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大井川に小夜の中山……七転八倒の難所越え!! 東海道五十三次ちょこっと半日ハイキング【vol.06 島田宿~金谷宿~日坂宿】

加藤きりこ

更新日: 2024年12月25日

大井川に小夜の中山……七転八倒の難所越え!! 東海道五十三次ちょこっと半日ハイキング【vol.06 島田宿~金谷宿~日坂宿】

江戸と京を結んでいた一大街道である東海道。道路や市街地は開発によってかつての面影のないところも多いですが、山道などには昔からの石畳が残っていたり、復元されていたりと当時の風情が感じられます。

今回は、静岡県にある島田宿から、難所とされた大井川を越えて日坂宿まで歩く旅です。

大井川に架けられた長い橋・蓬莱橋

JR島田駅に降り立ちます。ここから少し北に向かった大通り沿いがかつての旧東海道で、江戸から23番目の宿場の島田宿が広がっていました。

しかしこの日はまず、旧街道の方へは向かわず、駅の南口に出ます。徒歩20分ほど行くと大井川に行き当たり、そこには世界一長い木造歩道橋とされる「蓬莱橋(ほうらいばし)」がかけられています。全長897.4m、明治時代に造られた農業用の橋です。江戸時代にはなかった橋ですが、昔の風情を感じさせてくれる姿は寄り道してでもぜひ見てみたいもの。

現在も農道としての役割を持ちつつ、ロケ地や観光スポットとしても人気で多くの人が訪れています。

木造の橋が真っすぐ対岸に伸びる様子は圧巻

この日は風が強く、川の上は吹きさらしです。強風のなかを、幅2.4mほどの木の橋の上を歩きます。橋の下を見ると、こちら側の岸の方は河原が広がっていて、向こうの岸に近づくにつれて水の流れが増えていきます。今でこそ、水量はあまり多くはありませんが、かつては難所と呼ばれた大井川。川に架けられた、長く真っすぐ伸びる橋は、なかなかの壮観です。

蓬莱橋から見る河原が広がる大井川

ゆっくりと写真を撮りながら歩いたので、橋は往復で30分ほどかかりました。再びもとの岸の方に戻っていると、来たときはほとんど人がいなかったのに、橋の見物に来た人たちと多くすれ違うようになりました。

蓬莱橋を渡るには渡橋料100円が必要

川から離れ、市街地の方へ行き旧東海道を歩きます。「大井神社」という大きな神社があったので、旅の無事を祈願しました。お参りを済ませて神社を出ると、道路の向こうに「西桝形跡」の案内板が見えます。桝形とは、宿場の端で防衛のために道を二度直角に曲げた場所のこと。どうやらここが、島田宿の京側の端のようです。

島田宿の西の端にある大井神社

※国土地理院(電子国土Web)にスポットとルートを追記

現代になって架けられた鉄橋で大井川を渡る

ここからさらに道を西進すると、やがて古い平屋の建物が並ぶ街並みが街道沿いに現れました。ここは「大井川川越遺跡」と呼ばれる場所。かつて、大井川を渡る際にはここで料金を払って人足を雇って向こう岸まで渡ったのです。

大井川川越遺跡の風情ある街並み

江戸時代は、大井川に橋を架けたり、船で渡ることが禁じられていました。そのため、旅人は川越人足を雇い、肩車や連台という台に乗るなどして人力で川を越えていたのです。通常時の水位は76cnほどでしたが、川が増水して約136cmを越えると川留めとなって渡れなくなってしまいました。そうなると、水が引くまで何日も周辺の宿場に足止めされてしまうため、当時は東海道のなかでも難所とされていました。

歌川広重「東海道五拾三次 嶋田 大井川駿岸」/出典:国立博物館所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10594

今はもちろん、川を越えるには橋を歩くことになります。遺跡近くから川沿いに北上し、大井川にかけられた鉄橋の大井川橋を行きます。あいかわらず風は強く、太陽は眩しくて目が開けられませんでした。現代でもある意味、難所のようです。

