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筆者
能勢初枝

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1935年、岡山市に生まれる。岡山県立操山高校・奈良女子大学国文科卒業。結婚後、東京に約20年、途中札幌に3年間、さらに千葉県市川市に2年居住。夫の転勤で大阪府高槻市に移り約30年、夫の定年後岡山市に3年、その後兵庫県神戸市に移り、現在は大阪市内に在住。
【著書】
・『ある遺書「北摂能勢に残るもうひとつの平家物語』2001年発行(B6版218ページ)
・『右近再考高山右近を知っていますか』2004年発行(A5版277ページ)
・カラー冊子『歴史回廊歩いて知る高槻』(共著)2007年発行(A4変型版&ページ)

能勢初枝の書いた記事:9件

『蜻蛉日記』上巻あらすじから読み解く作者と夫・藤原兼家との関係

『蜻蛉日記』の作者は、正四位下陸奥守藤原倫寧の女(娘)、後の太政大臣藤原兼家の妻、右大将藤原道綱の母で、本名は伝わっていません。 天暦8年(954) 頃、推定19オで26オの藤原兼家と結ばれ、本...

2024年9月24日

怨霊に祟られた平安京の天皇~権謀術数の平安京で起こった数々の事件

桓武天皇によって「平城京」から「平安京」へ遷都が行われ、約400年続いた平安時代。 優雅で雅な天皇と貴族の印象が強い時代ですが、天皇の座を巡っての策略が渦巻き、血なまぐさい権力争いは続いていたのです...

2024年8月5日

小野小町の恋と実像~権力争いの渦のなかで消された平安時代の絶世の美女

美しい女性というものは、世間から羨望を集め、不幸な生涯を送りがちのようです。 今や美女の代名詞として名高い「小野小町」は、そのもっともたる例ではないでしょうか。 歌人としても評価が高い「小野小...

2024年7月10日

『和泉式部日記』から読み解く和泉式部の恋愛と生涯

現代でも親しまれる平安中期に和泉式部によって書かれた『和泉式部日記』。そこには恋に生き、男性に翻弄された彼女の人生の回想録が記されています。 和泉式部が自分の言葉で自己を表現した『和泉式部日記』から...

2024年6月19日

『紫式部日記』から読み解く紫式部の人生と性格

2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の放送で、改めて脚光を集める紫式部。 『源氏物語』の作者として知られる紫式部ですが、宮廷で中宮彰子に仕えた日々を綴った『紫式部日記』もまた、彼女の代表作として...

2024年6月19日

平維盛の妻「北の方」は安徳天皇を伴って能勢へ逃れた「源のすけ」という人物か?!

江戸末期の文化14年(1817年)、摂津国能勢(現大阪府豊能郡能勢町)の民家の屋根裏から発見された古文書は、平安の貴族藤原経房が息子にあてた遺書でした。 そこには壇ノ浦から安徳天皇を守って山里能勢ま...

2022年5月24日

二位の尼、平時子は壇ノ浦の戦い当日どのように行動したか~「安徳天皇は生きていた」という遺書の内容とは?!~

江戸末期の文化14年(1817年)、摂津国能勢(現大阪府豊能郡能勢町)の民家の屋根裏から発見された古文書は、平安の貴族藤原経房が息子にあてた遺書でした。そこには壇ノ浦から安徳天皇を守って山里能勢まで逃...

2022年3月28日

安徳天皇は生きていた?!~大阪能勢町で発見された藤原経房の遺書~

江戸末期の文化14年(1817年)、摂津国能勢(現大阪府豊能郡能勢町)の民家の屋根裏から発見された古文書は、平安の貴族藤原経房が息子にあてた遺書でした。 そこには壇ノ浦から安徳天皇を守って山里能勢ま...

2022年3月23日

各地に残る安徳天皇陵墓と歴史書から読み解く安徳天皇生存説

江戸末期の文化14(1817)年、摂津国能勢(現大阪府豊能郡能勢町)の民家の屋根裏から発見された古文書は、平安の貴族藤原経房が息子にあてた遺書でした。そこには壇ノ浦から安徳天皇を守って山里能勢まで逃れ...

2022年3月23日