韓国の巨大ショッピングテーマパーク ~第1弾~
2016年9月にソウル市の東に位置する河南市(ハナム市)に初めてオープンし、そして今年8月にはソウル市北西部に位置する高陽市(コヤン市)へオープンした、巨大ショッピングモール“スターフィールド”。これ...
更新日:2023年10月4日
ソウル市内の見どころのひとつといえるのが建築物。朝鮮王朝時代の古宮から現代の建築まで、さまざまな時代に触れるのもいい。
李氏朝鮮時代に王宮や離宮として使われた古宮。漢江の北側に保存されている五大古宮を筆頭に、多くの文化財や史跡を市内中心部で見ることができる。
ソウルの五大古宮とは李氏朝鮮時代に、王が居住しながら政治を行なった「景福宮」「昌徳宮」「昌慶宮」「徳寿宮」「慶熙宮」の5つの宮殿を指す。
朝鮮王国を建国した太祖李成桂が、1395年に建造した最初の正宮が「景福宮」。壮大な規模を誇ったが文禄の役(豊臣秀吉の朝鮮出兵)により焼失し、約300年後の1867年に再建された。1405年、景福宮の離宮として建造されたのが「昌徳宮」。壬辰倭乱により焼失したが、15代国王の光海君の手により再建、約270年にわたり正宮として使用された。朝鮮王朝の宮廷のなかで王が最も長く住んだ王宮で、当時の趣を残す美しい景観が現在も保たれている。「昌慶宮」は、ハングル文字を創制した4代国王の世宗が父親のために建てた寿康宮を、9代国王の成宗が3人の大妃(先王の后妃)のために再建した宮殿。ソウル市庁の隣にある「徳寿宮」は、9代国王の時代に王族の邸宅として造られた。壬辰倭乱の際に臨時の王の居所として使用され、以来、宮廷としての性格を持つようになった。
五大古宮のなかで最も西に位置する「慶熙宮」は1616年に建てられ、朝鮮時代後期には昌徳宮や昌慶宮と同様、離宮として使用された。火事や戦争の被害など最も大きな受難を経た宮殿といわれる。
昌徳宮は保存状態が良く、芸術的な建造物と自然との調和が卓越している点で世界文化遺産に登録されている。正殿である仁政殿は、王の即位式など国の重要行事が行なわれた宮廷の中心的建物。
古宮建築には、正門や正殿を南向きに建てるという一定の原則がある。これには、王が民に臨みながら善政を行なうという意味が込められている。東西南北に大きな門を置き、正門、中央門、正殿、便殿(王の執務空間)、寝殿(王や王妃の住居)などが南北一直線上に配置された景福宮は、古代中国の都城の建物配置の基本形式が守られている。
古宮のなかで唯一、正門と正殿が東を向いている昌慶宮や、自然の地形や条件に沿って建物を自由かつ巧みに配した昌徳宮など、配置に注目してみるのも面白い。
正殿である勤政殿のすぐ裏(北側)にある思政殿は、王が実際に政務を執った場所であり、御前会議もここで行なわれた。この背後に王の寝室である康寧殿、その後ろに王妃の寝室・交泰殿と一直線に並んでいる。
古宮の伝統建築では、さまざまな意味を持つ装飾や様式が見られる。「丹青」は、青・朱・黄・白・黒の5色を用いて図や絵を描いたもの。王宮の軒や梁、戸板などに施された華やかな彩色がそれ。これは権威を象徴するもので、主に王宮や寺院などに用いられた。王宮の建物の屋根に見られる彫刻は魔除けの「雑像」で、『西遊記』の登場人物を模しているとの説がある。景福宮の正殿・勤政殿の広場などに並ぶ石は「品階石」。臣下の地位を区分し朝礼などの際に立つ場所を表している。
朝鮮王朝最後の王宮であり波乱の歴史の中心舞台となった徳寿宮。現在は一般観覧客に完全開放され、市民の憩いの場としても親しまれている。1906年に再建された中和殿と中和門は宝物に指定されている。
9代国王成宗(ソンジョン)が、祖母・生母・養母の3人の大妃を住まわせたことで知られる昌慶宮。1616年に再建された明政殿は、現在残っている王宮の正殿のなかで最も古いもので国宝となっている。
丹青は建物の格を示すほか木材の腐食を防ぐ役割も
品階石は正殿に近いほど位が高くなっている
屋根の四方に並ぶ雑像。数の多さは建物の権威に比例