大井川橋を歩いて川を渡ります

平坦ながらもなかなか大変な道のり

ようやく橋を渡りきると、「八軒屋橋」というかつての橋の跡にやってきます。ここが、次の「金谷宿」の東側の端になります。思ったよりも近く感じました。ここにはいろいろな案内板や碑が設けられています。

大井川鐵道の新金谷駅近くまでやってきました。すると、駅の方から蒸気の音が聞こえてきます。大井川鐡道といえば、観光用に走るSLが有名。わくわくして踏切を渡ったところで駅の方を見ると、ホームに停まっていたのは、予想に反して青い車体。そこにいたのはなんと機関車トーマスでした。近くにいた親子連れは大喜びしています。けれど、真っ黒いSLが停まっているのを期待していた私は、ちょっぴり意気消沈。トーマスで素直に喜べないのは、年を取ってしまったからでしょうか……。

駅に停まっていた機関車トーマス

次第に金谷の街の中心部へ近づいていきます。店などが増えていきますが、人でにぎわっているというわけではなく、かつての宿場町も今はひっそりと静かな町でした。正午を回り、もう腹ぺこですが、目についた食堂は残念ながら定休日。仕方がないので、我慢してそのまま歩き続けることにしました。

金谷宿を通り過ぎて石畳ののぼり坂へ

JR金谷駅の手前に一里塚があり、そこから道を左折。高架になっている線路の下をくぐり、駅の反対側に出ます。やがて、金谷宿の西側の入り口にかかっていた「金谷大橋跡」をすぎて、のぼり坂を進みます。

JR金谷駅近くの一里塚跡

車道を横断して、「石畳入口」と大きく書かれた案内板のところから脇の道へと入ります。ゆるやかなのぼり坂が続き、石畳茶屋の建物の辺りから石畳の道が始まります。
道の両脇には木々が生い茂り、影を落としています。今にも雨が降り出しそうで、薄暗い雰囲気がちょっと不気味でした。湿った石畳は滑りやすいので、気を付けて歩を進めます。

金谷の石畳の入り口

木々に囲まれ濡れた石畳ののぼり坂

坂道の途中に「すべらず地蔵尊」があり、その周りにはたくさんののぼりが立っていました。「すべらず地蔵尊」というだけあるので、やはりここでは転ばないように旅の無事を祈願しておくべきでしょう。なかなかきつい坂道が続きます。

次第に木々が開けて明るくなってきました。石畳の終わりが見えてホッとします。20分ほどのぼってようやく、舗装された道路に出ました。道の脇には茶畑が広がっています。さすが静岡県はお茶の名産地。のぼってきたこの辺りは、牧ノ原台地の上にあたります。牧ノ原台地は静岡県でも有数の茶の産地です。

牧之原大地の茶畑

しばらく進むと、右手にとある見学施設が見えてきました。そこは「諏訪原城跡」という山城の跡でした。戦国時代、武田勝頼が家臣に命じて築きましたが、やがて徳川家康に攻め落とされたのだそう。今も、丸馬出や横堀などの遺構がきれいに残っていて、その見事な様子を見学することができます。この日は先を急ぐため、泣く泣く立ち寄るのをあきらめましたが、いつかゆっくり見てみたいなと思いました。

「諏訪原城跡」をすぎ、大きな道との交差点に差し掛かると、その角にロッジ風の外観の喫茶店「こもれび」があるのが見えました。我慢して歩いてきてだいぶ空腹だったので、ここで昼食にすることに。中に入ると店内は結構にぎわっています。パスタセットとケーキを注文し、ゆっくり食事をして、1時間近くも休憩してしまいました。

諏訪原城近くの店で昼食

間の宿へと下っていく坂道を進む

店を出るとそのすぐ脇に、石畳の下り坂が伸びていました。この坂は菊川坂といい、石畳の一部は江戸時代から残っているものだそう。こうして残された実際の石畳を歩いていると、まるでタイムスリップしたかのような不思議な気持ちになってきます。

石畳にはどこから落ちてきたのか、白い花びらが散らばっていました。その風情ある様子を楽しみながら歩いていると、やがて石畳の終わりが現れました。舗装された道に出ると集落が広がっています。ここは、「間の宿(あいのしゅく)菊川」。「金谷宿」と「日坂宿」の間で、この後に控える難所の峠に備えて旅人たちが休憩した地です。

