更新日: 2024年2月19日
レジャーから日常へ、大きな変貌を遂げた船橋。古地図から見る街の移り変わり
「紙地図をたどれば、その町の歴史や人の営みが見えてくる」
実在しない都市の地図を描く、空想地図作家の今和泉隆行さんはそう言います。そんな今和泉さんに、今回は船橋市の変化について語っていただきました。
都心にも近く、過ごしやすいイメージのある船橋市。JR総武線や武蔵野線に京葉線、京成線に東武野田線、東京メトロ東西線、東葉高速鉄道と数多くの路線が走り、西船橋や南船橋といった市名を関する駅も数多くあります。
そんな船橋市はいったいどんな街だったのでしょうか。今和泉さん、今回もよろしくお願いします!
目次
大きな変貌を遂げた西船橋
少年B:
今回は船橋市ですね。船橋って、いまいちよくわかんないんですよ。新松戸に住んでるので、たまに西船橋で乗り換えはするんですけど。
今和泉:
じゃあ、まずは西船橋のあたりから話を始めましょうか。1967年の地図を見て、まず何を思いましたか?
少年B:
小金線ってのが武蔵野線なんですか? まだこの時は開通してないんですね。
今和泉:
西船橋はまだ乗換駅じゃなくて、総武線しか通っていない小さな駅で、いまの東船橋と似たような存在感だったはずです。未開通の路線がもうひとつありますね。ヒントは南側です。
少年B:
京葉線……? いや、この時はまだ影も形もありませんね……。わかった! 東京メトロ東西線ですね!
今和泉:
正解です。東西線は地下鉄5号線(地図中では地下地鉄5号線)として、まさにこの頃建設真っただ中なんですよね。1969年の地図を見ると、地下鉄5号線が完成しています。この地図の発行は4月ですが、東西線は3月29日に西船橋まで開通しました。
少年B:
開通したばかりの様子が描かれてるんですね。小金線の計画線も南に延びてます。
今和泉:
西船橋駅南口に目を向けてみると、京葉道路はこのとき開通したばかりです。船橋市の区間ができたのは1966年です。
少年B:
ちょうど1960年代後半に、西船橋のあたりは大きく変化したんですねぇ……。当時の西船橋はどんな感じだったんでしょう。
今和泉:
北口は住宅地ですが、南側は田畑が広がっていたはずです。今とはだいぶ違います。
少年B:
西船橋、乗り換えるけど降りたことないな……。今は住宅街ですか?
今和泉:
南側はマンションが増えて、住宅地として人口が増えました。行き先でもよく見る乗換駅ではあるんですが、わざわざ降りる街かというと……って感じですね。変化を見比べてみましょう。北口はあまり変わってませんが、南口が少しずつ宅地化していくのが分かります。
少年B:
1967年、1969年の地図を見ると道と道の間隔も広いし、まだ田んぼって感じですね。これから区画整理されていくのかな。
今和泉:
いや、よく見てもらうと分かるんですが、この道路網は今も変わっておらず、区画整理はされていないんです。店舗やマンションが増えたのと、1994年の地図で水路だったところが、細い道に変わったりはしました。
少年B:
水色の線が水路ですね。西船橋駅の南口にこんなに水路があったとは。
今和泉:
都市化したら水路はいらなくなるので、水路が道路になります。直線状の区画として耕地整理したところが、あとで宅地化しただけなんです。もともと都市化する前提で区画整理したわけではありません。
少年B:
田んぼの時点で整理されていると。都市化したからといって、区画整理をするわけじゃないんですね……!
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