更新日: 2024年7月30日
【中銀カプセルタワービル(なかぎんカプセルタワー)】これで見納め!? 奇才・黒川紀章が手がけた宇宙船のような近未来ビル 名建築めぐり
みなさん「中銀カプセルタワービル(なかぎんカプセルタワービル)」をご存じでしょうか?
首都高を走っていると、東京・銀座界隈のビル群に見えてくる異彩を放つ外観、内部はまるで近未来SFに登場する宇宙船のような不思議な空間。世界的にもここにしか存在しないユニークな建築は、日本を代表する建築家・黒川紀章氏によるものです。近年では、フォトジェニックでSNS映えする空間が若者や海外の人々から注目を浴び、建築としても再評価されています。
しかし、1972年竣工の「中銀カプセルタワービル」は、長年、深刻な老朽化問題を抱えており、ついに2021年4月、解体・建て替えの計画を予定している不動産会社に敷地売却が決定、ビル存続の瀬戸際にあります。
そこでユニークで魅力あふれる「中銀カプセルタワービル」をたくさんの人に知ってもらうとともに、現存する姿を記録しておきたいと思います。保存活動のグループによる内部見学ツアーなども行われていますので、ぜひ今のうちに!
「中銀カプセルタワービル」ってどんな建物?
「中銀カプセルタワービル」は、1972年竣工(2021年現在で築49年)、地上13階建と11階建の2棟のタワーからなる世界初のカプセル型集合住宅です。重さ4トン弱のカプセルとよばれる住戸が140個、カプセル同士が接することなく独立した状態で、ビルのコア部分(エレベーターや配管などを集積した棟本体)にボルトで固定されています。設計者の黒川紀章氏が提唱するメタボリズム(新陳代謝)の考え方に基づき、“カプセル1つ1つが取り替え可能”という画期的なコンセプトが世界中から注目されました。また、カプセル1基のコストはトヨタ・カローラ1台分(1960年代当時の価格)以下というのも世間の話題となりました。
「中銀カプセルタワービル」は、本格的に居住することを想定しておらず、ビジネスの拠点や都心のセカンドハウス的な用途に応じた分譲型ビジネスホテルとして誕生しました。そのため、カプセルの広さは10㎡強のワンルームサイズしかありません。カプセルには、ビジネスライフ、アーバンライフに必要な設備として、当時最新のテレビやラジオ、電話、デスクや収納、オープンリールデッキ、そしてユニットバストイレが備え付けられている一方で、キッチンや洗濯機置き場は設けられていません。これは食事は外で済ませて、洗濯は当時マンションのサービスとしてあった、常駐コンシェルジュに頼むことができたからです。ちなみにお風呂も実際には不便で、住民の中には銭湯で済ます人も多いとか。つまり、カプセルは、住居としての多くの機能や役割を都市の方にアウトソーシングをした、個人のための最小限居住空間として設計されています。
「中銀カプセルタワービル」で実際に取り入れられたこの発想は、ミニマムでシンプルな暮らし方、デュアルライフ(二拠点居住)という考え方や、狭小住宅、モバイルハウス、スケルトンインフィル住宅といった建築手法など、まさに現代のライフスタイルを50年近くも前に先駆けて形にしたものと言えます。
カプセルが古くなったら交換することを前提に建てられたにも関わらず、実際には、コストの問題や、技術的な問題で、カプセルが取り替えられたことは一度もなく、また、35年以上、大規模修繕工事が行われておらず、カプセルやビルが深刻な老朽化にさらされています。
140室あるカプセル住居の中には、老朽化や雨漏り等によって、もはや使用できないものもありますが、しかし、今現在でも多くのカプセルが現役で、個人所有の分譲住居としてだけでなく、マンスリーリース、オフィス、スタジオなど、様々な用途に使用されています。そして、入居者の嗜好に合わせて、内装は自由にデザインされ、施工当時のままの宇宙船のようなカプセルだけでなく、茶室、モダンクラシック、サブカル満載の趣味の部屋など、十人十色のカプセルが生み出されるようになり、「中銀カプセルタワービル」は単なるレトロビルではなく、ちょっとしたカルチャー発信基地として注目を浴びています。
そんな「中銀カプセルタワービル」は、カプセルの老朽化や雨漏り、時代遅れの設備、狭小な空間といったネガティブ要素満載のカプセルでありながら、入居希望者の後は絶ちません。コロナ禍以前には、レトロフューチャー的なデザインが注目されて、世界中から月に約250人が見学に訪れるほどの隠れた人気スポットとなっています。
建築概要
名称:中銀カプセルマンシオン銀座(通称:中銀カプセルタワービル)
設計者:黒川紀章
竣工:1972年4月
住所:〒104-0061東京都中央区銀座8-16-10(最寄り駅:新橋駅・汐留駅)
敷地面積:441.89㎡
構造:鉄筋、鉄筋コンクリート造および鉄骨造
規模:地下1階、地上11階および13階建ツインタワー・カプセル式
高さ:42.13m+広告塔11.36m=53.5m
エレベーター:6人乗り 2基
カプセル数:140室
カプセル外形寸法:4,171×2,671×2,550=28,409㎥
カプセル自重:3,850kg(標準装備時)
間取り:ワンルーム・10m²(4.5畳)
竣工当時の1カプセルの価格:380万~480万円(現在の2000万~2500万相当)
建築家・黒川紀章とメタボリズム建築
建築家・黒川紀章ってどんな人?
