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トップ > 日本 x 寺院(観音・不動) x ひとり旅 > 関西 x 寺院(観音・不動) x ひとり旅 > 奈良 x 寺院(観音・不動) x ひとり旅 > 奈良・斑鳩 x 寺院(観音・不動) x ひとり旅
奈良・斑鳩 x 寺院(観音・不動)
ガイドブック編集部が厳選した「奈良・斑鳩×寺院(観音・不動)×ひとり旅」のおすすめ観光・旅行スポットをご紹介します。巨大な大仏さまと建造物に圧倒される「東大寺」、壮大な塔がそびえる古都奈良の文化空間「興福寺」、人々の思いを集め取り戻した昔の姿「薬師寺」など情報満載。
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1~20 件を表示 / 全 32 件
早世した基皇太子の菩提を弔うために、聖武天皇が建てた金鍾山寺が前身。天平19(747)年に東大寺の寺号が用いられはじめた。平安時代や戦国時代に戦乱で被災したが、鎌倉時代と江戸時代、多くの人々からの寄進を受け修復される。天平仏と鎌倉仏の宝庫であり、境内各所のお堂内の仏像はもちろん、東大寺ミュージアムでもじっくり鑑賞を。「古都奈良の文化財」として奈良市内の他8件とともに世界遺産に登録される。
法相宗の大本山。前身は藤原京にあった「厩坂寺」で、平城遷都の際に現在地へ移され、寺名も興福寺と改められた。藤原氏の庇護のもと、中世には大和国を支配する寺院となり、大きな影響力を持った。鎌倉時代には、運慶などの仏師が多くの仏像を造像。今日も五重塔や東金堂などの名建築や阿修羅像などの美しい仏像が、参拝者の心を魅了し続ける。
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白鳳時代、天武天皇が皇后の病気平癒を願い発願したのが始まり。天災や兵火により、東塔を残して創建時の姿を失い荒廃していたが、昭和43年からお写経勧進を全国で行ない、復興が始められた。現在はきらびやかな建物が並ぶ壮大な伽藍が甦りつつある。境内には数々の仏像、平山郁夫画伯の大唐西域壁画など見どころにあふれる。
東大寺を離れることを決意した鑑真和上が、新田部親王の旧宅を賜り、天平宝字3(759)年に戒律を学ぶための修行道場として開いたことが始まり。当初はあくまでも和上の私寺として、講堂や、旧宅を改造した経蔵などのみであったが、徐々に寺としての体裁が整う。8世紀後半に、鑑真和上の弟子の如宝が金堂を完成させた。中世の兵火や明治時代の廃仏毀釈を経ても寺観を失わず、多くの天平時代の伽藍や文化財を今に伝えている。
聖徳太子の母・穴穂部間人皇后のため、西の法隆寺と対照的な位置に建立された日本最古の尼寺であり、太子創建七か寺のひとつ。本堂に安置される本尊の菩薩半跏像は、アルカイックスマイルと呼ばれる世にも穏やかな笑顔をたたえる飛鳥仏。本堂は昭和43(1968)年に建立されたもの。
三重塔をはじめ本堂に阿弥陀如来像9体を安置し、別名九体寺ともいう。四天王立像を含め、いずれも国宝。本堂の前に広がる阿字池を中心とした浄土式庭園は特別名勝史跡だ。
天平19(747)年、光明皇后が夫である聖武天皇の眼病平癒を願って創建。入母屋造りの本堂は、創建当時のまま残る唯一の建造物。堂内には国宝の薬師如来坐像や十二神将立像が安置されている。
平城遷都にともない、養老2(718)年、飛鳥の法興寺が移されて元興寺となる。奈良時代は東大寺や興福寺と並ぶ大寺院で、猿沢池の南端から現在のならまち一帯は元興寺の旧境内だった。浄土信仰の隆盛とともに極楽堂内にあった智光曼荼羅に信仰が集まる。鎌倉時代以降、智光曼荼羅に加え聖徳太子、弘法大師への民間信仰の寺院となっていく。1998年に世界遺産に登録されている。
推古天皇30(622)年、聖徳太子の病気回復を願って、長子である山背大兄王が建立したと伝わる。飛鳥仏や平安仏を数多く所蔵していて、その特徴的なディテールを間近で鑑賞できる。落雷によって三重塔は一度焼失したが、昭和50(1975)年に創建当時の様式で再建された。
平城京の北東の隅にあったため、隅寺とも呼ばれる。遣唐使の航海の安全を願い、光明皇后により天平3(731)年に創建。金色に輝く十一面観音菩薩立像が本尊で、光明皇后がみずから刻んだという十一面観音像をもとに、鎌倉時代に慶派の仏師により造立されたもの。ユキヤナギの名所としても知られる。
東洋のミューズと称される伎芸天立像で有名。芸能を司る伎芸天の古い彫刻は日本でもここだけ。奈良時代最後の勅願寺として、宝亀11(780)年に建立された。端整な姿の本堂は、鎌倉時代に改修されたが、天平時代の匂いを残している。
光明皇后が、父・藤原不比等の邸宅跡に建立した総国分尼寺。大和三門跡尼寺のひとつ。本尊の十一面観音菩薩立像は、唇に紅をさした白檀の一木造りで、インドの問答師が光明皇后の姿を写したと伝えられる。慶長6(1601)年、豊臣秀頼と淀君の寄進により兵火や地震で失った本堂が再建された。
斑鳩の西、大阪府との境にそびえる信貴山には、毘沙門天が聖徳太子に戦勝をもたらした伝説が残る。その地に建てられた朝護孫子寺は毘沙門天信仰の総本山で、境内には多くの堂宇が並ぶ。毎年秋に公開される国宝『信貴山縁起絵巻』をはじめ、霊宝館では多彩な宝物を鑑賞できる。
正式な名称は金剛山寺、別名をあじさい寺という。境内には本堂、開山堂などが立ち、本尊の木造地蔵菩薩立像をはじめ重要文化財に指定された仏像が多い。地蔵信仰の寺として知られる。
平城京の鬼門を守るため飛鳥時代に創建され、その後般若経の学問寺として栄えた寺院。十三重石塔や三十三観音石像といった文化財があり、季節の花が観賞できる名所としても知られる。
天平元(729)年に聖武天皇の勅願で行基が創建した寺。桜や紅葉の季節も美しいが、6月上旬~7月上旬のアジサイは特に有名。朱塗りの重要文化財、三重塔が目を引く。
平城天皇が退位後に隠棲した地とされ、それを受け継いだ孫の在原業平が、みずから刻んだ仏像を安置して寺としたのが始まり。業平自作とされる聖観音立像や、五大明王像、本堂などの建造物が重要文化財に指定されている。境内には業平にちなんだ椿やビナンカズラなど四季折々の花が咲く。
奈良時代後期に西の大寺として創建され、東大寺に匹敵する大伽藍を誇った。鎌倉時代に叡尊が復興に努めた。現在は江戸時代に建てられた本堂、四王堂、愛染堂などが残る。直径30cmの大きな茶碗で茶を飲む大茶盛式は、年に3回開催される。
「奈良の大仏」として知られる本尊、盧舎那仏を安置する金堂。現在の建物は江戸中期に再興された。正面約57m、奥行き約50m、高さ約48mは木造建築として世界最大級。
浄土宗知恩院派の尼寺。もとは僧院だが、徳川家綱の時代に尼寺として再興されたという。大門から広い清楚な庭をぬけ、中門の奥に本堂がある。本尊の阿弥陀三尊像は重文。
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