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【日本の世界遺産】琉球王国のグスク及び関連遺産群(沖縄県)

【日本の世界遺産】琉球王国のグスク及び関連遺産群(沖縄県)
守礼門

2000年、沖縄本島に点在する城跡や名勝が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」と名付けられ、国内11件目の世界遺産として登録されました。

グスクは、城という文字が当てはめられることから、沖縄の古い言葉でのことを指しますが、聖地をさす語だともいわれています。

このグスクが造られるようになったのは12世紀頃のこと。按司(あじ)という権力者が集落ごとに現れ、互いに勢力を競い合うようになり、そして、石垣で囲ったグスクを造り戦いに明け暮れたといわれています。

14世紀になると、按司たちは、北山、中山、南山の3つの勢力(三山)にまとめられ、1429年、中山の尚巴志が三山を統一し、琉球王国が誕生しました。この尚氏の王統が拠点としたのが首里城で、1879年に琉球王国が沖縄県になるまで、国王の居城でした。

琉球王国は、独立国としての歴史を歩みましたが、中国に朝貢して王に任じてもらいながらも、江戸時代初めには、薩摩藩の侵攻を受けて、幕藩体制に組み込まれました。また、アジアの国々との交流を盛んに行いました。そうしたことから国際色かな琉球文化が生まれたのです。

グスクのほかにも、王室関係の遺跡や信仰の場が世界遺産に登録されています。

なかでも斎場御嶽は歴代の国王も参拝した最高の御嶽とされています。御嶽は日本本土の鎮守の森に似た聖地で、拝所が設けられています。沖縄には御嶽が現在もあり、信仰を集めています。

【基本情報】

登録年:1993年

構成資産今帰仁城跡座喜味城跡勝連城跡中城城跡首里城跡園比屋武御嶽石門玉陵識名園斎場御嶽

所在地:沖縄県国頭郡今帰仁村、中頭郡読谷村、北中城村、中城村、うるま市、那覇市、南城市

  • 行きやすさ★☆☆
  • 観光地としての充実度★★☆
  • フォトジェニ度★★☆

 

【日本の世界遺産】紀伊山地の霊場と参詣道(三重県・奈良県・和歌山県)

【日本の世界遺産】紀伊山地の霊場と参詣道(三重県・奈良県・和歌山県)
那智大滝

紀伊半島の大部分を占める紀伊山地は、標高1000mから2000m近くの山々がそびえ、年間降水量は3000mmにも達し、深い森を育んできました。そうした環境のなか、古くから山や滝などを信仰の対象とする自然信仰の精神が育まれ、6世紀の仏教の伝来以降は、真言密教など、山岳修行の場となっていきました。

平安時代になると、神道と仏教が結びついた「神仏習合」の思想の聖地として信仰を集め、のちに成立した修験道でも修行の場として重視されたのです。さらに、「末法思想」の流行により、死後に阿弥陀仏のいる極楽浄土への往生を願う浄土宗の教えが広まり、都の南方の紀伊山地に仏の住む浄土があると信じられ、霊場としての性質が強まっていきました。

世界遺産には、修験道の拠点とされる「吉野・大峯」、熊野信仰の中心となる「熊野三山」、真言密教の道場とされる「高野山」の3つの霊場とともに、それぞれの霊場を巡礼するための「参詣道」が登録されています。

これらは紀伊山地の豊かな自然環境ともあいまって、その景観が1000年以上も保存されているのです。

【基本情報】

登録年:2004年

構成資産吉野山吉野水分神社金峯神社金峯山寺吉水神社大峰山寺熊野本宮大社熊野速玉大社熊野那智大社青岸渡寺・那智大滝・那智原始林・補陀洛山寺・大峯奥駈道・熊野参詣道伊勢路・高野参詣道・丹生都比売神社金剛峯寺慈尊院丹生官省符神社・熊野参詣道中辺路・熊野参詣道小辺路・熊野参詣道大辺路

所在地:三重県尾鷲市、熊野市、度会郡大紀町、北牟婁郡紀北町、南牟婁、郡御浜町、紀宝町、奈良県五條市、吉野郡吉野町、黒滝村、天川村、野迫川村、十津川村、下北山村、上北山村、川上村、和歌山県新宮市、田辺市、橋本市、伊都郡かつらぎ町、九度山町、高野町、西牟婁郡白浜町、すさみ町、上富田町、東牟婁郡那智勝浦町、串本町

  • 行きやすさ★☆☆
  • 観光地としての充実度★★☆
  • フォトジェニ度★★★

【日本の世界遺産】知床(北海道)