1934年、愛知県生まれ。日本を代表する建築家。
京大建築学科を経て東大大学院博士課程へ進み、そこで「世界のタンゲ」と呼ばれた日本建築界の重鎮・丹下健三氏に師事。学生時代から、その類まれな才能と考え方は国内外から注目されたが、1959年には、自身の建築理論の根幹となるメタボリズムを提唱。1972年にはその考え方を取り入れた「中銀カプセルタワービル」を設計した。その後、国内外の美術館や空港、その他の公共施設など、多くの大規模プロジェクトを手がける。これらの業績に対して、建築界のノーベル賞といわれるフランス建築アカデミーのゴールドメダルを受賞。2007年には、妻で日本を代表する映画女優の若尾文子さんと共に政界進出を目指し、都知事選に出馬したことでも大きな話題となった。2007年、73歳没。
主な建築作品
1972年:中銀カプセルタワービル
1976年:青山ベルコモンズ
1977年:国立民族学博物館
1983年:国立文楽劇場
1990年:沖縄県庁舎
1998年:クアラルンプール国際空港
1999年:門司港レトロハイマート
2000年:大阪府立国際会議場
2000年:福井県立恐竜博物館
2001年:豊田スタジアム
2006年:国立新美術館
2008年:大阪府警察本部
メタボリズム建築とは?
1959年、黒川紀章氏や菊竹清訓氏、槇文彦氏ら当時の新進気鋭の若手建築家らが提唱した建築・都市計画に関する考え方です。メタボリズム=新陳代謝とは、古い細胞が新しい細胞に入れ替わるという生物学の用語ですが、建築や都市も、生物と同じように、時代やニーズに合わせて柔軟に成長・変化していくべきだという考えに基づいています。
具体的には、社会の発展や技術革新などによって、建築や都市の既存の機能が、古くなったり合わなくなった場合に、スクラップ&ビルドで、丸ごと取り壊して一から造り直すのではなく、その部分だけを随時交換したり、アップデートするなどして、時代の変化に柔軟に対応できるような仕組みを最初から備えた持続可能な都市や建築を目指しました。
黒川紀章氏の手掛けた「中銀カプセルタワービル」は、このメタボリズム運動が最も活発だった1970年初頭に生まれ、メタボリズム建築のシンボル的存在として国際的に知られています。
いざ!「中銀カプセルタワービル」の内部へ
「中銀カプセルタワービル」はその独特な外観だけでも非常に興味をそそられる建物ですが、やはり、中がどうなっているのか、気になりますよね??
「中銀カプセルタワービル」は、原則的に関係者以外は無断立ち入りが堅く禁じられており、また実際に住まわれている個人の方もいるので、断りなく入館したり撮影はNGです。
しかし、ご心配なく。このユニークな建物の価値を広く知ってもらおうと、一部の住人やオーナーらによる保存プロジェクト団体によって、定期的に内部の見学ツアーやイベントが催されており、それらに参加することで、「中銀カプセルタワービル」の内部を実際に見て回ることができます!!やはり、実際に現物を見ることで、この「中銀カプセルタワービル」の魅力を実感できるというもの、ぜひ機会があれば参加してみてください。(ただしコロナの状況、ビルの運営管理状況等によってイベントの有無は左右されますので、事前要確認・要予約)
本記事も、実際に「中銀カプセルタワービル」内部見学ツアーに参加した際に撮影した写真や解説をもとに、「中銀カプセルタワービル」の魅力をお伝えしています。
それでは、「中銀カプセルタワービル」内部へレッツゴー!!
