目次
日本の歴史ミステリー②日本を代表する最強パワースポット
霊場・恐山のイタコや、琉球王国最高の聖地・斎場御嶽について深掘り!
その歴史や現在の様子を知ることで、信仰の世界をより深くとらえることができるかも!?
霊場・恐山において霊媒師イタコはなぜ象徴的な存在となったのか?
死者を呼び出す「口寄せ」を各集落で行ってきた青森伝統のイタコ。死者供養の聖地・恐山に活躍の場を広げるも、現在イタコは消滅の危機にあります。
斎場御嶽とは沖縄の最高の聖地とされる
古来沖縄に伝わる最大の聖地、斎場御嶽。神女と呼ばれる女性たちを中心に王国の国策にも組み込まれた宗教文化とは、どのようなものなのでしょうか。
日本の歴史ミステリー③4000年前の縄文時代に想いを馳せる
実はコンビニより多い⁉遺跡について知ろう!縄文時代の食べ物は?服装は?
意外と知られていない縄文時代のアレコレを学んでまいりましょう。
遺跡総数、約46万か所!日本について遺跡が伝える真実とは?
遺跡の総数は、コンビニエンスストアや神社よりもはるかに多いと言われます。加えて、毎年9000件も遺跡の発掘調査が行われています。
遥かなる時を越え明かされる、数々の遺跡から見えてきたものとは。
縄文時代はどんな時代だった?食べ物は?服装は?縄文時代の1万年間と縄文人の生活
およそ1万年続いたといわれる縄文時代。その間には急激な温暖化と寒冷化がありました。海面が上昇し豊かな食物が採れた縄文時代中期には、縄文人はおよそ26万人にも急増したようです。縄文土器のほかにも、興味深いテーマがたくさん見えてきます。
道具、縄文土器・石器・骨角器…縄文人が作り出した道具がすごい!
縄文時代の道具といえば縄文土器が真っ先に思い浮かびますが、この時代の石器、骨角器も忘れてはいけません。縄文人は石材加工技術を進歩させ、ナイフや磨り石を開発することにより、石器や骨角器も飛躍的に発達していきました。
遥か大昔の先人たちの知恵に迫ってみましょう。
日本の歴史ミステリー④縄文人が住み着いた地・八ヶ岳
キーワードは「八ヶ岳と縄文文化」。「星降る里」と言い伝えられてきたのは何故!?
かつて縄文人が八ヶ岳周辺に多く住んだのか、その謎に迫りましょう。
長野県は縄文遺跡の宝庫! ~かつては日本一の人口密度だった!?~
現在の長野県では、数多くの縄文遺跡が発見されています。なぜ縄文人はこの地域に住み着いたのか、その理由を探っていきます。
八ヶ岳の黒曜石と縄文遺跡~「星降る里」といわれたいにしえの八ヶ岳周辺
日本の中心に位置する中部高地は、掘り出された黒曜石のかけらが輝く様から、「星降る里」と言い伝えられてきました。
また、国宝・縄文のビーナスがとりわけ有名な出土品ですが、そこに込められた当時の人々の思いにも迫ってみましょう。
八ヶ岳の歴史~南北の山容の違いから成り立ちを読み解く~
八ヶ岳連峰は、多数の火山が南北に連なる火山列です。南は険しく、北は穏やかな地形が続きますが、この山容の違いから八ヶ岳の成り立ちが見えてきます。
かつて縄文人たちが住んだこの地の成り立ちにも迫りましょう。
日本の歴史ミステリー⑤北海道のストーンサークル
日本にもストーンサークルが!?なぜ縄文時代の北海道に造られたのか、背景に迫りましょう。
北海道のストーンサークルとは何か?~4000年前の縄文時代に築かれた?!~
縄文時代、道内には数多くのストーンサークルが築かれました。
なかには北海道にしか見られない形態のものもあります。
これらが築造された理由を探っていきましょう。
日本の歴史ミステリー⑥紫式部の人生と藤原道長
紫式部の生い立ちと死因に迫る!?道長との秘められた関係も…。大河ドラマで話題になった平安時代を代表する歴史人物の謎に迫りましょう。
紫式部~紫式部が『源氏物語』を執筆するに至った背景とその後の人生
学者の家系に生まれた少女・紫式部は漢籍の知識豊かな女性へと成長し、和歌で愛を深めて結婚します。
しかしその3年後、『源氏物語』を書き始めるきっかけとなった大きな出来事が、紫式部の人生を揺るがします。
その後、『源氏物語』で評判を得た紫式部は、後宮へと足を踏み入れることになります。宮中での様々な情景を物語と歌集にした才能豊かな紫式部。その言葉は今も色あせることがありません。
さあ、紫式部の人生をのぞいてみましょう。
藤原道長とはどんな人物だったのか~藤原氏の全盛期を担った大貴族と紫式部の秘められた関係
藤原道長が生きたのは、摂関政治の最盛期。摂関家として藤原道長は、どのようにしてその頂点へ立つに至ったのでしょうか?
平安時代中期にかけて藤原氏は、他氏排斥に注力します。その後、藤原氏族内の権力を掌握していったのが藤原道長です。熾烈な権力闘争のほかに、紫式部とのエピソードも興味深いものが残っています。
紫式部の死因に迫る!紫式部のお墓はどこにある?
貴族が謳歌していた頃の平安時代、中宮彰子に仕え、後宮で華々しく生きた紫式部。
源氏物語と紫式部日記という、千年以上経った現在でも色あせることがない2つの作品を後世に残してこの世を去った紫式部の死因とお墓の場所に迫ります。
紫式部の娘の行く末も合わせて、見ていきましょう。
日本の歴史ミステリー⑦平安時代の娯楽と恋愛観
平安時代は奥深い!熾烈な後宮の世界、貴族の娯楽・恋愛・結婚について興味深いエピソードを覗いていきましょう。
平安時代の後宮ってどんなところ?紫式部が暮らしていた後宮の生活とは?
貴族の文化が栄えた平安時代の後宮。政権を手に入れるため、藤原氏たちは娘を競って帝に入内(じゅだい)させますが、皇子が誕生しなければ家の将来はありません。
どうやったら、天皇の寵愛を受けることができるか。妃たちがひしめく後宮は、雅で厳しい権力闘争の舞台だったのです。
熾烈な後宮の世界を見ていきましょう。
平安時代の文化~国風文化における貴族の娯楽・恋愛・結婚。その宗教観を知る~
平安時代の文化として一番にあげられるのが、国風文化です。
国風文化とは、従来の唐風(中国風)文化に代わる日本独自の和風文化のこと。9世紀の遣唐使廃止をきっかけに変化したともいわれますが、実際にはそれ以前に始まり、中国の唐風と日本の文化が融合しつつ、発展したものと考えられています。
優れた王朝文学をも生むことになる平安時代の文化とは、いかなるものだったのでしょうか?
なかなか知ることのできない後宮での娯楽、恋愛と結婚、そして文化の根幹のなる宗教について、具体的に解き明かしていきましょう。
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