150年の時を経てペリー提督と結ばれたご縁
岡本亀太郎本店の店先は、時間をかけて試飲をしながら保命酒を選ぶ人たちで賑わっていました。それもそのはず、岡本亀太郎本店では、数種類の保命酒が販売されているのです。
それぞれどんな味なのか気になりますが、いつもならお酒にまっしぐらな私ですら、店内に飾られた看板の荘厳さに立ち止まりました。保命酒と書かれた巨大な分厚い木板の周りを、迫力ある木彫りの龍がぐるりと囲んでいます。
これは1659(万治2)年に保命酒造りを始めた中村吉兵衛の中村家から、岡本家が引き継いだ看板で、この龍の目は保命酒の歴史を見守ってきたのです。看板の裏には、福山城から移築してきた門が壁のようになっています。
中村家の看板も、福山城の門も、歴史を引き継いでいる岡本亀太郎本店の岡本良知社長は、保命酒の歴史も大切にしながら、今日も酒造りを続けています。
私が保命酒について知った時、同時に聞いた「ペリー提督が飲んだ」という歴史を明らかにしたのも岡本社長でした。
「60年前に祖母が下田に旅行に行った時に、ペリー提督のポストカードを買ってきました。そこには保命酒の文字が書かれていたのです。鞆の浦で造っている保命酒の名前がどうして下田で見つかったのか気になって、私が2005(平成17)年に広島県立歴史博物館へ問い合わせたところ、当時、老中首座で、福山藩主でもあった阿部正弘がペリー提督に饗宴で振る舞った、ということがわかりました」
つまり、それまでペリー提督が飲んだ事実は、あまり公になっておらず、信じられてもいなかったのです。しかし、下田にはペリー提督が来日した時の日記が残っており、そこには保命酒が振る舞われた思い出が書き記されていました。
「2005(平成17)年に下田開港150年を記念して、ペリー提督の子孫が来日する機会がありました。そこに保命酒を持って駆けつけたところ、保命酒はまだあるのかと気にかけていた子孫から歓迎されました」
店内のカウンターでそう話す岡本社長の背後には、岡本社長とペリー提督の6代目の子孫に当たるフレデリック・ニコルズさんの笑顔の2ショット写真が飾られています。
看板の龍の目に見守られながら、ペリー提督にも振る舞われた保命酒を飲みました。
スタンダードな保命酒のアルコール度数は13~14%ほどですが、岡本亀太郎本店では度数が40%の保命酒も製造しています。度数が高くなると、甘みが抑えられて、薬草の香りがぐっと引き立ち、アルコールを楽しんでいる満足感が高まりました。海外でも、カクテルのリキュールとして愛用される様子が見えるようです。
また、岡本亀太郎本店では、あまりお酒を飲まない人でも飲みやすいように、梅、杏、生姜を使った爽やかなフレーバーの保命酒も造っています。
そのまま飲んでもおいしいのですが、中でも杏を使った「杏子姫」はカクテルにも使用しやすく、スプモーニ(杏子姫をグレープフルーツジュースとトニックウォーターで割った爽やかなカクテル)や、保命酒サンライズ(杏子姫をオレンジジュースで割って、グレナデンシロップを注いだフルーティーなカクテル)など、飲み方は無限大。
どの保命酒も様々な土地やシチュエーションで飲まれているところがはっきりと想像できて、世界が広がっていくようでした。
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