目次
廃線跡がわかりやすい砧線
少年B:
あと、二子玉川園(現・二子玉川)駅から何か電車が出てますね。砧線? 何て読めばいいんですかこれ。
今和泉:
東急砧(きぬた)線ですね。この翌年、1969年に廃線になりました。終点には日本ゼオラKKとわかもと製薬の工場があります。
少年B:
わかもとって、あのわかもとですか? 強力わかもとの。
今和泉:
そうです。日本ゼオラKKもわかもとの関係会社です。砧下浄水所はありますが、当時は近くの住宅も少なそうなので、わかもとへの通勤客がメインだったような気さえします。
少年B:
もうわかもと専用線じゃん。延伸予定はなかったんですか?
今和泉:
狛江まで伸ばす計画はあったそうですが、免許が失効したようです。
少年B:
この砧本村駅のあたりは今はどうなっているんですか?
今和泉:
工場はどちらも郊外に移転し、代わりに駒沢大学の玉川キャンパスが来ました。今はバスがほぼ同じルートを通っていて、終点は砧本村のままです。今や住宅地が広がり、乗る人も多いのか、そこそこバスの本数が多いので、今も残っていたら砧線の需要はあったかもしれません。
このあたりの経緯については私が書いたものではありませんが、まっぷるトラベルガイドに詳しい記事があったので、こちらも合わせて読んでもらえるとわかりやすいと思います。
【まっぷるトラベルガイド 二子玉川の多摩川に飛行場があった?】
少年B:
廃線跡はそのまま道路になったんですね。
今和泉:
高島屋SCの東館から中吉通り(都道)の1本北の小道がそうですね。吉沢橋を渡って、そのまま駒沢大の校舎まで真っすぐですね。これはわかりやすいと思います。途中駅の位置はバス停になって少し移動しましたが、中耕地、吉沢と名前もそのままです。
少年B:
距離にして2kmちょっとだから、歩いても30分ぐらいですよね。散歩コースにはちょうどいいかもしれない……。
二子玉川園の変遷をたどる
今和泉:
変わったと言えば駅の名前もそうで、この時代は二子玉川園駅なんですよね。元々、これまでも玉川駅→よみうり遊園駅→二子玉川駅と合併して二子読売園駅→二子玉川駅→二子玉川園駅と何度も改称を繰り返していた二子玉川駅ですが、2000年にふたたび「園」が取れました。
少年B:
二子玉川園?
今和泉:
東急が運営していた遊園地です。1985年に閉園し、今は跡地が二子玉川ライズになりました。楽天の本社もここにあります。
少年B:
おお、二子玉川ライズ。たまにイベントが行われるので、何度か行ったことがあります! あそこ、遊園地だったのか。

▲1950年代の二子玉川園(出典:Wikipedia)
今和泉:
遊園地の写真がWikipediaに載っていましたが、見るとすごくのどかですね。郊外の遊園地って感じがします。
少年B:
これも、今の姿からは想像ができませんね……!
今和泉:
1985年の地図を見ると、駅の北東に銭湯がありますよね。これ、かなり意外に思いませんか?
少年B:
ですね。二子玉川の駅チカに銭湯があるなんて!
今和泉:
1968年は「玉川製氷」という氷工場があり、郊外の様相が強いですが、1985年には銭湯と映画館ができ、少し下町っぽい市街地の様子です。これらがなくなるとともに、二子玉川園が閉園します。ただ遊園地の跡地を活用しただけでなく、その周辺も含めての再開発が行われたんですよね。

▲二子玉川駅前(2008年9月 今和泉撮影)
今和泉:
再開発の工事開始までは敷地を有効活用すべく、二子玉川園の跡地には二子玉川タイムスパークがという施設ができました。2001年の地図では、その様子が確認できます。ちょっと全体像を見てみましょう。
少年B:
タイムスパーク? 駐車場ですか?
今和泉:
タイムズパーキングではありません!(笑) 確かに、名前は似てますが……!
タイムズパークにはテナントが個々に敷地を借りて施設を設置・運営する方式で、テーマパークやスポーツ施設など複数の施設があったそうです。ナムコが運営していたワンダーエッグが代表的な施設でしょうか。

