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トップ > 見どころ・レジャー x カップル・夫婦 > 見どころ・体験 x カップル・夫婦 > 寺社仏閣・史跡 x カップル・夫婦 > 寺院(観音・不動) x カップル・夫婦
寺院(観音・不動)
ガイドブック編集部が厳選した「日本×カップル・夫婦」のおすすめ観光・旅行スポットをご紹介します。1200年以上の歴史を刻む寺院「清水寺」、カラフルなおサルに願掛け「八坂庚申堂」、極楽浄土のまばゆい夢黄金の宇宙を水に映す「金閣寺(鹿苑寺)」など情報満載。
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1~20 件を表示 / 全 1,199 件
「清水の舞台」で知られる本堂舞台が有名な寺院。そもそもは奈良時代末期、宝亀9(778)年に延鎮上人が、音羽の滝の近くに草庵を結び、千手観音を祀ったのが始まり。鹿狩りに訪れた坂上田村麻呂が水を求めて立ち寄った際、延鎮上人に殺生をいさめられたことから信仰し、長岡京の紫宸殿を移築して創建した。鮮やかな朱塗りの仁王門や三重塔は日本最大クラスの建築物で、多くの国宝や重要文化財を目にすることができる。
天台宗の寺院で、本尊は青面金剛童子。平安時代、浄蔵法師によって創建された。現在の建物は延宝6(1678)年に建てられたもので、現世利益で多くの信仰を集める。
もとは公家の西園寺家の山荘。室町幕府3代将軍・足利義満が譲り受け、さらに手を加えて豪勢で個性的な山荘に造り上げた。晩年には後小松天皇を招いて幾晩も盛大な宴を催すなどして、この山荘を自慢したという。義満の死後、夢窓疎石が開山して禅寺となった。応仁の乱でほとんどの堂宇を焼失し、残った金閣ものちに放火により焼失。この事件は、三島由紀夫の『金閣寺』や水上勉の『金閣炎上』など、数多くの小説のテーマになった。
宋から禅と茶を持ち帰った栄西が建てた臨済宗の名刹。京都最古の禅寺であり、喫茶発祥の地ともいわれている。法堂の『双龍図』は小泉淳作筆。有名な俵屋宗達筆の国宝『風神雷神図』は、京都国立博物館に寄託されているが、レプリカで鑑賞できる。
公家の九條家を祀るために、孫の道家が京都最大の寺を造ろうとしたのが始まり。京都五山の一つとなって大いに栄えた。現存する禅堂、愛染堂、仁王門、六波羅門などはすべて重要文化財、三門と龍吟庵、方丈は国宝という貴重な寺。なかでも三門は室町初期の建築で、日本最古といわれている。方丈を取り囲む「八相の庭」は昭和を代表する作庭家・重森三玲が手がけたもので、現代の名庭といわれる。
室町幕府8代将軍・足利義政が、祖父義満の造った北山殿(金閣寺)にならって建立した山荘、東山殿が前身。義政の遺言によって寺になった。正式な寺号は慈照寺。華やかな金閣寺に比べると、侘び寂びの世界を表現した銀閣寺には静かな気品が感じられる。名前とは異なり、銀閣に銀箔が施されたことはない。上下2段に分かれている庭園は上が枯山水、下が池泉回遊式。池の東には銀閣と同年に完成した東求堂がある。
「東寺」「弘法さん」と呼ばれるが、正式な寺号は教王護国寺。平安遷都の折に、平安京を守る官寺のひとつとして創建された。歴代天皇や足利将軍家の庇護のもと隆盛を極めたが一時期荒廃。その後、豊臣家と徳川家の援助を受けて再興を果たした。密教美術の宝庫といわれるほど寺宝が多く、宝物館には2万5000点余もの国宝・重要文化財が収められている。また、毎月弘法大師の命日に開かれる弘法市は、古くから賑わっている。
亀山天皇の離宮、禅林寺殿が前身で、大明国師の開山によって寺に改められた。後醍醐天皇が官寺の格制度を定めた際は、京都五山の第一位に、足利義満の相国寺建立後は、五山の上位を与えられ最高位の禅寺になった。その後大火によって衰退したが、江戸初期に再興。「虎の子渡し」と呼ばれる枯山水庭園のほか、江戸期の名庭が多い。歌舞伎で、石川五右衛門が三門の上から「絶景かな~」と大見得を切る名ゼリフも有名。
