更新日: 2024年10月2日
【群馬】碓氷峠・アプトの道~遺構群を楽しむ廃線ウォーク!
碓氷峠と聞くと、皆さんは何をイメージされるでしょうか。
食通の方は「峠の釜めし」?
地理に詳しい方にとっては「軽井沢へ向かう際に通る山道」?
鉄道好きな方に同じ質問をすると「横軽(よこかる)」という単語が頭に浮かんでくるかもしれません。
横軽とは、すでに廃線となった旧信越本線が碓氷峠を越えていく区間、すなわち横川(群馬県)~軽井沢(長野県)間それぞれの頭文字をとった通称のことです。
この廃線跡の一部が遊歩道として整備され「アプトの道」と呼ばれていることをご存知でしょうか。
鉄道好きも、そうでない方も、当時鉄道が走っていた様子を想像しながらアプトの道を歩いてみませんか?
今回は、静かなブームとなっている廃線ウォークの楽しみ方をご紹介します!
目次
アプトの道とは?
今回ご紹介する「アプトの道」は、かつて険しい碓氷峠を越えるために「アプト式」と呼ばれる線路が敷設されていたことからその名が付きました。
旧信越本線の廃線跡を利用したアプトの道は、スタート地点の横川から途中の熊ノ平までの区間(約6km)が整備されています。道中には明治時代に造られたレンガ造りの鉄道遺構などが点在。紅葉シーズンともなれば、美しく色づいた木々とのコラボレーションが楽しめるフォトスポットです♪
碓氷峠・アプトの道の歴史を知ろう
おでかけ前に碓氷峠とアプトの道の歴史を知っておくと、ちょっと違った景色が見えるかもしれません。
最初に、ほんの少しだけその歴史を振り返ってみましょう。
急峻な碓氷峠に苦しんだ藩士たち
江戸時代のお話です。
安中藩(今の群馬県安中市)の藩内には、江戸と京都を結ぶ中山道が通っており、幕府から交通の要衝「碓氷関所」の警護を命じられていました。
浦賀に黒船が来航して迎えた幕末、日本中が緊迫した状況に置かれます。
時の安中藩主・板倉勝明は、外敵から関所を守るために家臣の心身を鍛えなくてはと、藩士96人に対し、安中城~熊野権現神社(約28㎞)の道のりを走り抜くよう命じました。
途中に碓氷峠を経由するこのルートは、スタートとゴールの標高差が1000m以上もある過酷なもので、さらにどんな悪天候でも決行しなければならなかったそうです。
この徒競走は「安政遠足(あんせいとおあし)」と呼ばれ、日本のマラソンの発祥とも伝えられています。
鉄道も苦しめた碓氷峠
峠越えの苦難は安中藩士だけでなく、後の世の鉄道にも引き継がれました。
明治時代、日本は富国強兵のため太平洋側~日本海側を結ぶ鉄道ルートの敷設を計画しますが、その時にも碓氷峠が立ちはだかります。坂に弱い鉄道の力では、横川~軽井沢間の急勾配を越えることが大変に厳しいと予測されたのです。
明治26(1893)年、試行錯誤を重ねた末、ドイツの登山鉄道方式である「アプト式」を導入。ようやく碓氷峠(横川~軽井沢間)に「信越本線」を通すことができました。
アプト式とは…2本のレールの真ん中に、ギザギザの歯形レール(ラックレール)を敷設。このギザギザレールと噛み合う歯車を取り付けた特別な機関車の力で、急勾配の区間を運行する方式のことです(線路側の歯型と機関車側の歯車を、1つ1つ噛み合わせながら上り下りしていきます)。
開通当時の横川~軽井沢間ではドイツから輸入してきた蒸気機関車が、列車や貨物と連結して運行する「補助機関車」の役割を担当していました。
峠越えの決定版! EF63形電気機関車登場。そして廃線へ…
明治45(1912)年に、アプト式の動力源は蒸気から電気へと変遷しました。しかし昭和30年代に入り日本経済が急速に発展してくると、速度の遅いこの方式では輸送力が限界に達するようになります。
そこで、昭和38(1963)年に新たな峠越えのルート(新線部)を開通させ、補助機関車も、より車体を重く、ブレーキ系統などを強化した「EF63形電気機関車」を開発。アプト式と明治時代の線路(旧線部)はその役割を終えることとなりました。
さらに時代が進み、再び輸送力が問題となったため、1997年に長野新幹線(北陸新幹線)、高崎駅(群馬県)~長野駅(長野県)間が開業。この抜本的な改善により横川~軽井沢区間の走行は廃止となり、EF63形電気機関車と新線部もその役割を終えていったのです。こうして「横軽」は、アプト式時代から続いた104年の歴史に幕を閉じました。
EF63はその活躍から「峠のシェルパ」と呼ばれ、現役を退いた今でも多くの鉄道ファンから愛されています。
廃線ウォークスタート! アプトの道を歩き変電所跡へ!
