新たな時代へ向けて

スハルト体制下のリゾート開発は、1980年代までは、サヌールをはじめとする特定のリゾート地区に限られていたが、90年代以降はクタの南北、ジンバランやブノア半島一帯にまで広がった。
2001年のアメリカ同時多発テロ後は、世界中が観光不振にあえいでいたが、そのさなか、2002年にはバリ島でも爆弾テロ事件が起き、200名以上もの犠牲者を出した。さらに2005年、再度、クタとジンバランで同時多発テロが引き起こされ、5名の旅行者を含む20名の尊い命が失われた。これによって観光客は激減し、バリ経済は深刻なダメージを受けた。
その後、バリは徐々に活気を取り戻し、2007年には過去最高の外国人旅行者数を記録するという見事な復活を遂げている。
近年は南部の代表的なリゾート地、クタ、レギャン、スミニャックの北に広がるクロボカン地区の開発がめざましい。さらに、クロボカン北西部のチャングー周辺も急ピッチで整備が進められている。また、ヌサ・ドゥアの大型ホテル建設ラッシュが止まらない。ムリアやリッツ・カールトンに続き、2016年にはシャングリ・ラやマンダリン・オリエンタルが登場した。世界の名だたるホテルブランドがオープンを正式発表しており、開発の波はしばらく続くものと思われる。

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レストランやホテルの建設で賑わうチャングー

バリ島とロンボク島

両者を隔てるもの

ロンボク島は、バリ島から東に30㎞ほど離れているにすぎないが、自然、文化の側面で、いくつか特徴的な差異がある。
ひとつには海峡間に延びるウォーレス線の存在。これは、19世紀半ばにイギリスの博物学者・アルフレッド・ウォーレスにより提唱された動物分布の境界線のこと。海峡を挟みバリ島以西はアジア型、ロンボク島以東がオーストラリア型の動物相になるという。
文化的にはバリ島民の大半がヒンドゥ教徒であるのに対し、ロンボク島民は、多くがムスリム。民族的にも異なるが、言語体系的には両者は近いという。

ロンボクのヒンドゥ寺院

16世紀以前のロンボク島の歴史ははっきりとしていない。17世紀以降、バリ島からロンボク島への移住もあり、今でもマタラムなどロンボク島西部には、その子孫が多く暮らしている。
18世紀はじめに、ロンボク島がバリ島の王朝の支配下に入るのと時を同じくして、1720年には、ロンボク島で最大規模のヒンドゥ寺院であるメル寺院が建てられた。1744年には、カランガッセム王朝のチャクラヌガラ王によりマユラ・水の宮殿が造られている。島西部にはバトゥ・ボロン寺院、ナルマダなど、バリ・ヒンドゥゆかりの史跡が点在する。

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スンギギビーチの南端に位置するバトゥ・ボロン寺院

バリ島の歴史をもっと知るために

バリ博物館 Museum Bali

生活や歴史の流れをたどるバリ文化の貴重な資料を展示
バリ様式の4棟の展示館からなる。東館1階には石器時代の宗教的なシンボルや王族の古い棺などを展示。別館では儀式や日常生活で使用した道具や装飾品を紹介している。展示館「タバナン」には中央にバロンとランダの巨大ジオラマがあり、舞踊の衣装や仮面、クリスが飾られている。

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展示館「カラアッサム」にあるロンタル文書(ヤシの葉に書かれた文字。古文書)

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東館1階では石器時代の貴重な資料を、2階では古典アートを展示

バリ博物館

現地名:
Museum Bali
住所:
Jl. Mayor Wisnu No.1, Denpasar
地図を見る »
アクセス:
ププタン広場からすぐ
TEL:
0361-222680
営業時間:
7:30~15:30(金曜は~13:00)
定休日:
祝日 

バリ島年表

10世紀 ワルマデワ王朝興る
10世紀前半 王の名前が記された最初の碑文が見つかる
10世紀半ば ティルタ・エンプルが造られる
1293 ジャワ島にマジャパヒト王朝が興る
14世紀半ば バリ島はマジャパヒト王朝の支配下に入る

