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『和泉式部日記』から読み解く和泉式部の恋愛と生涯

能勢初枝

更新日: 2024年9月24日

『和泉式部日記』から読み解く和泉式部の恋愛と生涯

現代でも親しまれる平安中期に和泉式部によって書かれた『和泉式部日記』。そこには恋に生き、男性に翻弄された彼女の人生の回想録が記されています。
和泉式部が自分の言葉で自己を表現した『和泉式部日記』から、彼女の生涯と恋愛感を紐解いていきます。

『和泉式部日記』から読み解く和泉式部の最初の結婚と2人の親王との愛人関係

和泉式部の父は越前守大江雅致(まさむね)、母は越中守平保衡(やすひら)の娘でした。

母が冷泉天皇の后昌子に仕えたことから推して長徳二年(996)、和泉式部は20歳前後で、和泉守橘道貞と結婚しました。※和泉国守と結婚したことにより「和泉式部」という呼び名となります

小式部(娘)を生みましたが、夫とは20歳も歳が離れていたこと、また夫の道貞が和泉の国に在任中愛人ができてしまったので別れたのでした。

長保二年(1000)頃、為尊(ためたか)親王(冷泉天皇の第三皇子)と恋愛関係になりますが、長保四年六月に為尊親王が亡くなりました。

為尊親王は、当時疱癒(ほうそう)が流行っていましたが、ものともせず愛人のもとへ通い続ける好き者だったようです。そのせいか為尊親王は病いで亡くなり、和泉式部との関係は二年たらずで終わったのでした。

愛人を失った和泉式部が日々嘆きくらすうち、為尊親王の弟である敦道(あつみち)親王に求愛されます。為尊親王の一周忌も終わらぬ時だったので、和泉式部にも躊躇いがありましたが、敦道親王の情熱にひかれて、敦道親王との恋がはじまります。

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【筆者】能勢初枝

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1935年、岡山市に生まれる。岡山県立操山高校・奈良女子大学国文科卒業。結婚後、東京に約20年、途中札幌に3年間、さらに千葉県市川市に2年居住。夫の転勤で大阪府高槻市に移り約30年、夫の定年後岡山市に3年、その後兵庫県神戸市に移り、現在は大阪市内に在住。
【著書】
・『ある遺書「北摂能勢に残るもうひとつの平家物語』2001年発行(B6版218ページ)
・『右近再考高山右近を知っていますか』2004年発行(A5版277ページ)
・カラー冊子『歴史回廊歩いて知る高槻』(共著)2007年発行(A4変型版&ページ)

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