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トップ > 日本 x 冬 x シニア > 関西 x 冬 x シニア > 京都 x 冬 x シニア > 京都・宇治 x 冬 x シニア > 金閣寺・嵐山・高雄 x 冬 x シニア
金閣寺・嵐山・高雄
ガイドブック編集部が厳選した「金閣寺・嵐山・高雄×冬(12,1,2月)×シニア」のおすすめ観光・旅行スポットをご紹介します。極楽浄土のまばゆい夢黄金の宇宙を水に映す「金閣寺(鹿苑寺)」、景勝地・嵐山のシンボル「渡月橋」、美しい嵐山を借景に静まる伽藍と庭「天龍寺」など情報満載。
北山文化のシンボルから宇多法皇ゆかりの道を歩く
京都指折りの名勝と風情豊かな貴族・文人たちの隠れ家の里
山中に並ぶ名刹から、渓流沿いの京の奥座敷へ
平安京遷都以前から秦氏の本拠地。映画産業でも栄えたエリア
千利休ゆかりの寺や小さな寺が点在し、散策が楽しい
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1~20 件を表示 / 全 37 件
もとは公家の西園寺家の山荘。室町幕府3代将軍・足利義満が譲り受け、さらに手を加えて豪勢で個性的な山荘に造り上げた。晩年には後小松天皇を招いて幾晩も盛大な宴を催すなどして、この山荘を自慢したという。義満の死後、夢窓疎石が開山して禅寺となった。応仁の乱でほとんどの堂宇を焼失し、残った金閣ものちに放火により焼失。この事件は、三島由紀夫の『金閣寺』や水上勉の『金閣炎上』など、数多くの小説のテーマになった。
桂川(大堰川)に架かる全長155mの橋。9世紀前半にはすでに存在していたといわれている。亀山上皇が橋の上を移動する月を眺め「くまなき月の渡るに似る」と述べたことから渡月橋と名付けられたという。
臨済宗天龍寺派の大本山で足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために建てた寺。開山は夢窓疎石。尊氏と後醍醐天皇は、鎌倉幕府を倒すためにともに戦ったが、のちに南朝と北朝に分かれて戦うことになった。莫大な建立費用に元との貿易で得た収入を注ぎ込んだため、元との貿易船は「天龍寺船」と呼ばれた。夢窓疎石作と伝えられる大方丈西側の曹源池庭園が創建当時の面影を伝える。加山又造が描いた八方睨みの『雲龍図』も有名。
室町幕府の管領・細川勝元によって創建された、臨済宗妙心寺派の禅寺。方丈の南側にある枯山水の石庭が有名。作者も年代も不明だが、禅の庭らしい簡素で虚飾のない風情が、多くの人の心をひきつける。白砂を敷きつめ、築地塀に囲まれた広さ250平方メートルの庭に大小15個の石が配され、「虎の子渡しの庭」「七五三の庭」とも呼ばれる。
伊勢神宮へ赴く斎宮に選ばれた皇女が、3年間こもって心身を清めたという古社。『源氏物語』の「賢木の巻」の別れのシーンの舞台でもある。縁結びの神様として有名。
宇多天皇が父・光孝天皇の遺志を継いで平安時代に創建した真言宗御室派の総本山。国宝の金堂をはじめ、左右に金剛力士像を安置する二王門、五重塔、観音堂など、数多くの重要文化財が建ち並ぶ。平安時代から明治初期まで代々皇子や皇孫が門跡を務め、隆盛を極めた。樹高が低い御室(おむろ)桜が有名。また、宇多天皇を流祖と仰ぐ御室流華道の家元としても知られている。
平安時代、都の疫病を鎮めるため、神殿を造り御霊会が営まれたことに始まる古社。「玉の輿」という言葉の由来になった、徳川綱吉の生母「桂昌院(お玉)」の氏神を祀る社。
庭園は、嵐山を巧みに取り入れた回遊式山水庭園で、300本を超える楓や苔は、江戸時代の名所案内にも紹介された名庭。秋の紅葉に趣がある寺院だが、春の新緑も美しい。
花園法皇の離宮を禅寺に改めて創建。全国に約3400もの末寺を持つ臨済宗妙心寺派の大本山。北門のある一条通から南門のある下立売通までの間、約600m。30万平方メートルにも及ぶ広大な寺域を誇る。織田信長や豊臣秀吉ら戦国大名の庇護を受けて栄えた。境内には見どころが多く、狩野探幽の法堂天井画『八方にらみの龍』は必見。方丈庭園は名勝・史跡に指定されている。
平安時代の儒者、清原頼業を祀る。車折の名は後嵯峨天皇の牛車の車軸が折れて、社の前で動かなくなったことに由来。社務所で授かった祈念神石を毎日持ち歩くと金運や良縁に利益があるという。
臨済宗大徳寺派の大本山。宗峰妙超が鎌倉末期に小庵を建てたのが始まり。花園上皇や後醍醐天皇の庇護を受け、五山第一位に列されるなど大寺院へと変貌。室町時代に五山を離脱。応仁の乱で多くの堂宇を焼失したが、とんちで知られる一休宗純が再興。現在は22の塔頭のうち4院が常時拝観を行なっており、茶の湯や歴史との関わりを今に伝える。山門に自らの像を安置した千利休が、豊臣秀吉に自刃を命ぜられたエピソードが有名。
臨済宗の寺院。池泉回遊式庭園は京都屈指の名庭で、一面が苔で覆われたその様子から苔寺の名で親しまれている。拝観は申込制。世界遺産に登録されている。
大宝元(701)年に秦氏が創建した京都最古の社。境内奥の「亀井の水」は延命長寿の名水で、醸造時に加えると酒が腐らないという言い伝えから、酒造業者の信仰が篤い。
江戸時代の初頭、八条宮家の智仁親王が、簡素な建物を営んだのに始まる離宮。広大な庭園には、古書院、中書院、新御殿、茶屋などが点在。複雑な池の形にも優れた造形美が感じられ、日本屈指の名園として名高い。
境内に1200躰もの表情豊かな石造の羅漢さんが並び、訪れる人々の心を和ませる。ここを「嵯峨野めぐりの始発点」にすると、あとの見どころは全て下り坂コースになるので帰り道も安心。
嵯峨天皇の離宮が前身の門跡寺院で、真言宗大覚寺派の本山。いけばな嵯峨御流の発祥地で総司所でもある。宸殿にある狩野山楽筆の『牡丹図』、『紅白梅図』が見事だ。秋は嵯峨菊が可憐に咲き誇る。宸殿前に広がる白砂の庭も美しく、五大堂から見渡す大沢池の眺めも素晴らしい。
推古天皇の時代、推古11(603)年に、豪族の秦氏が聖徳太子の命を受けて建立。本尊は聖徳太子像で、太子建立七大寺のひとつといわれる。霊宝殿の弥勒菩薩半跏思惟像は、国宝第1号の美しい仏像。
妙心寺西側に位置する塔頭で、室町時代の創建。国宝の「瓢鮎図」は瓢箪でナマズを捕らえるという禅の公案を絵にした初期水墨画の代表作。狩野元信作の枯山水もある。
平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が、清盛の愛を失ったのち、妹の祇女、母とともに出家し入寺した寺。深い緑に囲まれた境内に、ひっそりと茅葺きの草庵がたたずむ。
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