マルタ共和国、コミノ島のブルーラグーンで美しすぎるビーチを満喫
マルタ共和国・コミノ島にある青く透き通る海「ブルーラグーン」。マルタはヨーロッパや周辺各国の人々に人気の高いバカンス地です。コミノ島は中でも最も美しい海を持っているので、行かないわけにはいきません。必...
更新日:2019年3月10日
マルタ共和国の首都ヴァレッタは、1980年に世界遺産に登録された街です。マルタ・ストーンと呼ばれる特産の石灰岩でできた建物が並び街全体が統一された色をしています。特徴的な出窓が赤や青や緑と原色カラーで塗られてバロック様式の建物と融合しなんとも言えない素晴らしい街並みでした。かつてトルコ軍のオスマン帝国がおこなったマルタ包囲戦で、マルタを守った聖ヨハネ騎士団。騎士団長によって築かれた城塞都市は丈夫な要塞と城壁に守られています。今も変わらず残されているヴァレッタの街並みを紹介したいと思います。
そもそもマルタって国を知っていますか?南イタリア-シチリア島のさらに南に浮かぶグアムよりも小さな島で、ついイタリアの一つと思われたりしてしまいますが、マルタ共和国というちゃんとした国であり、日本人には想像できない長い歴史を持っています。シチリア島からマルタ島へ人が移り住んだのが始まりと言われ、以来様々な文明の発展や周辺勢力の占領により文化や政治の入れ替わりをしてきました。歴史を語り出せばとても長くなってしまうので割愛しますが、とにかくマルタは歴史を感じる国でした。
筆者撮影
マルタの港でよく見かけるカラフルな原色で塗られたボートは、昔からの伝統的な漁船でLuzzu(ラズゥ)と呼ばれています。ラズゥの船首にはオルクスと言われる目があり、オルクスは「ホルスの目であり海で漁師を守る」と言われているそうです。
筆者撮影
赤いポストと赤い公衆電話Box。イギリス統治時代に整備された交通ルールが残りイギリスと同じ右ハンドル、左側通行であったり、所々でイギリスを思わせる光景が見られます。
マルタの食文化
マルタ国民のほとんどがローマ・カトリックのキリスト教です。文化はイタリアを思わせ、マルタ料理はほとんどイタリア料理に近いです。古くからの歴史が今のマルタを作ったのだと感じました。
筆者撮影
マルタピッツァは真ん中に穴があいていました。リゾットやパスタもどれも本格イタリアンでおいしいです。
要塞と城壁に囲まれたヴァレッタの街へはシティーゲートを通ります。
筆者撮影
2014年に完成したこの第5のシティーゲートは再建設される第4ゲートまでの造りとは大きく違い、斜めの大きな壁が入り口を開けていて「門」という形ではなくなっていました。
筆者撮影
ゲートを通りヴァレッタに入ると右に役所があり、ここからまっすぐリパブリックストリートが続いていきます。
この街のメインストリートとなるリパブリックストリートには、銀行や図書館、博物館があるほか、お土産店やカフェなどが並び、ブランドショッピングができる賑わう通りです。
筆者撮影
マルタ・ストーンでできた通りの地面は、つるつるしていて滑りやすかったです。右側にあるのは、ロイヤルオペラハウスですが、第二次世界大戦中に爆撃されたまま今も修復されていません。
筆者撮影
お祭りの時期になるとここはひときわ盛り上がるようです。このときお祭りはやっていませんでしたが、観光客はたくさんいました。
筆者撮影
メインストリートはショッピングができるけど、やはり建物に目がいってしまします。大きな出窓が印象的です。
筆者撮影
痛んだ建物が古さを感じさせるがこの街にあると「これも歴史」と感じてしまいます。
筆者撮影
シティーゲートからしばらく出窓は深緑という印象でしたが、リパブリックストリートを進んでいくと次第にカラフルになっていきます。
筆者撮影
出窓ではない窓の格子も特徴的です。
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裏路地は猫が歩いていたり住人が座って休んでいたり、マルタの生活が感じられました。
筆者撮影
マルタ・ストーンの建物に映えるカラフルで印象的なドアにも注目です。いろいろ探してみてくださいね。
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お土産屋さんもたくさんあります。マルタ十字架のシルバーアクセサリーは人気です。
聖ヨハネ大聖堂には是非立ち寄って欲しいです。騎士団が1565年のマルタ大包囲戦終結後、一時中断していた街の建設を再開させたのですが、それまでの功績と騎士団員の多くが貴族出身者が多かったため莫大な資金を集め豪華な建物を次々と建設しました。その1つがこの聖ヨハネ大聖堂だそうです。これは聖ヨハネを称えるために建てられ、1578年に完成しました。
