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東北のおすすめのその他史跡・建造物スポット
東北のおすすめのその他史跡・建造物ポットをガイドブック編集部が厳選してご紹介します。『銀河鉄道の夜』がモデルのカラクリ時計。出てくる人形にも注目「銀河ポッポ」、「男山本店 客座敷」、この地に留まった際に鏡の代わりに使った井戸「和泉式部庵跡と化粧の井」など情報満載。
- スポット:39 件
- 記事:17 件
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東北のおすすめのその他史跡・建造物スポット
21~40 件を表示 / 全 39 件
銀河ポッポ
『銀河鉄道の夜』がモデルのカラクリ時計。出てくる人形にも注目
宮沢賢治の代表作『銀河鉄道の夜』をモチーフにしたカラクリ時計。長針が12を指すと宮沢賢治が作曲した星めぐりの歌が流れ、それに合わせて賢治童話の登場人物が現れる。
銀河ポッポ
- 住所
- 岩手県花巻市大通り1丁目2-21なはんプラザ北側
- 交通
- JR東北本線花巻駅からすぐ
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由(演奏は10:00~22:00)
和泉式部庵跡と化粧の井
この地に留まった際に鏡の代わりに使った井戸
和泉式部は石川町の生まれと伝えられ、父の病を見舞うため帰郷する途中、騒乱のため道を通行できず、この地に草庵を作り留まったという。化粧の井は彼女が鏡代わりに使った井戸と伝えられる。
大山祗神社の鳥居
湖にぽつんと残る大噴火の名残
桧原湖の湖面に立つ古い鳥居は、明治21(1888)年の大噴火で埋没した桧原村にあった神社のもの。湖の水位が下がると、かつての参道も顔を出す。
大山祗神社の鳥居
- 住所
- 福島県耶麻郡北塩原村桧原
- 交通
- JR磐越西線猪苗代駅から磐梯東都バス休暇村・桧原行きで1時間、桧原歴史館前下車、徒歩10分
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由
舟橋跡
南部舟橋と呼ばれ明治橋ができるまで活用
明治7(1874)年に明治橋が架設されるまで舟橋が川の両岸を結んでいた。約200mの川幅に舟を48艘も並べ、「江戸自慢」では南部舟橋と呼ばれた。現在、盛岡市指定史跡。
舟橋跡
- 住所
- 岩手県盛岡市南大通3丁目、仙北1丁目
- 交通
- JR盛岡駅から岩手県交通都南バスターミナル・パストラルバーデン行きバスで13分、南大通2丁目下車、徒歩3分
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 情報なし
穀丁の惣門跡
物資交易の中心で豪商が軒を連ねた所。今でも土蔵造りの建物あり
穀丁の惣門は、番所として物資交易の中心地となり、豪商が軒を連ねたところ。現在も土蔵づくりの重厚な構えの建物を見ることができる。
穀丁の惣門跡
- 住所
- 岩手県盛岡市南大通2
- 交通
- JR盛岡駅から岩手県交通都南バスターミナル・パストラルバーデン行きバスで13分、南大通2丁目下車、徒歩5分
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由
黒崎砲台場跡
江戸時代の戊辰戦争時に南部藩の船遠見番所が置かれた場所
南部藩が使った二貫目唐銅筒の鉄製模型が設置されている。黒崎は江戸時代に南部藩の船遠見番所が置かれ、戊辰戦争で官軍を追撃しようとした地。
黒崎砲台場跡
- 住所
- 岩手県下閉伊郡普代村第2地割下村地内
- 交通
- 三陸鉄道リアス線普代駅から普代村営バス北山崎行きで15分、くろさき荘前下車すぐ
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由
阿津賀志山防塁
源頼朝と藤原氏の戦の激戦地。藤原方が当時築いた土塁などが残る