まずは中銀カプセルタワービル共用部分をチェック
まずはエントランスですが、円形と正方形を基調にまとめられた昭和感満載の渋いファサードをしています。その無機的なデザインは、住居ビルというよりもむしろ、オフィスビル的な印象を受けます。あくまでビジネス向けをターゲットにしていたということでしょうか。それが、現代から見ればレトロな趣に感じます。
入り口の左にはビル名の標識が大きく飾られていますが、よくよく見ると、銘板の一部が欠損してしまって、「中銀カフセルタワーヒル」になっています。これも当ビルの老朽化を物語っています。ちなみに「中銀(なかぎん)」とは、「中央区銀座」の意味で、「中銀」グループはこの界隈を中心とした不動産を扱う会社です。
エントランスに入ると中央のフロントに管理人が駐在しています。竣工当時には、ここで部屋掃除や、クリーニングなど様々なルームサービスを受けることができたそうです。
「中銀カプセルタワービル」はA棟(13階建)、B棟(11階建)の2棟からなり、フロントから双方へ向けて通路が伸び、各棟のエレベーターへ続きます。このエレベーターは、ビル竣工時に設置された、相当に年季の入った代物で、今日まで騙し騙し運用してきましたが、ついに製造元から保守が打ち切られてしまったそうです。5人乗ればぎゅうぎゅう詰めの小さなエレベーターは、フロア到着時の衝撃もかなりのもので、ちょっとしたアトラクションのようです。
このエレベーターシャフトを中心として、螺旋階段が展開され、さらにその外側にブドウの房のようにしてコンテナがそれぞれ独立した状態でフックにぶら下げられています。(なので台風や強風時は結構揺れるのだそう)。この廊下代わりの螺旋階段部分も、かつては鮮やかなカラーリングが施されていたそうですが、今ではすっかり塗装も剥げてコンクリートむき出しの薄暗い感じになっています。カプセルは4.5畳ほどの狭小スペースしかないため、住人の中には、脱いだ靴や生活用品を廊下に置いている人もいて、生活感があります。
それでは、いよいよ「中銀カプセルタワービル」のメインとなるカプセルへ参りましょう。
”宇宙船”カプセル
さて、いよいよカプセル内部へ。ツアーでは、竣工時のデザインがほぼそのまま残されている数少ないカプセルの1つに案内されます。早速中へ入ると、シングルベッドを1つ窓際に置けば、もうほとんど足の踏み場がなくなってしまうほどの狭さ。わずか10㎡、4.5畳という大きさは知っていても、実際に足を踏み入れてみると、本当にミニマリズムの極致、必要最小限度の空間しかありません。それでも、どことなく落ち着くのは、子供もの頃に押し入れや物置の裏に、小さな小さな自分だけの空間=秘密基地を造ってワクワクしたあの感じに似ているからでしょうか。
この小さなカプセルの中で、ひときわ存在感を放っているのが、大きな大きな丸窓です。この丸窓は「中銀カプセルタワービル」のためだけに製造された特注品なのだとか。この丸窓、内側に開けることができるのですが、一度開けてしまえば部屋の自由がほぼ失われてしまいます。さらに二重窓になっていて、外側の窓は固定で開けることができないため、換気の機能も備わっていません。中央の丸には専用のブラインドがつけられていて、扇子のようにぐるっと閉じることができるそうですが、無用なので多くの住人が外していたそうです。このように、ほぼ機能的には無意味で、ただでさえ狭い空間を圧迫してしまう代物ですが、この丸窓こそが、近未来の宇宙船カプセルに乗り込んだような、SF的な世界観を演出していて、「中銀カプセルタワービル」の魅力を生み出す、最も重要な役割を担っているのです。
壁側には色々な器具がわずかな収納棚の中に備え付けられています。電話、テレビ、ラジオ、そしてなぜかSONY製のオープンリールデッキ。当時としては、最新のアーバンライフを満喫するあれこれが満載された夢のような部屋です。ちなみに今備え付けられているテレビやラジオ、回線を繋いでセッティングすれば、現役で使用可能なのだとか。手前の棚は開閉が可能で、ここを簡単な書斎代わりにして、書き物をしたり仕事をしたりできるようになっています。
バスルームユニット
