堺市街 x 見どころ・体験
堺市街のおすすめの見どころ・体験スポット
堺市街のおすすめの見どころ・体験ポットをガイドブック編集部が厳選してご紹介します。世界最大級の墳墓。5世紀中頃に築造される「仁徳天皇百舌鳥耳原中陵」、埴輪などが出土している古墳「御廟山古墳」、百舌鳥古墳群で最も新しいといわれる古墳「ニサンザイ古墳」など情報満載。
- スポット:40 件
堺市街のおすすめの見どころ・体験スポット
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仁徳天皇百舌鳥耳原中陵
世界最大級の墳墓。5世紀中頃に築造される
総面積約46万4000平方メートル、主軸の長さ約480mの前方後円墳で、世界最大級の墳墓。5世紀中頃に築造され、反正天皇陵、履中天皇陵とあわせて百舌鳥耳原三陵と呼ばれる。令和元(2019)年に「百舌鳥・古市古墳群-古代日本の墳墓群-」として周囲の45件49基の古墳群とともに、世界文化遺産に登録。
仁徳天皇百舌鳥耳原中陵
- 住所
- 大阪府堺市堺区大仙町
- 交通
- JR阪和線百舌鳥駅から徒歩10分
- 料金
- 無料
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 8:30~17:15(閉園、外観のみ)
百舌鳥八幡宮
由緒ある古社。境内の楠は樹齢約800年で圧巻。府の天然記念物
百古鳥古墳群の中に位置し、仁徳天皇陵などの大型古墳が垣間見える、6世紀中頃の創建と伝える古社。拝殿前のクスの巨木は樹齢約800年で府の天然記念物。中秋の名月に近い土・日曜に催される月見祭の大小16基のふとん太鼓の奉納行事は有名。
百舌鳥八幡宮
- 住所
- 大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町五丁706
- 交通
- JR阪和線百舌鳥駅から徒歩10分、または南海高野線百舌鳥八幡駅から徒歩12分
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 境内自由
本受寺
家康からたまわった渡海御朱印状が残されている
西宗真(洗礼名るいす)の菩提所。西るいすはフィリピンへ度々渡航していた堺の豪商で、寺内には家康からたまわった渡海御朱印状が残されている。るいすの由緒書がある。
浜寺公園「ばら庭園」
色とりどりのバラが咲き誇り、珍しい日本の自生種も見られる
6つのゾーンからなるバラ庭園は約27000平方メートルもの広さで、シーズンには一面に色とりどりの花をつける。5月上旬~6月上旬と、10月上旬~11月上旬の2度、見頃がある。
浜寺公園「ばら庭園」
- 住所
- 大阪府堺市西区浜寺公園町
- 交通
- 南海本線浜寺公園駅から徒歩8分
- 料金
- 無料
- 営業期間
- 3月16日~12月15日
- 営業時間
- 10:00~16:30(閉園17:00)
家原寺
本尊の文殊菩薩は「智恵の文殊さん」として有名
行基が生家を寺に創建したと伝える。本尊の文殊菩薩は「智恵の文殊さん」として知られる。合格祈願の落書き寺として有名だったが、現在は祈願のハンカチで埋めつくされる。
大安寺
中世の豪商納屋助左衛門の旧宅が本堂。狩野永徳作の襖絵で有名
中世の豪商納屋助左衛門が寄進した旧宅が本堂。狩野永徳作の襖絵は、金張りで鶴や松が描かれている。本堂とともに国の重文になっている。
大安寺
- 住所
- 大阪府堺市堺区南旅篭町東四丁1-4
- 交通
- 阪堺電軌阪堺線御陵前駅から徒歩7分
- 料金
- 拝観料=400円/
- 営業期間
- 春・秋期のみ
- 営業時間
- 9:00~17:00(閉門)
南宗寺
古田織部の作といわれる枯山水の名園がある。趣のある風情は必見
庭園は古田織部の作といわれる枯山水の名園(国の史跡)。寺域には、利休をはじめ千家一門、津田宗達・宗及父子などの墓や供養塔がある。仏殿、山門、唐門は国の重要文化財。
南宗寺
- 住所
- 大阪府堺市堺区南旅篭町東三丁1-2
- 交通
- 阪堺電軌阪堺線御陵前駅から徒歩5分
- 料金
- 入館料=大人400円、中・高校生300円、小学生200円/
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 9:00~16:00(閉門)
水野鍛錬所
ピンと張りつめた工房で職人の伝統の技を見る
昔ながらのふいごがある明治5(1872)年創業の刃物店。法隆寺解体修理の際、小鍛冶に選ばれた。店内には五重塔に現在も安置されている物と同じ魔除け鎌がある。
水野鍛錬所
- 住所
- 大阪府堺市堺区桜之町西一丁1-27
- 交通
- 南海本線七道駅から徒歩10分
- 料金
- 無料
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 9:00~18:00(閉館)、土・日曜、祝日は11:00~16:00(閉館)
妙國寺
樹齢1100年の大蘇鉄と土佐十一烈士ゆかりの寺
土佐十一烈士ゆかりのお寺。大蘇鉄は織田信長が所望して安土城へ移したが、毎夜「堺へ帰りたい」と泣き、再び返されたという伝説が残る。景観美を誇る蘇鉄の枯山水の庭も必見。宝物記念館もある。
フェニックス通り
戦後、復興のシンボルとして植樹されたフェニックスの木が並ぶ
不死鳥のように蘇らせたいと、戦後の道路行政の一つとして生まれた。日本の道100選にも選ばれている。名物のフェニックスの木は昭和30(1955)年に植樹されたもの。