更新日: 2024年8月9日
怨霊に祟られた平安京の天皇~権謀術数の平安京で起こった数々の事件
桓武天皇によって「平城京」から「平安京」へ遷都が行われ、約400年続いた平安時代。
優雅で雅な天皇と貴族の印象が強い時代ですが、天皇の座を巡っての策略が渦巻き、血なまぐさい権力争いは続いていたのです。
※「権謀術数(けんぼうじゅっすう)」とは、組織内で自身の評価を上げることを目的とした行動や策略のことをいいます。
目次
平安京への遷都を行った桓武天皇が即位するまでの経緯
奈良時代、四十六代孝謙天皇は重祚(ちょうそ:一度退位した天皇が再び即位すること)して称徳天皇になりますが、女帝で独身のため子どもがいませんでした。そこで、天智天皇の血を引く志貴皇子の子の白壁王が光仁天皇になります。白壁王は天皇になりたいという素振りを見せないように注意して、酒ばかり飲んで過ごしていたのですが、他に適当な人がいなかったことから、天皇になりました。
ただ、光仁天皇には井上内親王という妃と、渡来人系の高野新笠という奥方がおり、井上内親王には他戸親王が、高野新笠には山部王(桓武天皇)という皇子がいました。
井上内親王は、自分は聖武天皇の娘なので、次の天皇は我が子他戸親王だと思っていたのです。
ところが、渡来人系の藤原百川などが、「井上親王と他戸親王は、占いで光仁天皇を呪い殺そうとしている」と訴えて二人は捕らえられ、幽閉されます。そして二人は同じ日に亡くなります。
そして、渡来人系の母を持つ山部王が桓武天皇として即位します。桓武天皇は遷都しますが、ここで血なまぐさいことが次々と起こります。
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【筆者】能勢初枝
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1935年、岡山市に生まれる。岡山県立操山高校・奈良女子大学国文科卒業。結婚後、東京に約20年、途中札幌に3年間、さらに千葉県市川市に2年居住。夫の転勤で大阪府高槻市に移り約30年、夫の定年後岡山市に3年、その後兵庫県神戸市に移り、現在は大阪市内に在住。
【著書】
・『ある遺書「北摂能勢に残るもうひとつの平家物語』2001年発行(B6版218ページ)
・『右近再考高山右近を知っていますか』2004年発行(A5版277ページ)
・カラー冊子『歴史回廊歩いて知る高槻』(共著)2007年発行(A4変型版&ページ)