人物を知る
ヨハン・バルタザール・ノイマン (Johann Balthasar Neumann)【1687〜1753年】
ドイツの後期バロックを代表する建築家。円形や楕円形を組み合わせるなど大胆な手法で、バート・メルゲントハイムのドイツ騎士団城内の教会など数多くの作品を残す。
EVENT & FESTIVAL
ヴュルツブルク・モーツァルト音楽祭 Würzburger Mozartfest
毎年春〜夏頃にレジデンツで開催される音楽祭で、毎年国内外から多くの観客が訪れる。1921年に指揮者ヘルマン・ツィルヒャーによって創設された。シャンデリアがきらめく豪華な室内や、月明かりが照らす幻想的な庭園で聴くモーツァルトの調べはロマンティックだ。
マリエンカペレ
街の中心にある優美な礼拝堂
1377年から1480年にかけて建築された、後期ゴシック様式のホール式礼拝堂。入口右側の柱には、レジデンツを設計した建築家バルタザール・ノイマンの墓碑が掲げられている。
純白とレンガの朱色のコントラストが美しい建物
祭壇画やステンドグラスなど見どころ多数。
夜はライトアップされる
マリエンカペレ
- 現地名:
- Marienkapelle
- 住所:
- Marienplatz 7
地図を見る » - アクセス:
- Marktplatzマルクト広場からすぐ
- TEL:
- 0931-38662800
- 営業時間:
- 8:30~18:00、曜日、季節により異なる
- 定休日:
- 無休
- Webサイト:
- http://www.bistum-wuerzburg.de
聖キリアン大聖堂
美しい礼拝堂がある双塔の教会
11〜12世紀に建造されたロマネスク様式の大聖堂。身廊の柱に歴代大司教の墓碑があり、リーメンシュナイダーが制作したシェーレンベルク大司教のレリーフが見事。
建築家バルタザール・ノイマン作の礼拝堂がある
第二次世界大戦で破壊されたが復元された
ルドルフ・フォン・シェーレンベルク司教の墓碑
聖キリアン大聖堂
- 現地名:
- Dom St. Kilian
- 住所:
- Domstraße 2
地図を見る » - アクセス:
- トラム1、3、4、5番Domドム下車すぐ
- TEL:
- 0931-38662800
- 営業時間:
- 10:00~18:00※ミサ中は見学不可、曜日、季節により異なる
- 定休日:
- 無休
ノイミュンスター
この街で殉教した聖人を祀る
11世紀に聖キリアンらを追悼して建てられた教会で、18世紀に増築された。中庭には、かつて森鷗外も訪れたという、吟遊詩人の墓もある。
赤い砂岩のファサードは18世紀に増築された
巨匠リーメンシュナイダー作の聖母マリアと幼いキリストの像
聖人キリアンとその弟子を祀っている
ノイミュンスター
- 現地名:
- Neumünster
- 住所:
- Kürschnerhof 2 1/2
地図を見る » - アクセス:
- トラム1、3、4、5番Domドム下車すぐ
- 営業時間:
- 10:00~18:00、曜日、季節により異なる※ミサ中は見学不可
- 定休日:
- 無休
- Webサイト:
- http://www.neumuenster-wuerzburg.de
ミュージアム
レントゲン記念館
ヴュルツブルク大学の教授だった偉大な物理学者・レントゲンの記念館。X線が発見された実験室や実験道具、資料などを展示。
レントゲン記念館
- 現地名:
- Röntgen-Gedächtnisstätte
- 住所:
- Röntgenring 8
地図を見る » - アクセス:
- ドイツ鉄道Würzburg Hbf.ヴュルツブルク中央駅から徒歩5分
- TEL:
- 0931-35116002
- 営業時間:
- 8:00~20:00(土曜は~18:00)
- 定休日:
- 日曜
- Webサイト:
- http://www.wilhelmconradroentgen.de
人物を知る
聖キリアン (St. Kilian)【640〜689年】
ヴュルツブルクの守護聖人キリアンはアイルランドで生まれた司祭。686年にローマからこの地に派遣され、布教に努めたが、領主夫人の反感を買って暗殺された。その後11世紀になって、墓の上にノイミュンスターが建立された。毎年7月には聖キリアン祭が行なわれる。
シーボルト (Siebold)【1796〜1866年】
鎖国下にあった江戸時代の日本を訪れたことで知られる医師・学者。彼は1796年にヴュルツブルクで生まれ、ヴュルツブルク大学を卒業後、1823年にオランダ人と偽って来日。彼は西洋医学を日本に伝えるとともに、日本の学者とも交流をもち、日本語や日本の社会・文化について多くの知識を得た。1828年に日本を出国するが、この際に海外への持ち出しが禁じられていた日本地図を持ち出していたことが幕府に露見し、国外追放処分を受けた。その後はオランダにおいて日本研究の第一人者として活躍、鎖国が解除されたあとの1859年には再来日を果たしている。1863年に故郷ヴュルツブルクに戻り、1866年にミュンヘンで死去した。
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- 奥付:
- この記事の出展元は「まっぷるドイツ ロマンティック街道」です。掲載されている電話番号、営業時間、料金などのデータは2017年6月〜8月現在のものです。いずれも諸事情により変更されることがありますので、ご利用の際には事前にご確認ください。また、掲載の商品は取材時のもので、現在取り扱っていない可能性があります。
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