【日本の世界遺産】知床(北海道)
画像:123RF 知床五湖

屋久島(鹿児島県)、白神山地(青森、秋田県)に次ぐ国内3番目の世界自然遺産。登録の決め手となったのは、海と陸の両方で展開される食物連鎖の特異性と、シマフクロウやオオワシ、オジロワシといった絶滅危惧種の重要な生息地になっているためです。

その連鎖の始まりは、遥かシベリア大陸のアムール川から押し寄せる流氷とされています。大陸を下った流氷には大量の植物プランクトンが付着しており、動物プランクトンの餌となります。サケやマスがその動物プランクトンを食べ、川をそ上する途中でヒグマやオジロワシなどの餌になります。また、産卵を終えたサケやマスは命を終え、豊かな土壌をもたらし植物を育てる…。

この複合的な海洋生態系と、原始性の高い陸域生態系との相互関係は世界的に類を見ない価値であり、多くの希少生物が暮らしているのも、自然のままの食物連鎖が形成されているからといえます。

知床では、“環境保護”の呼び声が盛んになるにおよんで保護活動が活発化しました。世界遺産への登録申請もその一環で、2004年、日本政府がユネスコに推薦。国際自然保護連合(IUCN)の調査などを経て2005年に、知床半島中部から先と沖合3kmの海上を含む計7万1100haが世界自然遺産として認定されるに至りました。

知床世界遺産センターでは詳しく世界遺産・知床を紹介しているので、ぜひ立ち寄ってみましょう。

【基本情報】

登録年:2005年

構成資産:知床半島中部から先と沖合3kmの海上を含む計7万1100ha

  • 行きやすさ☆☆☆
  • 観光地としての充実度★★☆
  • フォトジェニ度★★★

【日本の世界遺産】石見銀山遺跡とその文化的景観(島根県)

【日本の世界遺産】石見銀山遺跡とその文化的景観(島根県)
龍源寺間歩

石見銀山は、1526年に神屋寿禎という博多の商人によって発見されて以来、1923年の休山まで、約400年にわたって日本の銀の生産を支えました。16世紀半ばから17世紀前半の全盛期には、38tほどを産出した年もあったといわれています。

そのため、この時期に世界で産出される銀の3分の1ほどを占めたといわれる日本の銀のうち、多くが石見銀山で採掘されたと考えられています。

石見銀山の銀は、質が良く、海外にも多量に輸出されたため、中国などのアジア諸国と、ポルトガルやスペインなどのヨーロッパ諸国を交易によって結ぶ役割を果たしていたといわれています(三角貿易)。そうしたこともあり、16世紀後半にヨーロッパで出版された地図には、石見の位置とともに、そこに銀山があることが記されました。

世界遺産に登録された遺跡は、大きく3つに分類できます。

実際に銀を採掘した「金鉱山跡と鉱山町」、銀とともに銀山で必要な物資を運んだ「街道」、銀や物資の積み下ろしを行なった「港と港町」です。

登録にあたっては、自然を破壊せず、森林資源を適切に管理するなど、環境に配慮しながら採掘を行なった産業遺跡であることが評価されました。そのため、石見銀山の周辺には、今日でも豊かな山林が残っているのです。

【基本情報】

登録年:2007年

構成資産銀山柵内・代官所跡・矢滝城跡・矢筈城跡・石見城跡大森・銀山・宮ノ前・熊谷家住宅羅漢寺五百羅漢石見銀山街道鞆ケ浦道・石見銀山街道温泉津・沖泊道・鞆ケ浦・沖泊・温泉津重要伝統的建造物群保存地区

所在地:島根県大田市

  • 行きやすさ★☆☆
  • 観光地としての充実度★★☆
  • フォトジェニ度★☆☆

【日本の世界遺産】小笠原諸島(東京都)

【日本の世界遺産】小笠原諸島(東京都)
小笠原

小笠原諸島は、東京の都心から南南東方向の太平洋上に点在する、大小30ほどの島々の総称です。小笠原群島、硫黄島をはじめとした火山列島のほか、海底火山の噴火で知られる西之島、日本最南端の沖ノ鳥島、日本最東端の南鳥島も含まれます。

最も大きな島は父島で、周囲は約52km、面積は約24㎢で、約2000人が暮らしています。東京の都心部との距離は約1000㎞で、船による移動の所要時間は25時間ほどです。

小笠原諸島は、歴史上、一度も大陸と地続きになったことがない「海洋島」で、風や海流などによって偶然たどり着いた生物だけが独自に進化を遂げました。そのため、固有種が多く、その割合は、植物で36%ほど、昆虫で31%ほどですが、カタツムリなどの陸産貝類は、移動する力が弱いこともあり、94%にも及びます。