廃線ウォークのスタートは「碓氷峠鉄道文化むら」の脇から。ここからアプトの道がはじまります!
まずは新線部が走っていた場所を約3km歩いていきましょう。遊歩道として整備されているのは上り線。下り線は鉄道文化むらが運行するトロッコ列車用の線路として活用されています(下り線の線路内は立ち入り禁止)。
緩い上り坂を進んでいくと、左手側に鉄道文化むらが保管している「峠のシェルパ」ことEF63形電気機関車が見えてきます。
スタートから2kmほど歩くと、明治45(1912)年に建設された「旧丸山変電所」に到着します。
丸山変電所は、昭和38(1963)年に新線部が開通されるまで、機関車に電気を供給し続けていました。
純レンガ造りとしては最古となる建物で、使われている素材は埼玉県深谷市の日本煉瓦製造で造られたもの。同じレンガは、橋梁や多くのトンネルにも数多く使用されました。
1994年に国の重要文化財に指定。普段は外観のみ見学することができます (内部見学は一般公開時のみ) 。
トンネルを抜けてめがね橋へ!
旧丸山変電所から遊歩道を約1km進むと、舗装された上り線の道は終わりを迎えます。これ以上は立ち入ることができないので、下り線のガードをくぐり抜けて「天然温泉 峠の湯」方面へと向かいましょう。
ここから先の道は、かつてアプト式の線路が敷設されていた旧線部となり、熊ノ平まで10か所のトンネルが続きます。
※トンネル内の照明は18:00に消灯するので要注意!
2つめのトンネル(2号トンネル)の先には、碓氷湖(坂本ダム)が広がっています。
秋の湖畔は紅葉が美しいダム湖です。約20分で1周することができるので、時間に余裕があれば散策してみましょう!
付近にはベンチや公衆トイレも設置されているので、ちょっと休憩するにもオススメです。
※3号トンネルの手前にも休憩小屋があります。
5号トンネルを抜けると「碓氷第三橋梁」、通称めがね橋の上に出ます。高さ31m、橋の長さ91mの4連のアーチ橋で、レンガ造りの建造物としては日本最大(使用されたレンガはなんと約200万個!)。橋梁は第2から第6までの5基が残っており、いずれも国の重要文化財に指定されています。
下を走る旧国道18号線に通じる階段が整備されているので、雄大な姿を写真に収めることもできますよ!
300m先の駐車場には自動販売機やトイレがあります。これから向かう熊ノ平にはトイレ設備がないので、ここでひと息入れてから先に進みましょう。
廃線ウォークのゴール!
めがね橋を後にして、熊ノ平を目指します。
残るトンネルは5つ。次に待ち構えている6号トンネルは長さが546m、アプトの道の中では最長のものとなります!