▲ワンダーエッグのパンフレット(出典:バンダイナムコゲームス「アナタとワタシのナムコ伝13」)
少年B:
ナムコのテーマパークといえばナンジャタウンのイメージが強いですが、それより昔にこんな施設があったんですね。楽しそうだなぁ。
下北沢の変化は地図から読める……?
今和泉:
あと、世田谷区で変化の多い街といえば下北沢でしょうかね。
少年B:
下北沢は高校時代に長い時間を過ごした思い出の街です。街の雰囲気もだいぶ変わった気がしますが、どうですか?
今和泉:
小田急線が地下化したのは地図上で大きな変化なのですが、京王井の頭線の高架下の変化は地図には描かれないし、大型施設や大きな道路もできていないので、地図上で見ると思ったよりは変化が見えないと思います。
今和泉:
1968年は映画館がたくさんありましたが、今はだいぶ減っていますね。1985年の地図を見ると、丸井と忠実屋がありますね。丸井は1949年に開店し、1980年代には閉店しますが、後にアウトレット店舗になったようです。それより忠実屋ですよ。
少年B:
忠実屋? 何屋さんですか???
今和泉:
私は東京都西部の日野市出身なんですが、隣の八王子で創業し、大規模にチェーン展開していたスーパーチェーンです。コアなファンもいますよ。
ダイエーに経営統合されたため、その後はダイエーやダイエーグルメシティになりました。2001年の地図でもグルメシティになってますが、2021年にはなくなってますね。
少年B:
へぇ、そんなお店があったんですね。知らなかった……! あと、下北沢といえば、小田急線の地下化前は駅前に闇市がルーツの飲食店街がありましたよね。なんとも言えない雰囲気で好きでした。

▲下北沢駅前食品市場(2017年4月 少年B撮影)
今和泉:
貴重な写真ですね。小規模ゆえ地図には書かれてませんが……。ピーコックの東側、小田急線の下北沢駅との間にあったようですが、私はこのへんは詳しくなくて、全然写真がありません。
少年B:
ここは駅前の地下化再開発のときになくなってしまって、個人的には残念な気持ちでした。2017年にスマホで撮った写真が残ってました。なくなる直前ですね。

▲下北沢駅前食品市場の入口付近(2017年4月 少年B撮影)
今和泉:
下北沢は地図に描かれない、小さな店の変化が大きそうですが、駅前市場の跡地部分には新しい道路や駅前広場ができ、今後はバスが入ってくるようです。こういう大きな変化は地図に描かれるので、これから大きく変わっていくところでしょう。
花嫁修業がうかがえる自由が丘周辺
今和泉:
今度は自由が丘周辺を見てみましょうか。自由が丘駅は目黒区ですが、駅の南側は世田谷区です。
自由が丘魚菜学園やサンライズ洋裁学園といった名前の学校がありますね。ここから何か感じ取れませんか?
少年B:
失礼かもしれませんが、なんか昭和の時代って感じがしますね……。なんとなく花嫁修業っぽさがあります。
今和泉:
そんな感じがしますよね。2001年には「魚菜プラザ」になっていますが、今は「魚菜学園 自由が丘お料理学校」と名前を変えて、今もあるようです。料理研究家の田村魚菜さんが作った学校なんだとか。
少年B:
人名なの!? 普通に魚料理のことかと思ってた……!

