藤原清衡
京から陸奥国府の官僚として赴任してきたといわれる藤原経清(ふじわらのつねきよ)の長男として生まれる。母は安倍頼時の娘。
源頼義と争っていた安倍氏が敗れ、父、経清もそれに伴い斬首となる。残された母は清原氏の嫡男と再婚。
その後、清原家の異父兄弟であった家衡と争い、そのときに陸奥守であった源義家の助力もあって勝利。その結果、安倍氏、清原氏の領土を引き継ぐことになり、平安時代後期に、奥州という広大な土地を支配した奥州藤原家の初代当主となる。
藤原清衡は、中尊寺を建立し金色堂を建て、5000巻を超える写経(紺紙金銀字交書一切経)をし、父や兄弟、兵士らの菩提を弔った。「東北を仏国土にする」というのが藤原清衡の願いであったといわれる。
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