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貝原益軒

江戸時代前期から中期の儒学者。1656年、福岡藩の藩医となり、翌年に藩費による京都留学で本草学や朱子学などを学ぶ。朱子学者の木下順庵(きのしたじゅんあん)や中村惕斎(なかむらてきさい)など数多くの学者や知識人たちと交わり、晩年まで交流を深めた。1664年に帰藩。朱子学の講義や朝鮮通信使への対応を任されるなど重責を担った。約50年間で多くの著述を行ない、経学、医学、民俗、歴史、地理、教育など、幅広い分野で先駆者的業績を残した。

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