文治5(1189)年に源頼朝と奥州藤原氏が対決した、奥州合戦最大の激戦地。藤原方が、阿津賀志山中腹から阿武隅川旧河道までの3200mにわたり築いた土塁と堀の防塁が残る。国道4号北側地区には岩盤を削って造られた堀もあり、合わせると遺跡全体が確認できる。
猪苗代城跡(亀ヶ城公園)
会津の鶴ヶ城に対して亀ヶ城
鎌倉期に猪苗代経連が築城した猪苗代氏代々の居城。江戸期には城代が置かれ、一国一城令も乗り越えた会津の要所。幕末期の戊辰戦争で焼失したが、今も亀ヶ城の雅号で親しまれている。
猪苗代城跡(亀ヶ城公園)
- 住所
- 福島県耶麻郡猪苗代町古城町
- 交通
- JR磐越西線猪苗代駅から磐梯東都バス裏磐梯高原駅・桧原方面行きで8分、バスセンター下車、徒歩10分
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由
春雨庵
上山城主土岐山城守頼行が、禅師に贈った草庵
沢庵禅師の徳を慕った上山城主土岐山城守頼行が、禅師に贈った草庵。沢庵禅師は、寛永6(1629)年からの3年間をここで過ごした。現存する建物は昭和28(1953)年に再建されたもの。
春雨庵
- 住所
- 山形県上山市松山2丁目10-12
- 交通
- JR山形新幹線かみのやま温泉駅から徒歩15分
- 料金
- 入場料=無料/抹茶(要予約)=500円/
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 8:00~17:00(閉館)
近世念珠関址
江戸時代に整備された近世の関所跡
1000年以上前に設けられた鼠ヶ関は白河、勿来と並ぶ奥羽三関のひとつであった。この関所址は、庄内に酒井氏が入部した1622年以後に古代鼠ヶ関より移転整備されたことから近世念珠関址とされている。
豊川油田
かつての石油採掘場。当時の面影が今に残る
明治時代、石油の産出地であった秋田県。県内でも有数の油田地帯だったのが、この豊川油田。石油が採掘されなくなった今も、櫓が当時のまま残され、当時の面影を残している。
末の松山
多くの歌人を魅了した歌枕の地
多賀城市指定の文化財で、樹齢450年以上ともいわれる黒松の老木がある。多賀城に赴任してきた都人がその美しい風景を歌に詠み、小倉百人一首や新古今和歌集などに多くの和歌が残されている。
防波堤 壁画
地元の学生たちによって個性的な絵が描かれた防波堤
個性的な絵が描かれている佐井港の防波堤。地元の小学生をはじめ、大学生などが、1区画15mから30mの壁に思い思いの絵を描く。
防波堤 壁画
- 住所
- 青森県下北郡佐井村佐井漁港
- 交通
- JR大湊線下北駅から下北交通佐井車庫行きバスで2時間15分、佐井役場前下車、徒歩10分
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由
姥の手かけ石
平安時代の鬼退治伝説を今に伝える
平安時代中期、源頼光に仕える四天王の筆頭、渡辺綱は京で悪鬼の腕を切り落とす。姥に化けた鬼が綱から腕を取り戻すが、逃げる際に川辺で転び手をついた跡が石に残ったという。
明義堂跡
原敬も学んだ藩校で後に作人館と呼ばれた。現在一部が公園に利用
大正7(1918)年、日本初の平民宰相となった原敬も学んだ藩校、明義堂(のちに「作人館」と改称)の跡地。現在はその一部が、「日影門縁地」という小公園として残されている。
明義堂跡
- 住所
- 岩手県盛岡市中央通1丁目
- 交通
- JR盛岡駅から岩手県交通盛岡都心循環バスでんでんむし号右回りで7分、中央通二丁目下車すぐ
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由
大壇口古戦場
二本松少年隊も戦った激戦地
慶応4(1868)年7月29日、板垣退助率いる新政府軍と、二本松軍が繰り広げた攻防戦のひとつ。砲術師範の木村銃太郎率いる少年隊士が奮戦するも、多くの戦死者を出す。