の神隠し」の、あのトンネルも思い出してしまう。

曲谷トンネル

サミットの山中トンネルから
スイッチバック跡へ

山中トンネル

圧巻は山中峠の分水嶺(サミット)にある山中トンネル。1,170mもの長いトンネルは明治中期に3年がかりの難工事で開通したが、豪雪地であり、また硬い岩盤のために1日1mも進めないこともあったという。

トンネル内は歩くと約20分かかるが、煉瓦の側壁が果てしなく続き、そっと指を触れてみると蒸気機関車の煤が付く。いくつもの待避溝が煉瓦で頑丈に設けられているが、凍てつく厳冬期など保線員の苦労は並大抵ではなかっただろう。

行き止まりトンネル(山中スイッチバック跡)

山中トンネルを出ると、列車行き違い用のスイッチバック跡が広がり、その先に後年に設けられたロックシェッド(落石・落雪覆い)が残っている。また、戦後貨物の輸送量が増大し、長編成の貨物列車の行き違いに対応するため、トンネルを出て右後方には「行き止まりトンネル」(34m)がある。

自転車を漕いだら、さすがにお腹が減る。敦賀へ戻って新鮮な海の幸を堪能したい。泊まりでゆっくり愉しむこともおすすめだ。

また、今庄駅からタクシーで訪ねる方法もあり、今庄駅には蒸気機関車用の給水タンクと給炭台跡が駅構内に残っている。今庄はかつて蒸気機関車の補機の付け替えが行われた駅で、“鉄道のまち”だった。待ち時間を利用して食された立ち食いそば「今庄そば」は人気を博し、やがてその名は全国に知れ渡ったが、今庄駅の近くで現在も味わえる。

JR今庄駅構内に残る給水タンク、給炭台跡

長浜鉄道スクエア(旧長浜駅舎) 写真:昭文社

往復の際には、長浜鉄道スクエア(現存する日本最古の旧長浜駅舎)に保存されたトンネルの扁額や、明治の鉄道開通当初琵琶湖を大津まで結んでいた連絡船の待合室や駅全体のジオラマなど、貴重な鉄道史の資料も見ておきたい。

※写真提供など協力…敦賀市、南越前町、長浜市

旧北陸線トンネル群

住所
滋賀県長浜市・福井県敦賀市・福井県南越前町(県道、市道などとして現在も使用)

【参考書籍】

・鉄道構造物探見(JTBキャンブックス 小野田滋 著 JTBパブリッシング)

・鉄道廃線跡を歩く 各巻(JTBキャンブックス 宮脇俊三 編著 JTBパブリッシング)