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【光秀最後の戦い】~光秀家臣団が見せた決死の戦い~

【光秀最後の戦い】~光秀家臣団が見せた決死の戦い~
画像提供:らくたび 勝竜寺城公園

13日、「山崎の戦い」が勃発。秀吉の軍勢は四国討伐に向かっていた信孝の軍も加わり、約4万近くに膨れ上がっていました。一方、光秀は手勢の部隊に僅かに3千が増えただけの1万6千。午後4時に両軍が全面衝突。

明智軍の将兵は中央に陣取った斎藤利三から足軽に至るまでこの主君のためならと強い結束力を見せて、劣勢ながらも一進一退の凄絶な攻防戦を繰り広げます。

戦闘開始から3時間後の午後7時。圧倒的な戦力差が徐々に明智軍を追い詰め、最後は三方から包囲され壊滅しました。光秀は撤退命令を出し、一旦勝龍寺城に入りましたがここも秀吉軍に囲まれたため、夜陰に紛れて脱出し、再起を図るべく坂本城を目指しました。

勝竜寺城公園

住所
京都府長岡京市勝竜寺13-1
交通
JR京都線長岡京駅から徒歩7分
営業期間
通年
営業時間
9:00~18:00(11月~翌3月は~17:00)
休業日
無休(12月28日~翌1月4日休)
料金
無料

【光秀最期の地へ】~再起を目指した必死の敗走も、悲運に襲われる~

【光秀最期の地へ】~再起を目指した必死の敗走も、悲運に襲われる~
画像提供:らくたび 明智藪

しかしその思いむなしく同日深夜、小栗栖の竹やぶを13騎で敗走中に、落武者狩りをしていた土民(百姓)・中村長兵衛に竹槍で脇腹を刺されて落馬。光秀は既に致命傷を負っており、家臣に介錯を頼んで自害したといいます。

15日、光秀の居城坂本城は秀吉の大軍に包囲され、家宝を天下の宝として秀吉軍に引き渡した明智秀満は、光秀の家族を先に逝かせ、城に火を放ち自刃し、明智光秀の謀反はここに終わりました。

光秀の最期は誰も見たものはなく、生存説なども囁かれますが、一般的に終焉の地とされる明智薮は、わずかながらも小栗栖に現存し、近くには胴塚も伝えられています。また家臣によって首が知恩院を目指して運ばれた結果、知恩院門前近くの白川付近に築かれたという首塚もあります。

京都市内に残る光秀ゆかりスポットにも行ってみよう

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画像提供:らくたび 金地院・明智門

これまで謀反人として語れたきた光秀ですが、その謀反以外においては、文化人、教養人としてだけでなく、合理的な考え方に基づき、軍法を制定、確かな戦略を持って戦うことができた希有な武将でした。

さらに統治の面でも亀岡や福知山では名君と愛されたように、優れた実績を作り上げ、家族はもちろん領民や家臣への愛情も深かったことが推察されます。まさに非の打ち所のない武将だったといえるでしょう。
だからこそ、信長からも全幅の信頼を置かれていたに違いありません。

光秀が起こしたこの日本史を揺るがす事件は、今なお永遠の謎に包まれていいますが、みなさんはどうお感じになられましたか。

光秀が残した明智門が、大徳寺を経て南禅寺の金地院に残り、光秀の寄進したお金によって造られた明智風呂が妙心寺に残るなど、京都市内にもゆかりの地が点在しています。ぜひ光秀の足跡を巡る旅もお楽しみください。

金地院

住所
京都府京都市左京区南禅寺福地町86-12
交通
地下鉄蹴上駅から徒歩5分
営業期間
通年
営業時間
9:00~17:00(閉門)、12~翌2月は~16:30(閉門)
休業日
無休
料金
見学料=500円/特別拝観(拝観料別途、要予約)=700円/茶室八窓席拝観(要予約)=大人700円、大学生600円、高校生500円、小・中学生400円/(障がい者100円引)
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【筆者】らくたび

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