新田義貞
鎌倉時代後期から南北朝時代の御家人、武将。源義貞(みなもとのよしさだ)。上野国新田荘の御家人だったが、1331年の『元弘の乱』では後醍醐天皇に呼応し、鎌倉討伐軍に参加。“建武の新政”の立役者だったが、足利尊氏と対立。1336年の『建武の乱』では天皇から官軍総大将に任命され、各地に転戦するも、、箱根や湊川での合戦で敗北した。途中、天竜川に3日以内に橋を作るよう命じ、完成するとそれを渡って西へ逃れたとされている。
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鎌倉時代後期から南北朝時代の御家人、武将。源義貞(みなもとのよしさだ)。上野国新田荘の御家人だったが、1331年の『元弘の乱』では後醍醐天皇に呼応し、鎌倉討伐軍に参加。“建武の新政”の立役者だったが、足利尊氏と対立。1336年の『建武の乱』では天皇から官軍総大将に任命され、各地に転戦するも、、箱根や湊川での合戦で敗北した。途中、天竜川に3日以内に橋を作るよう命じ、完成するとそれを渡って西へ逃れたとされている。