菊川坂を下ると「間の宿の菊川」が見えてきます

※国土地理院(電子国土Web)にスポットとルートを追記

菊川をすぎる辺りで、旧東海道の一部が道路工事のため通行止めに……。しかし、旧東海道を歩く人たちのために、迂回路の案内がされていました。
案内に従って坂道をのぼっていきます。左手には茶畑が広がっていて、その向こうには山々が連なっています。道は、先を見ただけでうんざりするほどの、まるで天に伸びているような急勾配の坂道です。この日の気温はさほど高くはなかったのですが、何度も坂をのぼったり下ったりしているうちに、だいぶ汗だくに。着ていた上着を脱いで歩くほどでした。

道の脇には、この辺りの茶畑を営んでいる農家さんであろう民家が数軒立っていました。こんなキツイ坂道のところで暮らすのは大変そうだなとつい思ってしまいました。

まだまだ続くのぼり坂にため息をつく

辺りに集落が広がり始めたころ、ようやく坂道をのぼりきります。この辺りは、平安時代の歌人・西行が歌に詠んだ「小夜の中山」です。

「小夜の中山」は、箱根峠や鈴鹿峠と並んで東海道の三大難所といわれていました。昔は山賊も現れた危険な地で、その山賊に襲われて殺された母親が、生まれた赤ん坊を助けるために石に乗り移って泣いたという伝説の「夜泣き石」が今も残されています。また、その伝説にちなんで生まれた名物の「子育て飴」は、現在も街道沿いの店で販売されています。

「小夜の中山」に伝わる伝承の「子育て飴」の店

集落をすぎるとようやく下り坂に。きつい道のりの連続に疲労もピークです。あいかわらず周囲は茶畑だらけ。途中、鉄塔が立っていたのですが、その下まで、お茶の木が植えられているのには驚きました。降ったりやんだりする雨に、折り畳み傘を何度も開いては閉じて歩いていました。

雨に濡れた急坂で転ぶハプニング

間もなく日坂宿という地点までやってきます。ここは「二の曲り」と呼ばれる、古くから難所とされている場所です。勾配のきつい下り坂がつづら折りになって続いています。道には落ち葉が積もり、それが雨に濡れて非常に滑りやすくなっていました。転ばないように注意して下っていたのですが、つい足を滑らせて尻餅をついてしまいました。慌てて立ち上がって、お尻の汚れを払い落とします。周りに人がいなくてよかったです。それにしても、金谷の石畳の「すべらず地蔵尊」をお参りしたのに、ここまで来て転んでしまうなんて。

二の曲りですべって転んでしまいました

なんとか坂を下りきり、大きな道路を横断してその先に続く道に入ると、そこが日坂宿の中心部でした。「扇屋本陣跡」には大きな門が復元されていて、道の両脇にはかつての旅籠などの古い建物が並んでいました。そのうちの一軒は、近年まで割烹旅館として営業していたのだとか。できれば営業しているうちに訪れてみたかったものです。

本陣跡には立派な門が復元されていました

日坂宿を歩いていると、だいぶ日も傾いてきました。このまま掛川宿のあった掛川駅まで歩くこともできますが、3つの宿場を歩き通してきてだいぶ疲れていたので、今回はここまでに。日坂宿を抜けたところの事任八幡宮をこの日のゴールとし、ここからはバスに乗って掛川駅まで行くことにしました。きつい坂道が続くコースでしたが、旧街道らしい風景が多く見られる旅でした。

<データ>
■府中宿~丸子宿~岡部宿
【距離】約13.5km
【所要時間目安】約8時間

※国土地理院(電子国土Web)にスポットとルートを追記


※ルートは本記事のものです。一部、旧東海道とは異なる場合があります

PHOTO:加藤きりこ(特記以外)

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

【筆者】加藤きりこ

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    秋田県生まれ。編集プロダクションで旅モノ、歴史モノ、交通系を中心に書籍の制作に携わり、現在はフリー。数年にわたり東海道五十三次を歩く旅を続けており、全宿踏破を目指している。2023年にようやく半分の袋井宿を通過し、今も京都を目指して西進中。