木曽義仲
平安時代末期の武将。源義仲。源頼朝・義経兄弟は従兄弟。1180年、以仁王の令旨によって挙兵。1182年、以仁王の遺児・北陸宮を擁護し、翌年の『倶利伽羅峠の戦い』で平氏の大軍を破って入京。都の治安回復を期待されたが失敗、皇位継承への介入などもあって、後白河法皇と不和に。1184年の『法住寺合戦(ほうじゅうじかっせん)』で後白河法皇と後鳥羽天皇を幽閉し、政権を掌握。しかし、源範頼(みなもとののりより)・義経との『粟津の戦い』で討ち死にした。
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平安時代末期の武将。源義仲。源頼朝・義経兄弟は従兄弟。1180年、以仁王の令旨によって挙兵。1182年、以仁王の遺児・北陸宮を擁護し、翌年の『倶利伽羅峠の戦い』で平氏の大軍を破って入京。都の治安回復を期待されたが失敗、皇位継承への介入などもあって、後白河法皇と不和に。1184年の『法住寺合戦(ほうじゅうじかっせん)』で後白河法皇と後鳥羽天皇を幽閉し、政権を掌握。しかし、源範頼(みなもとののりより)・義経との『粟津の戦い』で討ち死にした。