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トップ > 見どころ・レジャー x 秋 > 見どころ・体験 x 秋 > 寺社仏閣・史跡 x 秋 > 城・城址 x 秋
城・城址
ガイドブック編集部が厳選した「日本×秋(9,10,11月)」のおすすめ観光・旅行スポットをご紹介します。「浮城」とも呼ばれた、小早川隆景によって着工された城「三原城跡」、琉球統一の物語が始まる場所「伊是名城跡」、今は静かな公園として整備されている浦添城跡「浦添城跡」など情報満載。
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41~60 件を表示 / 全 98 件
永禄10(1567)年、毛利元就の三男・小早川隆景によって着工された城。海に面した城の様子が海に浮かんでいるように見えたことから「浮城」とも呼ばれた。
13世紀に築城。首里城以前の中山の王城だったとされる。現在は城壁を復元し浦添市街や宜野湾市街を一望する公園として整備。浦添大公園南エントランスに浦添グスクを紹介する展示コーナーがある。
勝間田氏の居城だった勝間田城を城跡公園にしたもの。城周りのおもだった箇所は復元、保存されている。
戦国時代に北条水軍の拠点の一つとして築城。本城跡は地形を巧みに利用して造られており、小規模な曲輪を多数有する。主郭は標高30mで、そこからの眺めは抜群だ。国指定史跡となっている。
「碧水城」とも呼ばれた水口城は、徳川家光の上洛の際に小堀遠州に築かせたもの。矢倉を模した水口城資料館では、城の模型や水口藩に関する資料を展示している。
今川氏により築かれたといわれる城。その後城主が北条、武田と変わり、徳川の手によって廃城となった城跡だ。山頂からは駿河湾、伊豆半島、三保松原、富士山を一望できる。
二本松城跡は県立自然公園として整備されており、城全体が霞に包まれたような景色を見せることから「霞ヶ城」とも呼ばれている。公園内には2500本もの桜が咲き、天守台からの景色は絶景。
城下町の雰囲気が今なお残る久留里。街を散策してみると、いたるところに竹ヒゴ式突掘り技術が発達してできた「上総(かずさ)掘り」の井戸が点在。今も酒造の仕込み水や生活用水として活躍している。久留里城址資料館には「上総掘り」の復元模型などが展示されている。
地形に恵まれた城塞堅固な平城跡。もとは南部氏以前の領主である稗貫氏の居城(鳥谷崎城)だが、豊臣秀吉の奥州仕置によって天正19年(1591)に稗貫氏が滅ぶと、南部氏がこの地を領有し、花巻城となった。本丸跡は公園として整備され、西御門が復元されている。公園周辺にも土塁や堀跡などが残り、往時の面影をしのぶことができる。
発掘調査の成果をもとに、戦国時代の築城技術を伝える石積みの土塁や門、池などを復元。遊歩道にはカタクリが群生し、四季折々の景観が楽しめる。
松山藩2万5000石の松山城城址に広がる公園。園内のあちこちに城の面影が残り、「多聞楼」とも呼ばれる大手門は県指定文化財。松山文化伝承館もある。
甲斐の名将・武田信玄公を祀った神社で、大正8(1919)年に建立された。武田信虎、信玄、勝頼の武田氏3代、60余年の館跡。躑躅ヶ崎の突端部であることから「躑躅ヶ崎館跡」とも呼ばれる。
中世末期の戦国武将、杉隆泰の山城跡。弘治元(1555)年、毛利軍の防長進攻により、隆泰以下城兵数千名が死に、山城の建物は焼け落ちた。毎年11月に戦没者慰霊法要を実施。
津軽藩の初代藩主である津軽為信の高祖父・光信が延徳3(1491)年に築いた城跡。現在は南部曲り家風の資料館「光信公の館」が建てられている。
南城市玉城には糸数、玉城、ミントン、垣花の4つのグスク跡がわずか4kmの範囲で道沿いに分布しており、これらを結ぶ道は「グスクロード」と呼ばれている。
天正18(1590)年、岡本宗憲によって築城。三重県内で唯一残る城郭建造物である多門櫓は石垣とともに県史跡に指定されており、近年創建当初の姿に復原された。
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