紫式部が仕えた中宮の父、藤原道長の別荘を、その子・頼通が寺院に改めた。阿字池に浮かぶ絢爛豪華な建物や庭園を造営し、極楽浄土を現出させた。国宝・鳳凰堂(阿弥陀堂)に安置される阿弥陀如来坐像は平安期の傑作。
臨済宗天龍寺派の大本山で足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために建てた寺。開山は夢窓疎石。尊氏と後醍醐天皇は、鎌倉幕府を倒すためにともに戦ったが、のちに南朝と北朝に分かれて戦うことになった。莫大な建立費用に元との貿易で得た収入を注ぎ込んだため、元との貿易船は「天龍寺船」と呼ばれた。夢窓疎石作と伝えられる大方丈西側の曹源池庭園が創建当時の面影を伝える。加山又造が描いた八方睨みの『雲龍図』も有名。
慶長11(1606)年、豊臣秀吉の菩提を弔うため正室のねねが建立した。開山堂、霊屋、観月台、茶室の傘亭・時雨亭など開山時の建物が現存。美しい庭園は小堀遠州によるもの。
室町幕府の管領・細川勝元によって創建された、臨済宗妙心寺派の禅寺。方丈の南側にある枯山水の石庭が有名。作者も年代も不明だが、禅の庭らしい簡素で虚飾のない風情が、多くの人の心をひきつける。白砂を敷きつめ、築地塀に囲まれた広さ250平方メートルの庭に大小15個の石が配され、「虎の子渡しの庭」「七五三の庭」とも呼ばれる。
長寛2(1164)年、後白河上皇の離宮に建てられた仏堂が始まりで、造営には平清盛の協力があったとされる。正式名は蓮華王院という。全長120mの本堂には、鎌倉時代の仏師・湛慶の手による国宝の千手観音坐像を中心に、それぞれ表情の異なる1001体の千手観音立像と、建物両端には風神雷神像・二十八部衆立像(ともに国宝)が安置されている。南大門は豊臣秀吉が建てた方広寺の旧南門。
早世した基皇太子の菩提を弔うために、聖武天皇が建てた金鍾山寺が前身。天平19(747)年に東大寺の寺号が用いられはじめた。平安時代や戦国時代に戦乱で被災したが、鎌倉時代と江戸時代、多くの人々からの寄進を受け修復される。天平仏と鎌倉仏の宝庫であり、境内各所のお堂内の仏像はもちろん、東大寺ミュージアムでもじっくり鑑賞を。「古都奈良の文化財」として奈良市内の他8件とともに世界遺産に登録される。
法相宗の大本山。前身は藤原京にあった「厩坂寺」で、平城遷都の際に現在地へ移され、寺名も興福寺と改められた。藤原氏の庇護のもと、中世には大和国を支配する寺院となり、大きな影響力を持った。鎌倉時代には、運慶などの仏師が多くの仏像を造像。今日も五重塔や東金堂などの名建築や阿修羅像などの美しい仏像が、参拝者の心を魅了し続ける。
一時仮御所になったことから「粟田御所」とも呼ばれる、皇室とゆかりのある門跡寺院。相阿弥の作と伝えられる龍心池を中心とする室町時代の池泉回遊式庭園は、四季折々に異なる趣で美しい。
鎌倉大仏(長谷大仏)を本尊とする浄土宗の寺院。真言宗、臨済宗に属した後、江戸時代に浄土宗の寺となる。境内一帯は国の史跡に指定されている。大仏の草創については謎が多いが、寛元元(1243)年に、初代の木造大仏の開眼供養が行われたと『吾妻鏡』にある。正式名称は銅造阿弥陀如来坐像、鎌倉にある仏像で唯一の国宝。室町時代以後は露天の大仏として知られるようになった。
加賀藩3代藩主の前田利常が金沢城近くから移築建立した日蓮宗の寺。内部には外敵から守るため多くの仕掛けが施されており通称「忍者寺」と呼ばれる。
平安初期、空海の弟子の真紹が創建。第7世永観が浄土念仏の道場としたことから永観堂と呼ばれるようになった。正式には禅林寺。古くから紅葉の寺として名高く、秋には特別拝観とライトアップが行なわれる。
天平8(736)年の創建と伝えられる。山の斜面に、裾野の下境内と中腹の上境内がある。上境内には、本尊の十一面観音菩薩像を安置する観音堂をはじめ、主要な堂宇が建ち並び、海や街並みを一望する見晴台、傾斜地を利用した眺望散策路がある。本尊の観音像は、奈良の長谷観音と同じ霊木で造られた2体の観音像のひとつが海に流され、三浦半島に漂着、鎌倉に移されたとの伝説がある。桜やアジサイ、紅葉と見どころが多い。
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