条件検索
- 北海道
- 東北
- 関東・甲信越
- 戻る
- 関東・甲信越すべて
- 北関東
- 新潟・佐渡
- 首都圏
- 伊豆・箱根
- 山梨・富士山
- 信州・清里
- 東海・北陸
- 関西
- 中国・四国
- 九州・沖縄
- 見どころ・レジャー
- 戻る
- 見どころ・レジャーのすべて
- 見どころ・体験
- レジャー施設
- 文化施設
- 自然地形
- 公園・庭園
- 日帰り温泉・入浴施設
- スポーツ施設
- SA・PA
- 道の駅・ドライブイン
- レンタル
- グルメ
- ショッピング・おみやげ
- 宿泊
- イベント
エリア・ジャンルからさがす
条件検索
トップ > 見どころ・レジャー x 秋 > 見どころ・体験 x 秋 > 寺社仏閣・史跡 x 秋 > 城・城址 x 秋
城・城址
ガイドブック編集部が厳選した「日本×秋(9,10,11月)」のおすすめ観光・旅行スポットをご紹介します。沖縄で出会う世界遺産「首里城公園」、城下町を見下ろすビュースポット「松江城(千鳥城)」、加賀藩前田家の居城跡につくられた石川県を代表する公園「金沢城公園」など情報満載。
エリア・ジャンル・条件でさがす
1~20 件を表示 / 全 98 件
那覇市内を見渡す丘の上に、沖縄戦で全焼した首里城を中心に復元、整備された国営公園。火炎後は「見せる復興」をテーマに再建の様子を公開している。園内は城の中枢である正殿など復興中の有料区域と、無料区域に分かれ、立派な建造物や門の数々が琉球王国時代へと誘う。復元作業は現在も続く。御内原エリアも開園。首里城跡は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として他の8件の史跡群とともに世界遺産に登録されている。
関ヶ原の戦の功績により出雲・隠岐の大守となった堀尾吉晴が慶長16(1611)年に築城。天守に千鳥が羽を広げたような形の破風が用いられており、「千鳥城」とも呼ばれる。4重5階、地下1階の造りで、最上階からは松江の街や宍道湖が一望できる。
外様大名の中で最大の石高を誇った加賀藩前田家の歴代藩主が居城とした金沢城。ほとんどが火災で焼失してしまったが、現在、復元工事が進み、当時の威容がよみがえっている。国指定史跡。
関ヶ原の戦に勝った徳川家康が将軍上洛する時の宿泊所として造営。寛永元~3(1624~1626)年、3代将軍家光が後水尾天皇の行幸のために大改修し、本丸御殿・天守を建て、ほぼ現在の規模が完成した。幕末には坂本龍馬の起案による「船中八策」が後藤象二郎を通じて幕府に提案され、15代将軍徳川慶喜が大政奉還の意思表明を二の丸御殿の大広間で行った。政権を朝廷に返上し、約265年続いた江戸幕府に幕を降ろした。
本島統一前の三山時代に本島北部を統治した北山王の居城。13世紀頃に築城され、城壁は地形に合わせて古期石灰岩を積み上げている。10つの城郭からなる城壁の長さは約1.5kmと首里城にも匹敵するスケールを持つ。
武将、加藤嘉明が慶長7(1602)年より築城を開始し、四半世紀をかけて完成。各櫓、城門、天守など21棟の建造物が重要文化財。山頂から松山市街や瀬戸内海が一望できる。
慶長2(1597)年、宇喜多秀家が落城。黒い下見板を施した姿から、別名「烏城(うじょう)」と呼ばれる。月見櫓、西の丸西手櫓は建築時の姿で、重要文化財。現在の天守閣は昭和41(1966)年に再建されたもの。天守閣内では、備前焼作り体験ができ、1日5回開催する。
土佐24万石の象徴。慶長6(1601)年、土佐へ入国した山内一豊が築城を始め、2年後に入城。慶長16(1611)年、三ノ丸の完成をもって着工以来10年でほぼ全城郭が整った。享保12(1727)年、城下町の大火で追手門を残すほとんどを焼失したものの、25年かけて宝暦3(1753)年に再建。現在も優美な姿を残している。天守など15の建造物が重要文化財。
太平洋に突き出た勝連半島の高台にある城跡。現在は優雅に曲線を描く梯郭(ていかく)式の城壁が復元されている。城壁の上からは中城湾を見下ろすことができる。
琉球の有力按司、護佐丸が居城としたとされる城の跡。美しく弧を描く琉球石灰岩でできた城壁と精巧なアーチ門が残る。東に太平洋、西に東シナ海を望み、眺望もすばらしい。平成12(2000)年に世界文化遺産に登録された。
琉球の有力按司、護佐丸が築いた名城。琉球石灰岩の切石積みの城壁や沖縄最古のアーチ形石造門が残る。東シナ海を見渡す標高127mの丘上からの眺望もすばらしい。世界文化遺産。
浜松市街に建つ城で、徳川家康が17年間過ごしたことなどから「出世城」と呼ばれている浜松のシンボル。天守閣の最上階は展望台で、冬の晴れた日には浜名湖や富士山までを見渡すことができる。家康の生い立ちや浜松の歴史を紹介するコーナーもある。平成26(2014)年には天守門が復元された。
慶長7(1602)年、築城の名手、藤堂高虎(とうどうたかとら)が手がけた城で「吹揚城(ふきあげじょう)」の別名をもつ。5層6階の天守は昭和55(1980)年に再建されたもので、内部には今治藩ゆかりの資料を展示。6階の展望台からは瀬戸内海が眺められ、来島海峡大橋が一望できる。
慶長元(1596)年に山内一豊が築いた掛川城天守閣。当時の図面などに基づき、平成6(1994)年に本格木造天守閣として復元された。3層4階の天守閣の最上階は地上約50mにもなる。忍者ガイドについては事前に問い合わせを。
織田信長より大野郡の3分の2を与えられた武将・金森長近が、4年をかけて築城。標高249mの亀山の頂に建ち、天守閣の最上階からは大野の町や周囲の山並を一望できる。現在の天守閣は昭和43(1968)年に建てたもの。金森氏、土井氏の資料も展示している。
雲海に浮かぶ天守の幻想的な姿から「天空の山城」の異名を持つ備中松山城。一帯が雲海(朝霧)に包まれるのは、主に秋から春にかけての早朝と日中の寒暖差の大きい時期。雲が厚すぎると城も見えなくなってしまうため、必ず目撃できるとは限らないが、その神秘的な風景はぜひ目に焼き付けたい美しさだ。
5年の歳月をかけて慶長7(1602)年に完成した城。江戸時代以前から現存する12の木造天守のひとつである天守は重要文化財。約60mの石垣は「扇の勾配」と呼ばれる美しい曲線を描く。
信長が天下統一の礎として約3年の月日をかけて完成させた安土城の跡。京都や北陸に近く、また琵琶湖の水運を利用できる安土が選ばれた。本能寺の変後に焼失したが、残る石垣や天主跡、本丸跡の礎石などから歴史の鼓動を感じることができる。
毛利輝元が慶長9(1604)年に築城した毛利家の居城、萩城。現在は、指月山のふもとに石垣と堀の一部が昔の姿をとどめ、ここ一帯は指月公園として整備され桜の名所としても親しまれている。国指定史跡。
エリア
ジャンル
季節
シチュエーション