東京 x その他史跡・建造物
東京のおすすめのその他史跡・建造物スポット
東京のおすすめのその他史跡・建造物ポットをガイドブック編集部が厳選してご紹介します。耽美主義派とも言われた谷崎潤一郎生地「谷崎潤一郎生誕の地」、赤穂事件で知られる播磨赤穂藩主、浅野内匠頭屋敷跡「浅野内匠頭邸跡」、石川啄木が3度目の上京時に執筆に勤しんだ下宿の跡地「赤心館跡」など情報満載。
- スポット:20 件
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東京のおすすめのその他史跡・建造物スポット
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谷崎潤一郎生誕の地
耽美主義派とも言われた谷崎潤一郎生地
耽美派の代表的作家である谷崎潤一郎の生地。明治19(1886)年、日本橋蛎殻町で生まれる。代表作には『刺青』、『蓼喰ふ虫』、『春琴抄』、『細雪』などがある。
横山家住宅
江戸時代に建てられた風格ある商家
万延元(1860)年の建造。地漉き紙問屋として栄えた家で、伝馬役を担ったことから伝馬屋敷とも呼ばれる。細格子造りの風情ある家で、千住宿の面影を感じさせてくれる。
築地小劇場跡
歌舞伎座の伝統とは違う方向での新劇拠点だった劇場の跡地
演出家の土方与志が私財を投じて設立し、大正13(1924)年に開場した劇場跡。建坪約260平方メートル、座席数468席で、歌舞伎座の伝統から離れた新劇の拠点だった。
松竹キネマ蒲田撮影所跡
数々の名作が生まれた地
大正9(1920)年、「東洋のハリウッド」を目標に、松竹が初めて撮影所を作った場所。跡地に建てられたビルの1階に、撮影所前の川に架かっていた「松竹橋」の親柱が残る。
新島襄誕生地跡
渡米して神学などを学び、同志社大学を創設した新島襄生誕の地
同志社英学校(同志社大学の前身)の創設者である新島襄が生まれた場所。22歳で渡米、キリスト教徒の洗礼を受け、神学・理学を学んだ明治時代の教育者。
松之大廊下跡
忠臣蔵の浅野刃傷事件の起きた跡地
浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかるという刃傷事件が起きた跡地。畳敷きで約36mの大廊下だった。廊下に沿った襖戸に松が描かれたことが名前の由来とされる。
松之大廊下跡
- 住所
- 東京都千代田区千代田1-1
- 交通
- 地下鉄大手町駅から徒歩10分
- 料金
- 無料
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 9:00~16:00(閉園16:30、時期により異なる)
浅野内匠頭終焉之地
一関藩主・田村右京太夫の江戸屋敷
内匠頭は幕命により、一関(現在の岩手県)藩主・田村右京太夫の江戸屋敷の庭で切腹。「風さそう花よりなほ我はまた春の名残をいかにやとせん」と無念の思いを詠んでいる。
喜之床跡
石川啄木が2年2ヶ月過ごした住居跡。現在は明治村に移築保存
石川啄木が明治42(1909)年より、2年2ヶ月過ごした住居の跡。旧家屋は春日通りの拡幅にかかり、昭和53(1978)年に解体。現在は明治村に移築保存されている。
湯島聖堂
綱吉が創建した歴史ある孔子廟
林羅山が上野忍ヶ岡に建てた孔子廟を、徳川綱吉が幕府立の孔子廟として元禄3(1690)年に創建。のちに幕府直轄の昌平坂学問所も併設された。土・日曜、祝日には大成殿内部も公開される。
湯島聖堂
- 住所
- 東京都文京区湯島1丁目4-25
- 交通
- JR中央線御茶ノ水駅からすぐ
- 料金
- 無料、大成殿内は200円
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 9:30~17:00(閉門)、10~翌3月は~16:00(閉門)、大成殿見学は10:00~閉門まで
菊富士ホテル跡
長期滞在者や大物財界人が泊まったホテルだったが戦火で焼失した
前身は下宿菊富士楼で、大正3(1914)年に菊富士ホテルを新築。後に長期滞在客相手の高等下宿になった。各界有名人が宿泊するサロンだったが、戦火で焼失し、現在は碑が残るのみ。
蘭学事始地
『解体新書』を完成させる苦労の様子を描いた『蘭学事始』
安永3(1774)年に前野良沢、杉田玄白らが、豊前国中津藩奥平家の屋敷で『解体新書』を完成させた。『蘭学事始』はその苦労などを描いた杉田玄白の著作。
雑司ヶ谷 鬼子母神堂
菩薩形で美しい姿の鬼子母神像
子育て・安産の神様である鬼子母神を祀っている。本殿は寛文4(1664)年に建立されたもので、平成28年に国の重要文化財に指定された。境内に立つ樹齢700年の大イチョウは都指定の天然記念物。
大安楽寺 江戸傅馬町牢屋敷御タク場跡
全国最大規模の牢獄であった伝馬町牢屋敷処刑場跡
伝馬町牢屋敷内の御タク場跡に、供養の為の延命地蔵がお祀りされている。向かいの石は、牢屋敷の石段の一部で、下には刀を洗ったと伝える井戸があった。
大安楽寺 江戸傅馬町牢屋敷御タク場跡
- 住所
- 東京都中央区日本橋小伝馬町3-5
- 交通
- 地下鉄小伝馬町駅からすぐ
- 料金
- 無料
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 8:30~17:00
築地外国人居留地跡
明治初期は各国公使館や領事館が軒を連ね外国人専用特別区だった
明治初期に外国人居留地のあった場所で、外国人の居住と通商のための専用特別区とされていた。当時は外国公使館や領事館などがあり、知識人が多く居住していたという。
宮沢賢治旧居跡
宮沢賢治が創作活動に励んだ長屋の跡地
賢治が大正10(1921)年に上京後、住んだ二軒長屋跡。案内板右手の建物2階に住んでいた。赤門前の印刷所で働きながら、布教と創作に励んだ。建物は平成2(1990)年に取り壊された。