更新日: 2024年9月18日
山形・新潟間に食い込む福島の「盲腸県境」 地図の〝気になるツボ〟を本当に歩いてみた【vol.01 飯豊山・前編(福島県喜多方市)】
地図を眺めまわすのが好きで、時間があれば地図ばかり見ている。
子どもの頃からそうだったので、インターネットで詳しい地図が自由に見られるようになると、貪るように日本、そして世界とさまざまな場所を日がな一日眺めまわしている。
四六時中地図を眺めているので、あれ? ここなにか変だな? と思う場所もいろいろと出てくる。
一見普通の県境だが拡大してみると……
皆さん、お手元にある福島県の地図を見てほしい(なければ、インターネットの地図でもかまいません)。
福島県の左上のほう、山形県と新潟県と福島県の三県が1点に接している場所になにか違和感を感じないだろうか?
縮尺が小さい地図(簡略化した地図)だと気にならないか、省略してあるかもしれないが、大縮尺(詳細な)の地図だと山形県と新潟県の間に、ほそなが~い福島県が伸びている様子が見て取れないだろうか?
ズームアップができるネットの地図で見ると、この細長い福島県は福島県喜多方市山都町一ノ木であり、細くなっている最初の部分から、山道に沿って8キロほど続き、途中に山小屋や、飯豊山神社、飯豊山の山頂などの施設がいくつかある。
異常に細くなっている境界というのは日本にいくつかある。県境に限らず、市町村境にまで観測の範囲を広げると、静岡県沼津市や長野県立科町など、思い当たる自治体が挙げられるかもしれない。
しかしながら、県境で8キロほども細長い領土が続く場所は、日本全国の県境を探しても、ここ以外にはない。
僕は勝手に「盲腸県境」などと呼んでいるが、いったい現地はどんな感じになっているのか……というのは常に気になっていた。
ただ、この盲腸県境は、飯豊山という標高2000メートルを越える高山である。登山初心者でもない。まったくの登山素人が気軽に行って見て帰ってこれるような場所では……ない。
しかし、県境がどうなっているかは現地で見てみたい……このアンビバレンツな思いを抱えたまま数年が過ぎ去った。
そんなおり、「お仕事として飯豊山に行きませんか?」というありがたいお誘いが、出版社の編集者であるSさんからあった。
この機を逃すと一生行けないだろうという気持ちで、二つ返事で、この盲腸県境に行くことになった。2015年8月のことだ。
中〜上級者向けなので二泊三日で飯豊山へ
飯豊山の登山は、中級者から上級者向けといわれている。おそらく、初心者が麓の登山口から山頂まで日帰りで行って帰ってこられるような生易しい山ではない。
「細長い県境が見られたらおもしろいな~」ぐらいのふざけた気持ちで行くことになったが、実際にふざけた気分で行くと死んでしまう可能性があるので、死なないためにしっかりと登山計画を立て、二泊三日の予定を組んで登ることになった(とはいうものの、同行してくれたSさんに任せきりだったのだが)。
浅草駅から電車を乗り継ぎ、福島県の山都駅にやってきた。
山都駅から飯豊山の麓にある民宿に向かうが、その途中にある飯豊山神社に立ち寄った。
この神社、ちょっと不思議な構造になっており、社殿と鳥居の向きが90度に曲がっている。
神社は普通、鳥居の向こうに社殿が見えるようになっているところが多いと思うが、この神社は違う。
この飯豊山神社は麓宮であり、奥宮は飯豊山の上にある。そのため、この鳥居の向きは飯豊山の奥宮を向いているのだろう。
「飯豊」の由来は、その漢字の意味の通り、会津盆地から見た山容が、飯を豊かに盛ったように見えるから名付けられたといわれるが、他にも説はあり、『豊宇気毘売神(トヨウケビメ)』の神域であったこの地に『飯豊青皇女(イイトヨアオノヒメミコ)』が使いを遣わし、御幣(みてぐら)を奉納したことにちなみ飯豊と呼んだのが由来であるという説。イイトヨが古代の日本語で、フクロウを指す言葉である説などさまざまなものがあり、よくわかっていない。
飯豊山神社の由緒は古く、飛鳥時代の652(白雉3)年に、唐の国(中国)から渡来した知道と、役行者が飯豊山に登頂し、飯豊山を祭神として祀ったのが最初といわれている。飯豊山は空海や行基も登山したといわれている。