ソウル市内中心部には、1900年頃に建てられたレンガ造りの教会や日本の統治時代に造られた西洋式の建築物が保存され、再利用されている。
【関連リンク】
ソウルの近代化の歴史は、1876年の朝鮮の開港(開国)にさかのぼる。このとき、現在のソウルは開市に指定され、外国人の共同居留地も開設された。徳寿宮がある貞洞にはアメリカやロシアなど列強諸国の公館が建ち並び、西洋式のホテルや教会などさまざまな外国文化が流入した。徳寿宮に西洋式建物が取り入れられた背景には、当時の大韓帝国の近代化のための政策が影響している。
1910年に始まる日本統治時代には、ソウルは「京城」と呼ばれ、街には路面電車が走り、多くの日本人が往来した。日本の主導による近代的都市計画が進められ、官庁や金融機関、公共施設には西洋式建築物が多用された。終戦後、日本式建築物の多くは取り壊されたが、西洋式建築物のいくつかは保存や改築が施され、大正から昭和初期にかけての日本の街並を思わせる、ノスタルジックな雰囲気を今も醸し出している。
赤レンガを使い北米系ゴシック様式で建てられた朝鮮時代末期の教会建築。1918年に設置されたパイプオルガンも韓国初(現存のものは復元)。
茶話会や音楽会を開く宴会場として使われ、朝鮮王朝最後の王、高宗(コジョン)はここでコーヒーを飲み余暇を楽しんだという。建物の裏にはロシア公園に通じた地下通路が今も残る。
繁華街・明洞の丘の上に建つ明洞聖堂は、韓国で最初に造られたカトリックの教会。レンガ造りのゴシック建築も韓国で最初のもの。“ソウルで最も美しい通り”と呼ばれるトルダムギルに続く貞洞道に建つ貞洞教会も同じく赤レンガ造りで、1897年に完成した韓国初のプロテスタント系の教会だ。トルダムギル沿いにある徳寿宮には、韓国の王宮で初めて、そして唯一、西洋式の建物が造られた。1900年に完成した王宮初の西洋式建物の静観軒や19世紀初頭に欧州で流行した新古典主義様式を取り入れた石造殿、イギリス式庭園など、宮内には西洋風建築様式と伝統建築様式が混在する。
1892年に起工し、6年の歳月をかけ1898年に完成。おごそかかつ豪華な造りの教会は、今も韓国カトリック教徒の精神的シンボル。
日本統治時代に建てられた歴史的建造物としても価値のある近代建築のなかには、用途を変えたり大規模な改築を経て、今なおソウル市民や観光客に親しまれているものが数多く残されている。
日本人建築家・辰野金吾の設計により1920年に建てられ、終戦後、韓国銀行本店として使用された建物は、現在は世界各国の紙幣を集めた「貨幣金融博物館」として一般開放されている。1925年に造られ、2004年までソウル駅として使われた韓国最古の駅舎は国の史跡に指定され、2011年に総合文化スペース「文化駅ソウル284」に生まれ変わった。日本統治時代に芸術会館として使用された「明治座」は、建物の外観はほぼそのまま残し、大規模な改築工事を経て2009年に「明洞芸術劇場」として再開館した。
また、「ソウル市立美術館」では、1928年築のルネサンス建築の旧最高裁判所庁舎のファサード(建物正面)が全体と調和しつつ保存されている。
2002年、旧最高裁判所庁舎の建物に慶煕宮から美術館が移転した際、ファサードのみを残してリノベーション。2004年には、1905年竣工の旧ベルギー領事館を改修した南ソウル分館もオープンした。
石造りの重厚なたたずまいが威厳を放つ。ソウル市庁やソウル市議会議事堂と同時代に造られた歴史的建造物。
明洞は日本統治時代に明治町と呼ばれ、地名にちなみ明治座が建てられた。最新の設備を誇る劇場は、外観にのみ昔の姿を残している。
赤レンガの壁とドーム型の屋根が東京駅を彷彿させる旧ソウル駅。改修工事にともない建設当初の姿に復元。貴賓室や駅長室は改修後初めて一般公開された。
2010年「世界デザイン首都」として選定され、デザインに力を入れるソウル市。著名な建築家の作品が建ち並び、現代建築の実験場といった様相を呈している。
【関連リンク】