▲出典:魚菜学園 自由が丘お料理学校
今和泉:
ホームページを見ると、和食以外に、男の料理教室ってコースもあるし、短期集中講座ではキムチやキーマカレーといった料理のコースもあるみたいですね。
少年B:
時代に適応している感がありますね。 味噌やオリジナルハーブソルト作りは普通に参加してみたいな。楽しそう!
ところで、このあたりって自由が丘駅と田園調布駅のちょうど間だけ世田谷区なんですね。なんか不思議な感じがします。
今和泉:
昔の村のまとまりと、鉄道のルートはまったく関係ないですからね。ぽつぽつとあった小さな農村集落を避けるように自由が丘駅は集落のない田畑のど真ん中にできました。当時は単なる村(碑衾村、玉川村)の端だったのが、鉄道と駅ができてから中心的な街ができるのが、東京の郊外ではよくあります。
少年B:
へぇぇ、なるほど。今の感覚で話しているとわからないことですねぇ。
今和泉:
ちなみに、自由が丘周辺の区境は元々川なんですよ。川ってことは、辺りに比べて低い。
少年B:
自由が丘は谷底だった!?
今和泉:
駅のあたりはそうですね。これは目黒区ですが、駅の北側にある自由が丘1〜3丁目あたりには台地が広がっていて、乗客の多くはそこを目指している人たちなので、違和感は抱きづらいですが。
少年B:
うまいことカモフラージュしてるんですねぇ。あともうひとつ思ったんですが、二子玉川と自由が丘は高級なイメージがありますが、その間って意外とそんなにハイソなイメージがなくないですか……?
今和泉:
二子玉川と自由が丘の知名度が高くなったとすると、その間の等々力や九品仏は知ってる人は知っている閑静な住宅地、といった印象です。なにせ読みにくい。「とどろき」と「くほんぶつ」です。
今和泉:
知名度でいうと、国分寺みたいな感じかもしれません。高級住宅街として知られてはいないけど、歴史ある郊外住宅地で、地価も安くはない、みたいな。1968年当時に住宅地が広がってるって時点でだいぶすごいことなんですが。
少年B:
江戸川区の葛西とか、当時は何もなかったですもんね。
交通網の変化で江戸川区の発展がわかる。古地図から見る街の移り変わり
少年B:
学生時代、友人の大学の学園祭で、尾山台で一度降りたことがあるんですが、隣の九品仏で「この車両のドアは開きません」って放送が流れて、びっくりした記憶があります。世田谷区なのにそんなにホームが小さいの!? って。
今和泉:
お友達の学校、さては武蔵工業大学(現・東京都市大学)ですね。九品仏は駅の両側に踏切があるので、どうしてもホームを伸ばせないんですよねぇ……。
さて、砧線の先、宇奈根町や喜多見町あたりも見てみましょうか。こっちは1968年時点ではまだまだ農地が広がってるのがわかります。逆に言うと、だから東名が通せたと言ってもいいでしょう。
少年B:
確かに、この時点で都市化していたら、高速道路なんてなかなか通せないですよね。外環道はかなり都市化したところを工事していますが、反対のニュースもよく見ますし……。
祖師谷は大学と社宅の街だった
少年B:
小田急沿線も田園都市線と同様に高級住宅街のイメージがありますが、あのへんはどうですか?
今和泉:
今では住宅地ですが、小田急と京王の間は1968年ではだいぶのどかな風景が広がっています。大田区同様に環八通りが工事中ですが、その西側はほぼ田畑ですよね。祖師谷1、2丁目や廻沢町あたりは。
少年B:
このあたりは地名も変わったし、だいぶ雰囲気が違いますよね。1968年と今では、同じ「祖師谷1丁目」って住所でもぜんぜん場所が違うじゃないですか。変わった直後は混乱しただろうな。
今和泉:
このあたりは1971年に住居表示が実施されて、町名が変わったようです。青山学院大学の理工学部は2002年まで京王線の千歳烏山駅と小田急線の祖師ヶ谷大蔵駅のちょうど中間、千歳台6丁目にあったんですね。いまは淵野辺に移転しました。
少年B:
おお、青学の相模原キャンパス! 昔、介護士をやっていたときに資格試験の会場がここで、受けに行った記憶があります。試験には落ちましたが……。
今和泉:
苦い思い出の地でしたか……。その他、東洋製菓KK→名糖産業の工場跡地はパークホームズに、丸紅飯田祖師谷工場は、その後丸紅グランドになって、プラムガーデンになっています。工場が大型マンションになる流れが見られますね。それでも千歳農協、JA千歳は現在も生き残っています。
少年B:
なるほど……。ところで、1985年まで残ってる「東京蘭葉温室」って何ですか? 気になりますね。
今和泉:
千歳高校の西側にある施設ですね。調べてみると、1963年に設立された花のランの卸売をしていた会社で、1998年に東京植物卸売市場と合併し、東京砧花き園芸市場となり、砧公園の北にある世田谷市場に移転しています。
少年B:
こんなところに市場があるんですね!?
今和泉:
私も気づきませんでした……。美術館、市場、清掃工場の3つが隣り合うのは珍しいと思います。続いては上祖師谷4丁目の周辺を見ていきましょう。
少年B:
電電公社って名前に時代を感じますね。今のNTTだ。
今和泉:
電電公社、後のNTT社宅は今も現役ですが、その周辺もすごいですよ。丸紅飯田寮、ジャパンライン寮、農林年金住宅、住友海上火災寮があります。これらはなくなって、今はマンションになっています。
少年B:
丸紅飯田寮? 飯田ってのはこのあたりの地名とかですか?
今和泉:
社名+地名+寮だと思ったんですね。違うんです、当時は丸紅飯田って会社があったんですよ。今の丸紅の前身です。また、ジャパンラインのほうは吸収合併されて、今は商船三井になってます。どこも昭和の高度成長を支えた企業、という印象です。
少年B:
なるほど、しかしこんなに社宅密度が高いとは。時代の変化が詰まってますねぇ……。
今和泉:
少し北には東京教育大学農学部の祖師谷農場があります。今の筑波大学の前身ですね。
少年B:
えっ、筑波大の!? 筑波大の農場ってめちゃめちゃでかいじゃないですか。その規模の農場が……!?
今和泉:
さすがに今の筑波大ほどの広さではないようですが、跡地は祖師谷公園の敷地の一部になっているようです。
細部を見てこそ気づく世田谷区の変化
少年B:
成城学園前駅のあたりはどうですか?
今和泉:
あまり変化がありませんね。同じ小田急線の下北沢駅と同じく地下化されて、駅の印象は変わりましたが、街の要素や雰囲気はそんなに変わりません。
少年B:
確かに、駅の北側には成城大と三菱銀行、木下病院、公共施設……と、今もまったく同じ建物が並んでいますね。
今和泉:
それから、また二子玉川近辺に戻りますが、岡本町を見てください。一之橋、二之橋、三之橋……と連番の橋があります。
少年B:
おおー、ホントだ! これは珍しいんでしょうか?
今和泉:
じつは意外とよくあります。それより気になるのは、国際家畜研究所、静嘉堂文庫、そして参議院速記養成所です。
少年B:
聞いたことのないスポットが集中してますね。
今和泉:
家畜の研究はいいとして、「国際」がつくとどう変わるんでしょうかね……。静嘉堂文庫が国会図書館の支部だったのが気になりましたが、元々私営図書館・美術館で、三菱財閥の総帥が所有していた古典籍や古美術品を展示していたものの、財政難に陥って1953年に国立国会図書館の支部図書館になったようです。
その後は三菱グループの協力もあり、1970年に国会図書館の傘下を離れ、ふたたび独立したみたいです。
少年B:
私設図書館→国会図書館の支部→私設図書館と変わっていったなかで、その貴重な時代の痕跡が地図に残っているんですね。
今和泉:
そして、その下には参議院速記養成所という、一種のスペシャリスト養成施設がありますが、国会から少し離れた意外な場所にあるんですね。
少年B:
議員さんが通うのかな? いまいちイメージできないですね。
今和泉:
議員ではなく速記符号と呼ばれる独特の文字を使って、普通の文字よりはるかに速く人の話を書き取る技術を持った速記者というのがいまして。
彼らは本会議場の演壇の前の席に座り、会議の発言を文字に起こして、会議録を作成しています。