14世紀後半 バリ島にゲルゲル王朝誕生
1520年代 マジャパヒト王国滅亡
1540年頃 ニラルタ、ジャワ島からバリ島へ渡る
1597 ヨーロッパ人のバリ島初到来
1602 オランダ東インド会社(VOC)設立
1710 ゲルゲル王朝クルンクンへ遷都
クルンクン王朝。以降、バリ島内は9王朝(のち8王朝)時代へ
1811 イギリス人のラッフルズがジャワ島に赴任(〜1816)
1814 ラッフルズによりジャワ島中部でボロブドゥール寺院が発見される
1846 バリ戦争(〜1849)
1889 パリ万国博覧会
ガムラン演奏が公演される
1906 オランダのサヌール侵攻によりバドゥン王朝崩壊(デンパサールでのププタン)

1908 島全土がオランダ支配下に入る
クルンクン王朝、オランダに敗れる
1917 バリ島南部で大地震
バトゥール山の噴火
1920 クラウゼ著『BALI 1912』(写真集)がドイツで出版される
1924 オランダ領東インドを周遊する定期客船が就航(シンガポール〜スラバヤ〜マカッサル〜バリ島・シンガラジャ)
1928 デンパサールにバリ・ホテルが開業
1930 三浦襄、スラウェシ島を経てバリ島へ
1931 パリ植民地博覧会においてバリ舞踊(グヌン・サリ歌舞団)などが公開される
1932 チャップリンがバリ島を訪れる
1936 ピタ・マハ財団設立
ミゲル・コバルビアス著『バリ島』出版

1942 日本軍インドネシア占領
シュピース、バリ島脱出時に洋上にて日本軍の砲撃により死亡

1945 インドネシア共和国独立宣言
初代大統領にスカルノ
1947 バリ島は自治領として東インドネシア国に編入される
1949 インドネシア連邦共和国の成立

1950 インドネシア共和国発足
1958 バリが州に昇格
1963 日本の戦後賠償の一環として、バリ・ビーチ・ホテルの建築が開始される(1966年竣工)アグン山噴火
1965 9月30日事件(軍事クーデター)

1968 スハルト大統領就任
1969 ングラ・ライ(デンパサール)国際空港開港
1983 ヌサ・ドゥア・ビーチ・ホテル開業
ヌサ・ドゥアで最初のホテル
1989 アマンダリ開業
1997 アジア通貨危機
1998 ジャカルタ暴動、スハルト大統領退陣

1998 バハルディン・ユスフ・ハビビ大統領就任

1999 アブドゥルラフマン・ワヒド大統領就任

2001 メガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリ大統領就任
2002 バリ島爆弾テロ事件

2004 スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領就任
2005 バリ島爆弾テロ事件
2013 ングラ・ライ(デンパサール)国際空港リニューアル
2014 ジョコ・ウィドド大統領就任

古代バリ島の王 ウダヤナとは?

デンパサールにある国立大学の名称でも知られる古代バリ島の王ウダヤナ(生年不詳〜1022)の正式名は、ダルモーダーヤナワルマデーワ。彼の出自には諸説あるが、ジャワ島クディリ王朝出身の女王の夫であり、彼女の死後、バリ島を統治した人物であるといわれている。またこの頃から、バリ島にジャワの文化が流入し始めたと考えられている。

ストリート名に見る歴史上の人物

Jl. Gadjah Mada

ガジャ・マダ通り(デンパサール)
ガジャ・マダは14世紀マジャパヒト王国の宰相

Jl. Imam BonJol

イマム・ボンジョル通り(デンパサール)
反植民地運動の指導者

Jl. Kartini

カルティニ通り(デンパサール)
カルティニはジャワ島の女性解放運動の先駆者

Jl. Darmawangsa

ダルマワンサ通り(ヌサ・ドゥア)
ジャワ島クディリ王朝(10世紀頃)の王

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観光情報を観光地ごとに紹介する雑誌スタイルの旅行ガイドブック「まっぷるマガジン」。その取材スタッフや編集者が足で集めた「遊ぶ」「食べる」「買う」「見る」「泊る」のおすすめ情報をご紹介しています。

奥付:
この記事の出展元は「トラベルデイズ バリ島」です。掲載している情報は、2017年11〜2018年1月にかけての取材・調査によるものです。掲載している情報、商品、料理、宿泊料金などに関しては、取材および調査時のもので、実際に旅行される際には変更されている場合があります。最新の情報は、現地の観光案内所などでご確認ください。

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。