内部には勾配があり、徐々に標高が上がっていくのを感じられます。
トンネルの中を見渡すと、横壁や天井部のところどころに穴があり、外からの光が差し込んでいます。これは、蒸気機関車の煙を外に逃がすために開けられた換気口です。
しかしながら、アプト式が開業してしばらくは、急勾配で機関車のスピードが上がらないノロノロ走行。時速は9.6kmほどでした(人が早歩きをしたときの速度が約4.8kmといわれています)。そのため、排煙の設備があっても煙が機関室内に入ってきてしまい、乗務員は煙に苦しめられ、窒息や吐血する人が出るほどでした。
煙の問題を解決するために、蒸気機関車から電気機関車への移行が急がれました。結果として、横川~軽井沢間は国内でいち早く電化された区間でもあります。
最後の10号トンネルを抜けると、いよいよアプトの道のゴール「熊ノ平」に到着!
ここから新線部に合流します。
熊ノ平は、アプト式が稼働していた時代は「熊ノ平駅」として存在していました。ホーム部分も残っており、駅としての名残を見ることができます。
新線での運転に変わり熊ノ平駅は廃止となりましたが、現在も、錆びたレールや架線等が当時のままの姿で存在しています。長い長い年月を経て、人工物が朽ちて自然に飲み込まれていく、ノスタルジックな遺構が眼前に広がります。
大人気の廃線ウォークイベントに参加しよう!
遊歩道の終着地点は、ご紹介した熊ノ平までとなります。廃線はまだまだ続いているのですが、通常はここから先へは進めません。しかし、この立ち入り禁止の区間に足を踏み入れてみたいと思った方もいるでしょう。
安中市観光機構では、普段は入ることのできない新線部の廃線跡 (約11km)を歩けるイベントを不定期で開催しています。非日常的な景色に出会えるだけではなく、信号機や照明を擬似的に点灯させたり、トンネルの壁面に廃線前の映像を投影する企画など、現役当時の雰囲気を創り上げる演出も人気の一因となっています。
リピーターも多く、2020年9月には参加者が2000人を超えた大人気イベントです。予約制なので公式ホームページをチェックしてみましょう!
廃線後の施設は、みんなで楽しめる空間に!
最後に廃線ウォークのスタート地点・横川駅近くにある「碓氷峠鉄道文化むら」をご紹介します。
横川~軽井沢間が現役で稼働していたころ、横川駅には峠越えのための車両基地があり、峠を上り下りする列車の運行を担っていました。もちろんEF63形電気機関車の車庫もあり、広い敷地内には何本ものレールが敷かれていたのです。
廃線となってからはこの設備も使われなくなりましたが、残された建物や用地は、機関車による峠越えの歴史を後世に伝える「碓氷峠鉄道文化むら」として生まれ変わります。
施設では、峠越えに使われたEF63形電気機関車、アプト式時代のED42形電気機関車に加えて、全国各地で活躍した機関車、寝台車などが展示されています。また、碓氷峠を越えていた当時の特急車両の一部、アプト式のギザギザの歯形レール(ラックレール)も見ることができます。
ミニSLや旧信越本線の下り線を走るトロッコ列車、EF63形電気機関車の運転台を使った峠越えのシミュレーター、EF63の体験運転(有料)もあり、家族みんなで楽しめます!
※EF63の運転を体験するためには学科・実技の受講、修了試験に合格する必要があります。講習日は毎月第3土曜。申し込みは、毎月最初の営業日の午前10時から行っていて、2ヶ月先の講習日を予約することができます(先着5名)。
アプトの道の旅、いかがでしたでしょうか。
そんなに長い距離はちょっと…という方も、碓氷湖、めがね橋、熊ノ平にはそれぞれ車で行くこともできます(駐車場あり)。
無理のない範囲で、ぜひ廃線ウォークをお楽しみください!
碓氷峠鉄道文化むら
- 住所
- 群馬県安中市松井田町横川407-16
- 交通
- JR信越本線横川駅からすぐ
- 営業期間
- 通年
- 営業時間
- 9:00~16:30(閉園17:00、時期により異なる)
- 休業日
- 火曜、祝日の場合は翌日休、8月は無休(12月29日~翌1月4日休)
- 料金
- 入場料=大人500円、小人300円/ミニSL乗車券=大人200円、小人100円/あぷとくん乗車券=大人400円、小人200円/(15名以上の団体は割引あり、障がい者手帳持参で16歳未満無料、16歳以上300円、同伴者300円)
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