▲国会で活躍する速記者(出典:衆議院インターネット審議中継)
少年B:
そんなスキルがあるんだ!? 演壇って首相や大臣が発言するデカい席のことですよね。目立ちそうだけど、ぜんぜん気にしたことなかったなぁ。
今和泉:
かつては参議院、衆議院ともに速記養成所があり、2年間の養成期間を経て採用されたそうですが、現在の議事録作成はパソコンが主流になり、この養成所も廃止になってしまったそうです。
少年B:
うーん、わたしが取材するときもICレコーダーで済ませちゃいますしねぇ。記録のためにわざわざ高い人件費を払うかというと……。難しいですよね。
今和泉:
きっと、その時代に必要とされた職業なんでしょうね。そういった時代性が、この地図からは読み解けるというわけです。
少年B:
なるほど。地図をきっかけに、この時代の生活に想いを馳せてみるのも楽しいかもしれませんね。この時代のライター事情、どんなんだろうな……。
世田谷区の意外な一面を知った日
高級住宅街のイメージが強い世田谷区ですが、昔はのどかな街が広がっていたり、遊園地があったりするなど、意外な一面を見ることができました。普段はクールで、取っつきづらいな……と思っていたあの子の違った一面を見れたような感覚で、世田谷区にもちょっと親しみを感じることができたような気がします。
また、地図を見て、古きよき時代の生活に想いを馳せるのもおもしろいので、みなさんも古地図を見つけたら、ぜひともじっくり眺めてみてください。けっこう楽しいですよ!
今和泉さんの地図話はまだまだ続きます。
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