4.5畳の小さな部屋の一角には小さな扉があり、そこを開けるとバストイレユニットです。この水回りを独特な曲線の壁で区切っているのには訳があって、角を取ることで可能な限り居住空間を確保し、圧迫感を軽減するための工夫が施されています。中を覗くと、シャワーやトイレ、洗面台も、うまく曲線を駆使してデザインが統一されています。
かつてはこのシャワーも使用できましたが、現在では、全館供給されていた温水の配管の不具合やボイラーの故障のためお湯が出ない状態だそうで、お風呂には入れないのだそう。代わりに、共用部に置かれている簡易のシャワールームを利用したり、近くの銭湯に通ったりしているのだとか。いやはや、「中銀カプセルタワービル」、何から何までクセがすごい。
また、オフィスやギャラリーなど、居住スペース以外の用途で利用されているカプセルでは、このバスルームユニット自体を撤去して、より広い空間を造ってリノベーションしているカプセルもあります。
老朽化した設備
2つのビルは、3階毎ごとにブリッジで連結されており、そこからカプセルの外側の様子が間近で確認できます。長年の雨風による錆や腐食ダメージがはっきりと見て取れます。また、カプセルからはいくつもの配管やダクトが、まるでツタのように垂れ下がっているのが見えます。これは、当初稼働していた空調の全体管理や温水システムが破損し機能しなくなり、各カプセルでそれらを処理する必要が生じたためです。
そのような問題に対応するために取り換え可能なカプセル式にしたはずなのですが、実際にはコンテナの交換が極めて困難なため行われませんでした。
しかも、室内にはエアコンの室外機や、温水装置などを置く場所が想定されていなかったため、それらが設置できる地上のスペースまで、わざわざ配管やダクトを引き延ばす必要が発生したのでした。そのため、まるで人工物が自然の植物に飲み込まれていくような廃墟的な光景が生まれることとなります。
カプセルはそれぞれ独立した状態で、棟本体にフックで吊り下げられてボルトで固定されています。それはカプセルの独立性を保つことで、ここのカプセルを交換することを可能にするためでしたが、実際には、カプセル同士の隙間はほんのわずかしかなく、カプセルを交換する作業や、配管をやりくりすることが現実的に不可能なため、色々な不具合が出たり、施設の更新ができない状態になっています。水回りの問題(水漏れなど)、通信設備の問題等々、現実的に居住するにあたっては、なかなか厄介な物件です。
それでもたくさんの人々がこの「中銀カプセルタワービル」を愛おしく感じるのは、いったい何の魅力があるのでしょうか。それは例えば、今はもう製造されていないクラシックなヴィンテージ車やアンティーク用品が、たとえ使い勝手が悪くても、その不憫さが逆に愛されていたり、自力でカスタマイズしていく楽しみがあるのと同じようなものではないでしょうか。そう考えると、「中銀カプセルタワービル」に今もなお世界中に根強いファンがいるのもうなずけます。
どうなる!?「中銀カプセルタワービル」のゆくえ
「中銀カプセルタワービル」、いかがでしたでしょうか。黒川紀章氏が提唱した斬新で大胆な発想が形となった、非常にユニークな名建築の魅力がご覧いただけたかと思います。建築としての重要性はもちろん、レトロフューチャーなデザインは、まさにSNS映え間違いなしの魅力にあふれていますね。
残念なことに、この「中銀カプセルタワービル」の今後は極めて不透明です。一度解体されてしまえば、おそらく二度とこのような尖がった建物は生まれないでしょう。願わくは、何らかの形で保存や移設などが実現してほしいものですが、いずれにせよ現存する形のままの姿を、今のうちに目に焼き付けておきたいものです。
この建物を愛する住人やカプセルのオーナーによる「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」によって建物に関する書籍や、リノベーションされた各カプセルの様子を収めた写真集が販売されています。そして「中銀カプセルタワービル」内部の見学ツアーが行われていますので、「中銀カプセルタワービル」についてより知りたい方はぜひ参加してみてください。
中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト
(↑↑↑見学ツアーや保存運動についてはこちら)
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