更新日: 2024年4月10日
梅田や大阪城はどう変わった? 古地図から見る街の移り変わり
「紙地図をたどれば、その町の歴史や人の営みが見えてくる」
実在しない都市の地図を描く、空想地図作家の今和泉隆行さんはそう言います。そんな今和泉さんに、今回は大阪市の変化について語っていただきました。
大阪府茨木市出身で、父に連れられてたまに大阪駅に電車を見に行っていた少年Bと、20代になって初めて関西に足を踏み入れたという今和泉さんの2人が、大阪市北部の地図を見ながら語ります。今和泉さん、今回もよろしくお願いします!
大阪駅周辺の移り変わりを見る
少年B:
今回編集部から貸していただいた地図は、昭文社が1960年に大阪で創業したときに作成・販売していたもので、社内でも見たことのある人は少ないんだとか……。
今和泉:
年代物ですね。貴重なものを見せていただいてありがたいです。
少年B:
さて、北区というと、大阪駅があるところですね。さっそく2023年と見比べてみましょう!
今和泉:
もう、東西南北すべてが違いますよね。まず大阪駅(梅田駅)を中心とした梅田の中心から見てみましょうか。
今和泉:
JR(当時は国鉄)大阪駅、阪神百貨店(阪神梅田駅)、阪急百貨店の構図は変わりません。ところがよく見ると阪急梅田駅の位置が違います。
以前は国鉄(JR)の線路を越えて、現在の阪急百貨店のところに地上のホームがありましたが、その後、高架化して北側に移り、この地図の北側に移っています。実は国鉄と阪急の線路の上下関係は、何回か変わって今に至ります。
次に目につくのは南側でしょうか。
少年B:
大丸の入ってるビルがなくて、前面がロータリーなんですね。
今和泉:
駅ビルの大丸は比較的新しいビルです。それよりもこの頃は阪神百貨店以外のビルがなくて、商店街が広がっているようです。梅田親交商店街が気になります。恐らく小さいお店が密集してたんでしょうね。
ここはその後、大阪マルビルになりました。東京だと丸の内のビルが丸ビルですが、大阪では単純に形が丸いからマルビルです。ところが昨年ビルは閉館し、現在解体工事中。これから建て替えです。
少年B:
円柱型ってことなんだ。梅田といえば地下街がダンジョンすぎるとして有名ですが、このときは地下街もないんですか?
今和泉:
ないと思います。第1~第4まである大阪駅前ビルができる前の貴重な地図ですよね。細かい道路網一つひとつに見応えがあります。
少年B:
確かに、あのビル群がないとだいぶ感じが違いますね。でも、地下鉄はあるんだ。
今和泉:
御堂筋線の梅田駅は1935年開業で、日本で2番目、公営では初となる地下鉄です。ただ、四つ橋線の西梅田駅は1965年、谷町線の東梅田駅は1967年の開業で、この地図の後にできます。
少年B:
御堂筋線の梅田は確か、単独路線では日本一利用者が多い駅なんでしたっけ。そんな昔からある駅が今でも日本一なのはすごいなぁ。
今和泉:
おっと、国道1号と国道2号の中間におもしろいものがありますよ。道路元標だ!
少年B:
道路元標……?
今和泉:
国道や都道府県道の起終点を示す柱です。それが地図に載ってるとは。
少年B:
国道1号の終点で国道2号の起点だからあるんですね。たしかに地図に載ってるのは意外かも……!
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