九州・沖縄 x 城・城址
九州・沖縄のおすすめの城・城址スポット
九州・沖縄のおすすめの城・城址ポットをガイドブック編集部が厳選してご紹介します。福江の歴史を語るスポット「福江城跡(石田城跡)」、桜とツツジが美しい城跡「佐伯城跡」、秋月の名将が築いた城址「秋月城跡」など情報満載。
- スポット:57 件
- 記事:24 件
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九州・沖縄のおすすめの城・城址スポット
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福江城跡(石田城跡)
福江の歴史を語るスポット
黒船の来航にそなえ、文久3(1863)年に15年の歳月をかけて築城した江戸時代の城郭跡。黒船の大砲の目標になるという理由から天守閣がなく、本丸の館も平屋。わずか5年後に明治維新が起こり、9年後には本丸が解体されて石垣と堀を残す。現在は二の丸跡に天守閣を模した五島観光歴史資料館がある。館内では遣唐使、キリシタン信仰、五島藩などについての資料を展示。
佐伯城跡
桜とツツジが美しい城跡
空を羽ばたく鶴の翼のようであったことから「鶴屋城」とも呼ばれ、国木田独歩の『源叔父』の舞台になった城跡。慶長11(1606)年に、標高144mの城山山頂に毛利高政が築城した。天守閣は築城後ほどなくして火災によって焼失したが、現在も「黒門」と呼ばれる三の丸櫓門と石垣が残っている。
秋月城跡
秋月の名将が築いた城址
元和9(1623)年に黒田長政の三男、長興が秋月5万石の藩主となり居城とした秋月城。黒門(大手門)、長屋門をはじめ、苔むした石垣や堀割に往時の繁栄をしのぶことができる。杉の馬場の桜と、黒門の紅葉は必見。
金田城跡
大和朝廷が築いた国防の最前線
天智6(667)年、大陸からの侵略にそなえて大和朝廷が築いた朝鮮式山城の金田城。高さ2m以上の城壁と城門、水門を目にすることができる。国の特別史跡。
金田城跡
- 住所
- 長崎県対馬市美津島町黒瀬城山515-2
- 交通
- 対馬やまねこ空港から対馬交通樽ヶ浜経由厳原行きバスで5分、鶏知宮前で対馬交通尾崎行きバスに乗り換えて16分、箕形下車、徒歩30分
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由
亀城跡
武将小川太郎季能の子、季直が来島した際に建てたと伝わる城
承久3(1221)年の承久の乱で功績をあげた武将小川太郎季能の子、季直が来島した際に建てたと伝わる城。小高い丘の上にあり、鶴城とあわせて「鶴亀城」とも呼ばれる。
知覧城跡
南九州を代表する中世の山城
武家屋敷通りから南へ約1kmほどのシラス台地を最大限に利用し、規模、まとまり、保存のよさで南九州を代表する山城。中世佐多氏の居城で、国の史跡に指定されている。
知覧城跡
- 住所
- 鹿児島県南九州市知覧町永里城内ほか
- 交通
- JR鹿児島中央駅から鹿児島交通知覧行きバスで1時間12分、武家屋敷入口下車、徒歩15分
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由
名護城跡
現在は整備され、緋寒桜が美しい名護城公園となっている
14世紀の初頭、北山系の名護按司の居城だったところで、現在は城跡を中心に名護城公園が整備されている。緋寒桜の名所でもある。さくら祭り期間中は車の入場不可。
名護城跡
- 住所
- 沖縄県名護市名護
- 交通
- 名護バスターミナルから琉球バス交通・沖縄バス65番本部半島(渡久地)線で6分、名護城入口下車、徒歩5分
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由
獅子城跡
山中に残る石垣は当時を思い出すよすが
松浦党の鶴田氏が活躍した城として知られる。江戸時代に唐津藩寺沢氏により石垣の城に造り変えられ、その遺構が良好に残っている。佐賀県の史跡に指定されている。
浦添城跡
今は静かな公園として整備されている浦添城跡
13世紀に築城。首里城以前の中山の王城だったとされる。現在は城壁を復元し浦添市街や宜野湾市街を一望する公園として整備。浦添大公園南エントランスに浦添グスクを紹介する展示コーナーがある。
浦添城跡
- 住所
- 沖縄県浦添市仲間2丁目
- 交通
- 沖縄自動車道西原ICから国道330号、県道153号を仲間方面へ車で4km
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由(浦添グスク・ようどれ館と浦添大公園南エントランス展示コーナーは9:00~17:00<閉館>)
岩屋城跡
戦国時代の山城跡で大友宗麟の家臣高橋紹運のエピソードが残る
四王寺山の中腹にある戦国時代の山城跡。天正14(1586)年に薩摩島津氏の大軍に攻められた大友宗麟の家臣高橋紹運が部下とともに討死したエピソードが残る。
益富城跡
黒田節で有名な母里太兵衛が治めた益富城
黒田二十四騎後藤又兵衛が築城し、黒田節で有名な母里太兵衛が治めた益富城は、太兵衛が病死した元和元(1615)年の一国一城令により廃された。現在、城跡は益富城自然公園の一部となっている。
原城跡
聖戦に命をかけた少年がいた
天草四郎率いる一揆軍が立てこもり、幕府軍と壮絶な戦いを繰り広げた「島原の乱」最後の舞台。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として、平成30(2018)年に世界文化遺産に登録された。
釜蓋城跡
千々石淡路守が築いた城跡。展望台から長崎半島を眺められる
天正遺欧使節の一人である千々石ミゲルの父、千々石淡路守が築いた城の跡。跡地には展望台を設置していて、千々石海岸や長崎半島を眺めることができる。
釜蓋城跡
- 住所
- 長崎県雲仙市千々石町己橘公園内
- 交通
- JR長崎本線諫早駅から島鉄バス雲仙・口之津方面行きで43分、橘神社前下車、徒歩15分
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由
グスクロード
糸数、玉城、ミントン、垣花の4つを結ぶ道をグスクロードと呼ぶ
南城市玉城には糸数、玉城、ミントン、垣花の4つのグスク跡がわずか4kmの範囲で道沿いに分布しており、これらを結ぶ道は「グスクロード」と呼ばれている。