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トップ > 見どころ・レジャー x 秋 > 見どころ・体験 x 秋 > 寺社仏閣・史跡 x 秋 > 城・城址 x 秋
城・城址
ガイドブック編集部が厳選した「日本×秋(9,10,11月)」のおすすめ観光・旅行スポットをご紹介します。美しいアーチ形の石門が残る「知念城跡」、歴史を重ねた史跡に思いをはせる「史跡七戸城跡」、家康が晩年を過ごした静岡のシンボル「駿府城跡」など情報満載。
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61~80 件を表示 / 全 98 件
知念集落の丘上にある、代々の知念按司の居城。自然石を野面積みした古城と、石造文化の粋を集めたアーチ式の新城に分かれる。城内には拝所や火の神の社殿などが残る。
室町時代の初期(14世紀後半)に根城南部第八代城主の南部政光が築城したと伝えられる。戦国時代末の天正19(1591)年に、九戸の戦いにおいて豊臣秀吉軍によって落城した。近世には代官所として利用された。北館曲輪からは中世期の御主殿などの建物跡をはじめ宝物殿なども検出。昭和16(1941)年に国の史跡に指定された。
徳川家康が晩年を過ごした城跡。現在、二の丸と本丸は公園になり、市民の憩いの場となっている。また、東御門と巽櫓、坤櫓は江戸時代の工法を用いて復元。一般公開されている。
権現山にあり、戦国の武将一色詮範父子が築いた城。現在は遺構は残っておらず、石碑が立つのみ。一帯は公園化され、桜や萩などが四季折々に美しい花を咲かせる。
戦国武将浅井長政と妻お市の方の悲話の舞台となった城跡。浅井家の本拠地だった小谷城は豊臣秀吉によって城楼、寺院などが長浜に移され、今は石垣や土塁が残るのみとなっている。
天平5(733)年、蝦夷と出羽国の支配を目的に築かれた秋田城の遺構。当時の工法をそのままに復元された東門は必見だ。全国的にも珍しい奈良時代の古代水洗トイレも発見、復元されている。
高城山の中腹にあった亀田藩主・岩城吉隆の居城を、旧亀田城下町の絵図、見取り図を参考に復元。城内を美術館として平成3年に開館。豪商・佐藤八十八家が親子三代にわたり収集した美術品を収蔵。
かつて後北条氏が築いた逆井城の跡を整備。物見櫓、主殿、門などを復元し、戦国時代の城の姿をリアルに再現している。歴史公園として、住民の憩いの場になっている。
天文2(1533)年に蒲生氏郷の祖父定秀が築城した。慶長2(1597)年に廃城となり、現在は石垣の一部が残る。日野川ダム公園内にあり、周辺の散策や春には桜が楽しめる。
戦国時代、難攻不落を誇った新田氏後裔の岩松氏(のちに下剋上により横瀬氏)の居城跡。平成4(1992)年から発掘調査が始まり、中世の関東の山城では珍しい、石垣や石敷きを多用した城であったことが判明した。
5代当主義景が住んでいた館跡。三方は土墨と壕で囲まれている。主殿や茶室などが整然と配置されていた。茶室近くにある花壇跡は日本最古のものである。
室町時代に築かれた。現在は散策路、野外ステージ、花壇があり、町が一望できる赤館公園として町民に親しまれている。ふもとには僧、玉室の庵跡もある。
戊辰戦争で落城するまで16代の城主がこの城を拠点に一帯を治めた。いまは亀ヶ城公園とも呼ばれ、春には、約500本の桜、秋には土塁のもみじが堀に映え美しい。
交通の要衝だった佐和山にあった城跡。近江守護佐々木氏によって築城され、天正19(1591)年ごろに三成が佐和山城主となり、関ヶ原の合戦後、井伊直政が新城主に。慶長11(1606)年に彦根城築城にともない廃城へ。
慶長年間(1596~1615年)に南部信直・利直が築城し、寛永10(1633)年に完成した平山城。明治維新の際に建造物は取り壊されたが、花崗岩を積み重ねた見事な石垣は今も残る。日本百名城のひとつ。
戦国時代中期、長野氏により築かれた箕輪城。現在の城跡は井伊直政居城時のもので、長野氏の時代のものとは趣が異なる。昭和62(1987)年12月に国の史跡に指定された。平成28年には郭馬出西虎口に城門が復元された。
1579(天正7)年に、徳川家康の長男、松平三郎信康が自刃したという悲話が残る二俣城。現在は、高さ約4.5mの天守台と「野面積み」の石垣、土塁が残されている。
見晴らしの良い高台にある史跡公園。縄文時代から室町時代にかけての遺物が発見されており、壕と柵で守られた平安時代の防御性集落の様子が復元整備されている。
武田氏の滅亡後、豊臣秀吉の命により築城された甲府城。その壮麗な姿から「舞鶴城」とも呼ばれ、江戸時代には西側への備えとして特別な役割を果たしたという。現在は城跡の一部が公園として市民の憩いの場となっていて、平成25(2013)年には本丸南側に2階建ての櫓門「鉄門(くろがねもん)」が復元されている。甲府城にまつわる文化や歴史について、観光ボランティアから詳しい説明を受けながら見学してみるのもよい。
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