春日山・直江津 x 見どころ・体験
春日山・直江津のおすすめの見どころ・体験スポット
春日山・直江津のおすすめの見どころ・体験ポットをガイドブック編集部が厳選してご紹介します。難攻不落を誇った謙信の山城「春日山城跡」、春日山城を守り、広く信仰された鎮守神「春日神社」、謙信が義の心を学んだ名刹「林泉寺」など情報満載。
- スポット:9 件
- 記事:3 件
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春日山・直江津のおすすめの見どころ・体験スポット
1~20 件を表示 / 全 9 件
春日山城跡
難攻不落を誇った謙信の山城
自然の地形を生かした壮大な山城で、曲くるわ輪、空堀、土塁などが築かれている。散策ルートを歩きながら、城のスケールの大きさを体感したい。最短ルートで往復約1時間。
春日山城跡
- 住所
- 新潟県上越市中屋敷他
- 交通
- えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン春日山駅から頸城バス直江津駅前行きで5分、春日山荘前下車、徒歩15分
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由
春日神社
春日山城を守り、広く信仰された鎮守神
奈良県春日大社の分霊を祀り、天徳2(958)年に春日山の山頂に建立。春日山城築城の際、鬼門の神様として現在地に遷座。
春日神社
- 住所
- 新潟県上越市春日18
- 交通
- えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン春日山駅から頸城バス直江津駅行きで6分、林泉寺入口下車、徒歩5分
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 境内自由、社務所は6:00~18:00(時期により異なる)
林泉寺
謙信が義の心を学んだ名刹
500年以上の歴史がある古禅刹。謙信は7歳からここで学問を学び、住持の天室光育の訓育を受けたことが、のちの生き方に大きな影響をおよぼした。
林泉寺
- 住所
- 新潟県上越市中門前1丁目1-1
- 交通
- JR北陸新幹線上越妙高駅からタクシーで20分
- 料金
- 大人500円、小・中学生250円 (25名以上の団体は1割引、障がい者は1割引)
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 10:00~16:00
春日山城史跡広場
土塁や堀、道掘立柱建物などが復元され中世の春日山城を体感
春日山城跡の北東端を占める楼門地区を整備した史跡公園。発掘調査の成果に基づき、総構の土塁、堀等を復元してあり、戦国期の大成郭が体感できる。
春日山城史跡広場
- 住所
- 新潟県上越市大豆334
- 交通
- JR信越本線直江津駅から頸城バス春日山・佐内線中央病院行きで12分、ものがたり館入口下車すぐ
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 見学自由
春日山神社
山形県米沢市の上杉神社より分霊され上杉謙信を祭神に祀った神社
旧高田藩士小川澄晴が前島密の協力を得て、明治34年に建立した神社。米沢上杉神社より上杉謙信公の御分霊を迎え、春日山城の一角に創建したとされる。
春日山神社
- 住所
- 新潟県上越市大豆1743春日山城跡
- 交通
- えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン春日山駅から頸城バス直江津駅前行きで5分、春日山荘前下車、徒歩15分
- 料金
- 記念館入館料=200円/
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 境内自由(記念館は9:30~16:30<閉館>)
本願寺国府別院
親鸞の草庵跡に建つ仏閣
親鸞が五智国分寺の「竹之内草庵(現在の国分寺境内)」から移住した「竹ヶ前草庵」跡に文化2(1805)年に建てられた寺院。境内には配流時の親鸞一行を再現したといわれる像が建つ。
本願寺国府別院
- 住所
- 新潟県上越市国府1丁目7-1
- 交通
- JR信越本線直江津駅から頸城バス春日山・佐内線中央病院行きで10分、国府別院前下車すぐ
- 料金
- 情報なし
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 境内自由
光源寺
本堂と御影堂を併設
親鸞の弟子、最信が開基。天正3(1575)年、教如より寺号を賜り、のち高田別院の支院として国府御坊と呼ばれたが、その後光源寺と併せて一寺となった。本堂と御影堂が併設されている。
五智国分寺
親鸞が庵を結んだ地
奈良時代に創建された国分寺の面影を残す寺。越後に配流された親鸞が編んだ「竹の内草庵」はここ。境内には十二支や二十四孝の彫刻が四方に施された江戸期の三重塔が立つ。
五智国分寺
- 住所
- 新潟県上越市五智3丁目20-21
- 交通
- JR信越本線直江津駅から頸城バス春日山・佐内線中央病院行きで7分、五智国分寺裏門下車、徒歩3分
- 料金
- 本堂案内(ガイド料)=100円(1名)/
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 境内自由(ガイドは9:00~15:00<最終、要予約>)
福島城跡
わずか7年で廃された短命の城
福島城は、豊臣秀吉の重臣・堀秀治が築城を始め、慶長12(1607)年、その子・忠俊の代に完成。しかしわずか7年で廃され、現在は古城小学校校庭に礎石の一部が残る。