筆者撮影
両側に二つの鐘楼をもち中央には、騎士団長が挨拶をしたバルコニーがあります。改修工事で時計は見れませんでした。
筆者撮影
外観はシンプルでしたが、内観はびっくりするほど豪華な造りで全体的にゴールドに輝いていました。天井には、騎士団長やマルタ十字架、聖ヨハネの生涯が描かれ、身廊は美しい墓碑が400ほど敷き詰められています。
筆者撮影
身廊の両側には8つの礼拝堂があり、それぞれ騎士たちの出身地の言語別なっていました。どの礼拝堂も豪華な彫刻や絵画が施されています。礼拝堂の地下には、歴代の騎士団長の棺があり、この街の名前の由来となったジャン・パリソ・ド・ラ・ヴァレットも地下で眠っています。今日はちょうど日曜で、毎週日曜は礼拝が行われているため、キリスト教でない観光客は入り口から奥に入って行けませんでした。日曜以外に行くのが良いでしょう。
筆者撮影
肌を露出した服装で入ることはできませんのでショルダーカバーが置かれていました。ヒールのある靴もだめです。
ヴァレッタ東側の城壁に沿ってのぼり高い位置にあり、ここの展望台からはグランドハーバーとその向こうにスリーシティーズを見渡すことができます。
筆者撮影
公園の中央には噴水があり、売店もあります。木陰のベンチで休む人々がいました。もともとイタリアの騎士たちに休養する場所を提供するために作られたそうです。さまざまな彫像やモニュメントが飾られていました。
筆者撮影
アーチ型にできた壁に囲まれた広場もステキでした。
筆者撮影
展望台から見えるグランドハーバーの眺めと要塞の下層にある展望台に大砲が8問並んでいるのが見えました。マルタ大包囲戦でマルタを守った歴史を物語っていました。園内にある階段を降りていくとThe Saluting Battery(歴史博物館)があり、そこから大砲のデッキに出られます。正午に空砲を鳴らすイベントがあるので時間が合えば見てみるのも良いかもしれません。
筆者撮影
スリーシティーズをパノラマで眺められます。
筆者撮影
ヴァレッタの城壁とその先にローワー・バラッカ・ガーデンが見えました。素晴らしい景色です。
今回はじっくり見られなかった所ですが、歴史を知るとやはりもっといろいろ見たかったと思いました。
筆者撮影
Fort St.Elmo(聖エルモ砦)軍事戦略上では重要な防衛拠点で大包囲戦で舞台となった砦です。トルコ軍が猛攻撃を行ったこともあり内部は複雑な造りになってしまっているよう。
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Palace Armoury(軍事博物館)戦争に使用した鎧や武器が展示されています。入り口の両側に軍人が見張りをしていました。
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National Library of Malta(マルタ国立図書館)図書館内の天井まで本が置かれ今でも昔と変わらず整えられています。前の広場はカフェのテラスが広がり読書をしている人もいました。
筆者撮影
St George’s Square(セントジョージ広場)では、春になるとグリーンフェスティバルが開かれ、色とりどりのフラワーアレンジメントが楽しめます。
いかがでしたか?今も残るマルタの素晴らしい街並みを感じていただけたでしょうか。まだまだ街を歩けば今まで見たことがない素晴らしい光景が発見できたのではないかと思います。真夏のマルタは非常に暑さが厳しく35°の炎天下の中を歩くのは非常に過酷でしたが、ひとたび日陰に入れば街の中を通り抜ける海風がとても気持ち良かったです。美しい建物がとてもフォトジェニックでカメラの電源が切れませんでした。皆さんもマルタを訪れる際は、マルタの歴史的街並みをじっくり歩いて見てください。
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【筆者】Aikokko
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アメリカで5年ほど滞在した後、現在オランダ在住の30代ライター。海外の楽しさを発信したくヨーロッパの旅行情報を執筆中。2児の母。新発見を求めて日々活動中。
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