また、小笠原諸島で確認された在来種のなかで、IUCN(国連自然保護連合)のレッドリストに記載されている動植物は94種。うち、小笠原諸島を重要な生育・生息地とする種は、57種におよぶことから、希少動物の生息地でもあります。

小笠原諸島は、絶滅危惧種のアオウミガメの繁殖地となっています。

また、周辺の海は、イルカの生息地で、冬にはザトウクジラが、出産と子育てのためにやってきます。そのため、ホエールウオッチングやドルフィンウオツチングのほか、ダイビングやシュノーケリングといったマリンスポーツも楽しむことができます。

【基本情報】

登録年:2011年

構成資産:南北約400kmに渡って散在する小笠原群島と、硫黄島を含む火山列島など30以上の島々

所在地:東京都

  • 行きやすさ☆☆☆
  • 観光地としての充実度★★☆
  • フォトジェニ度★★★

【日本の世界遺産】平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群‐(岩手県)

【日本の世界遺産】平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群‐(岩手県)
画像:123RF 平泉

平泉は、平安時代末期の約100年にわたり、奥州藤原氏三代(清衡、基衡、秀衡)によって、独自の発展を遂げた地として知られています。

平泉の礎を築いた初代清衡は、この地を支配する豪族の安倍氏が朝廷に反発したことで起きた「前九年の役」では父を殺され、相続争いで異父兄弟と戦った「後三年の役」では妻子一族を殺されてしまいました。そこで、平泉を中心に奥州を治めることになった清衡は、仏の教えによる平和な理想社会「仏国土」を目指し、「これからは戦いのない世の中になるように」という願いを込めて、中尊寺を建立したといわれています。

約100年にわたり繁栄した平泉は、政治において、また経済的にも、都である京都に匹敵する勢力を誇ったとされており、当時の人口は5万人、あるいは10万人との説もあります。

この清衡の遺志を継ぎ、二代基衡は毛越寺を、三代秀衡は無量光院を建立し、極楽浄土の理想世界の実現を目指しました。

そうしたことから、仏教寺院や庭園群が「浄土思想」を具現化した貴重な文化遺産と評価され、世界遺産の登録に至りました。

【基本情報】

登録年:2013年

構成資産中尊寺毛越寺観自在王院跡無量光院跡金鶏山

所在地:岩手県平泉町

  • 行きやすさ★☆☆
  • 観光地としての充実度★☆☆
  • フォトジェニ度★★☆

【日本の世界遺産】富士山 ‐信仰の対象と芸術の源泉‐(山梨県・静岡県)

【日本の世界遺産】富士山 ‐信仰の対象と芸術の源泉‐(山梨県・静岡県)
富士山

富士山を世界遺産に登録しようという運動の端緒は、1990年代前半にさかのぼります。当初は自然遺産としての登録をめざす動きもあったが、ゴミやし尿処理の問題が指摘され、いったん見送りとなりました。

その後、山域に点在する信仰に関する貴重な遺産や、多くの文学や美術の題材となった芸術的価値に着目し、文化遺産登録をめざし運動が進められました。葛飾北斎らが描いた浮世絵の富士は、西洋のアートシーンにも大きな影響を与えたといわれています。

2007年、日本の世界遺産候補を示す暫定リストに登載され、その後日本政府がユネスコに推薦書を提出しました。それを受けてイコモス(国際記念物遺跡会議)による現地調査が行われたのです。

そして2013年、「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」として世界遺産への登録が実現。

その構成資産は、富士山のほか、浅間神社の総本宮、富士五湖、溶岩洞窟などがあります。

【基本情報】

登録年:2013年

構成資産富士山域(山頂の信仰遺跡群、大宮・村山口登山道、須山口登山道、須走口登山道、吉田口登山道、北口本宮冨士浅間神社、西湖、精進湖、本栖湖)・富士山本宮浅間大社山宮浅間神社村山浅間神社須山浅間神社冨士浅間神社(須走浅間神社)河口浅間神社冨士御室浅間神社御師住宅(旧外川家住宅)・御師住宅(小佐野家住宅)・山中湖河口湖・忍野八海(出口池)・忍野八海(お釜池)・忍野八海(底抜池)・忍野八海(銚子池)・忍野八海(湧池)・忍野八海(濁池)・忍野八海(鏡池)・忍野八海(菖蒲池)船津胎内樹型・吉田胎内樹型・人穴富士講遺跡白糸ノ滝三保松原

所在地:山梨県富士吉田市、身延町、鳴沢村、富士河口湖町、山中湖村、忍野村、静岡県静岡市、富士宮市、富士市、裾野市、御殿場市、小山町

  • 行きやすさ★★☆
  • 観光地としての充実度★★☆
  • フォトジェニ度★★☆
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