飯豊山は福島県の会津地方だけでなく、新潟県や山形県の麓となる地域にも広く信仰されており、特に山形県は飯豊町という町名にまでなっている。
この飯豊山神社の信仰は、飯豊山の盲腸県境の存在に多大な影響を及ぼすわけだが、それに関しては後ほど説明することにする。
冒頭の急登坂で早くも半死半生
さて、飯豊山に登るために民宿にやってきたが、すでに夕方であるので、まずは麓の民宿で一泊する。
しかし、翌日の登山の苛烈さを思うと、不安のほうが競り勝ってしまい、うまそうな民宿の晩ごはんもあまり味を覚えていない。そして、まんじりともせず床につき、ついに翌朝となった。
早朝に民宿を立ち、同行のSさんと山岳ガイドのHさんと合流。
飯豊山には、坂道はゆるやかだけれど距離の長い登山ルートと、坂道は急だが距離の短い登山ルートがあり、今回はHさんの判断で、後者のルートで行くことになった。
坂道が緩やかだといっても、急坂であることはあまり代わりがないため、距離の短いほうが良いという判断だ。
しかしながら、今回の登山ルートは、登山道といっても沢の横の崖をよじ登る「おいおい、ほんとに登山道か?」と疑問を呈さざるを得ない箇所が次から次へと現れる。自分の中での体感HP(ヒットポイント)は、半分以下にまでなっている。
Hさんは70歳近い年齢だが、マラソンランナーのような締まった体つきで、巌しい山道をひょいひょいと跳ねるように登っていく。
一方、一年中椅子に座ってパソコンのキーボードを叩いて暮らしている当方は、やせ衰えた筋肉にたるんだ腹部を抱え、半死半生の状態で崖をよじ登っていく。
数時間かけて、山の尾根に到達する。沢の爽やかな沢の水音と鳥の鳴き声が渓谷の下から聞こえてくる。
「剣ヶ峰」の名に偽りなしの鋭い稜線
さらに進むと、今度は植物がほとんど生えていない、岩だらけの「剣ヶ峰」と呼ばれる稜線を歩くことになる。
見てもらえばわかるけれど、両側が切り立った崖になっているため、落ちたらシンプルに死ぬ。
ちなみに、この部分は稜線に沿って山形県と福島県の県境となっている……のだが、今はそんなことを言って喜んでいる余裕はない。まったくない。
普段の不摂生を恨みつつ、本当に申し訳ないけれど、Hさんにお願いし、休憩を多めにとりつつ少しづつ進む。
ヒィヒィ言いながら、三国避難小屋(以降、三国小屋)にやっとこさ到着する。
三国という名称でピンときた人も多いかもしれない。ここは、越後(新潟県)、出羽(山形県)、陸奥(福島県)が集まる地点であり、この三国小屋のある場所から、あの盲腸県境がスタートしているのだ。
三国というからには三県境があるような気もするが、ここから盲腸県境が8キロほど先まで続くので、三県境はその先にあることになる。
いよいよ「盲腸県境」の中枢へ突入
細長い県境はどんなふうになっているのか……。
ちょうどもやがかかってしまったためよくわからないが、細長い県境はちょうど山道に沿うようにあることがわかる。
この盲腸県境は、一番狭いところで幅90センチほどの山道に沿って引かれているらしい。地図は実際の県境の幅を忠実に描くと、県境の点線の幅より細く描かなければいけなくなるので、実際よりかなり太く描かれている。
ひとまず、細長い県境がどうなっているのかはこの目でしかと見届けた。
飯豊山山頂への道中と、そもそもなぜこんな奇妙な県境ができたのか。次回はそれについて書くことにしたい。
PHOTO:西村まさゆき
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【筆者】西村まさゆき
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地理・地図・歴史分野の執筆が多い社会科ライター。移動好き。好物は海藻。東京都中央区月島在住(鳥取県倉吉市出身)。著書に『日本の路線図』(三才ブックス)、『たのしい路線図』(グラフィック社)、『ふしぎな県境』(中公新書)『ファミマ入店音の正式なタイトルは大盛況に決まりました』(笠倉出版社)。