国内外の名だたる建築家が手がけた建築物が次々と誕生するソウル市は、今や世界が注目するデザイン都市。8300万ドルをかけた漢江の人工島フローティング・アイランドや、芸術家の拠点となる東大門デザイン・プラザ&パークの誕生など、ビッグプロジェクトも進行中。美しいデザインがあふれ、環境にも配慮した未来型都市としてさらなる変貌を遂げつつある。
1950年、アジア初の国立劇場として開館。大劇場「ヘオルムクッチャン(日の出劇場)」は19mの高さの建物を、直径2mの柱38本が支える。
蚕室総合運動場を設計した韓国近代建築の巨匠キム・スグン氏の作品。祈る手に似せた独特の外観。内部のインテリアも一見の価値あり。
伝説の建築家ル・コルビュジエに学んだキム・ジュンオッ。曲線により有機的な形を造り上げた同作で師の影響から抜け出したといわれる。
韓国の伝統的空間であるマダン(広場)に立ち入ると、教会の背後の山が見える仕掛け。黒石の礼拝室とガラスの事務室の対比も見事。
10年の歳月をかけて完成した地上33階建てのビル。最上階は空の雲をイメージしており、宙に浮くかのように3本の柱で支えられている。
韓国屈指の高級百貨店。4330個の特殊LED照明とガラスディスクが魚の鱗のように外壁一面を覆い、昼も夜も美しい光を放つ。
コンクリートの外壁に3371個の穴を開けた、ハチの巣のような外観(ハイヴとはミツバチの巣箱のこと)。2009年、ソウル建築賞受賞。
幾何学的なファサードは、NY世界貿易センタービル跡地再建の設計案で知られるD.リベスキンドが手がけている。夜のライトアップも見もの。
東京の新国立競技場を設計したザハ・ハディド氏が手がけた。直線を廃し、曲線をテーマにしており、館内の階段や真っ白な通路なども注目。
デザイン性とともに機能性にも優れた、広大な展示空間を持つギャラリー。館内のカフェやレストランも人気。
広大なオリンピック公園内にある美術館。むき出しのコンクリートと不揃いの木材を用いた建物は、角度によってさまざまな表情を見せる。
韓国の気候風土と環境が生んだ
韓国独自の自然や社会環境と調和しながら、歳月をかけて培われた韓屋の歴史をひもとく。
【関連リンク】
「韓屋」とは、自然との調和を根本にする風水や五方の考えをもとにした環境にやさしい伝統家屋を指す。2010年には、安東河回村などの韓屋村がユネスコ世界文化遺産に登録され、注目を集めている。
朝鮮王朝時代、当時の貴族である両班が暮らしていた韓屋は、身の回りにある木や黄土、土、石などの自然素材を用い、自然に逆らわない構造と配置で造られた。木で作った柱と枠の間に、韓国産の石灰や砂を混ぜた土を塗って壁にし、石と土で造った床には油をしみ込ませた韓紙を貼るというシンプルな構造は、雨季には湿気を吸収し、通気性を促すほか、冬場は暖かい空気を保つ働きがある。このような自然環境に即した建築様式により、機能的かつ快適な暮らしが営まれたといえるだろう。
かまどの熱を床下から家全体に行き渡らせる構造
韓屋の最大の特徴、それは炊事時の火力を床下を通して二次利用する「オンドル」という効率的な暖房システムだ。そのため各部屋の造りは小さく、壁は厚く、入口や窓も小さくするという工夫がなされた。また床の熱を利用するところから座食文化も派生したといえる。
さらに、「マダン」と呼ばれる中庭の共有スペースも韓屋の特徴。廊下がなく、独立性の高い各部屋を行き来するためには、中心の場であるマダンを通らなくてはならない。縁側もそのひとつ。縁側に出て、家族や隣人と顔を合わせる韓屋の構造は、外に向けて開かれた住空間といえるだろう。韓国独特の儒教的秩序と自然に寄り添い生きる知恵が凝縮された開放的な住まい、それが韓屋なのだ。
隣室に行くには、縁側を通って庭に出る造り
観光情報を観光地ごとに紹介する雑誌スタイルの旅行ガイドブック「まっぷるマガジン」。その取材スタッフや編集者が足で集めた「遊ぶ」「食べる」「買う」「見る」「泊る」のおすすめ情報をご紹介しています。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。