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グランドハイツには軍用輸送線も

今和泉:
ところで、Bさんが1968年の地図をみて基地だと思ったのは、この住宅地が縦長の形をしているからですか?

少年B:
そうです。なんか飛行機飛べそうじゃないんですか。ホラ、この真ん中の通りとか。

▲1968年のグランドハイツ。中央の通りは滑走路を継承したもので、現在はふれあいの径・公園通りになっている(クリックで拡大)
(1945年の地図の出典:国土地理院2万5千分の1地形図)

今和泉:
じつは、ここは元々滑走路ではあったんですよ。戦前は。そして、今では遊歩道になっています。

少年B:
えーっ!? ずっとそのまま使われてるんだ!

今和泉:
日本陸軍が作った成増飛行場で、完成は1943年だそうです。終戦は1945年なので、2年ほどしか使われてないようですが……。そこを終戦後、進駐軍の住宅地に転用したようです。

少年B:
成増って板橋区じゃないですか。なんで練馬なのに成増なんだろう。綾瀬市と大和市にまたがる厚木飛行場みたいですね。

今和泉:
確かに、米軍基地は近くの有名な地名を借りてくるパターンが多いかもしれません。

少年B:
でも、飛行場なら米軍が引き継いで基地になると思うじゃないですか。なんで住宅になったんでしょう。

今和泉:
滑走路の距離を見ると、ちょっと短いですよね。これだと大型飛行機は飛べないのでは?

少年B:
都内なのも影響してるのかな。地価が高いとか。

今和泉:
どっちかというと、「都心に近い」ってほうが影響していそうですね。ここに住む人たちがどこに勤めていたのかはわかりませんが、都心には米軍が接収していたさまざまな施設がありました。ちなみに、都心方面に鉄道もあったようです。

少年B:
えっ、でもこの地図には線路なんてありませんよ??? どこを走ってたんだろう。

1957年の地図。東上貨物線が載っている(クリックで拡大)
(出典:国土地理院1万分の1地形図)

今和泉:
東武の上板橋駅から分岐して、グランドハイツまで30分間隔で池袋から直通電車が走っていたそうですよ。ただ、1948年に旅客営業が終わり、1959年には廃止されたようです。

東武啓志(けいし)線といって、グラントハイツ建設工事総責任者のヒュー・ボイド・ケイシー中尉、もしくはその父親で進駐軍の工兵部門トップであったヒュー・ジョン・ケイシー少将の名前からきているという説があります。

少年B:
そんなことある!? でも、ということはこの時点で廃止されてから9年が経ってるんだ。地図で見る限り、まったくなごりがないですね。

今和泉:
1968年の地図を見てみると、児童遊園下の行き止まりの道の間に線路がありそうですね。

▲赤丸で囲まれたあたりに不自然な行き止まりがある。今和泉さんはここが東武啓志線のルートではないかと予測するが……(クリックで拡大)
(1957年の地図の出典:国土地理院1万分の1地形図)

少年B:
あーっ、なんか不自然な行き止まりの道が残っているあたりですね!?

今和泉:
そうです。線路で道が分断されていた、と考えると納得がいきます。が……少しずれているような気もします。もしかしたら関係ないかもしれません。

少年B:
なるほど! 確かに言われてみれば違和感があります。今和泉さんの地図分析力、半端ないですね……!

今和泉:
いや〜、重ならないとスッキリしません……。

2つある「練馬駅」の謎

今和泉:
次に東武練馬駅周辺を見ていきましょうか。1968年の地図を見てください。

▲東武練馬駅のすぐ近くには自衛隊の練馬駐屯隊がある(クリックで拡大)

少年B:
こっちは自衛隊の駐屯地があるんですね。それにしても駐屯地を川越街道が突っ切ってるの、不思議な感じがします。

今和泉:
あ、それは後からできたバイパスなので、そんなに不思議ではないですね。旧道は東武東上線の近くを走る道です。ほら、周辺に銭湯がたくさんあるでしょう。

少年B:
ああー、確かに「銭湯が多い=昔からの街」って構図は今までも出てきましたね。すっかりわすれていました。

▲ピンク色の線引いた道が旧川越街道。公衆浴場(水色)も多い(クリックで拡大)

今和泉:
そう、街道の宿場町(川越街道下練馬宿)があったってことですね。ちなみに、この北町四丁目の自衛隊駐屯地はいまもあります。

少年B:
こんなに立地のいい基地があるんですね!? 北側なんて、歩いても東武の練馬駅から5分くらいじゃないですか。

今和泉:
確かに近いんですが、今の地図を見ると駅から近い北側は宿舎と書いてあります。

▲北側の宿舎は周囲の道路とつながっており、街区符号(水色の番号、丁目の次に来る住所の数字)も密に振られている。(クリックで拡大)

少年B:
宿舎って言うとまたサバイバル感が強そうな響きですが…。

今和泉:
想像している「宿舎」とはたぶん違うと思います。周囲の道路網とつながっていて、一般の車や歩行者の通行も多そうです。おそらく自衛隊宿舎と書いてないと気づかないほど、ほぼ都市部の集合住宅、公団住宅と変わらない見た目だと思います。

少年B:
シンプルに公務員住宅、ってことですね。

今和泉:
逆に、南側の駐屯地の敷地内は周囲の道路網とつながっておらず、街区符号も全体で「1」としか振られていないので、隊員しか入れない敷地でしょう。文字情報がなくても、道路や街区符号だけで大体見えてきす。

少年B:
そんな見分け方があるんだ……!

▲斬新な見分け方に思わず笑ってしまう少年B

今和泉:
ところで、いま名前が出た駅は東武練馬駅ですね。しかし練馬駅は3.5kmほど南にもあります。西武や都営地下鉄の練馬駅です。これは戸惑いますよね。

少年B:
言われてみれば確かに。駅名は同じなのに、ぜんぜん場所が違いますよね。「練馬の駅に集合ね!」って言われて、いざ行ったらぜんぜん別の駅で待ち合わせてたとかありそう。

今和泉:
練馬駅は西武線や地下鉄有楽町線(副都心線)、大江戸線との乗換駅で、練馬区役所もあるので、名実ともに中心駅ですが、3.5km北にある東武練馬駅は各駅停車しか止まらない小さな駅……かと思いきや、近年では急行停車駅の成増駅よりも乗降客が増えていて、あなどれない存在になっています。

ところで、東武練馬駅の周辺は地図を見ると「北町」とありますよね。つまり……?

少年B:
南町もあった……ってコト!?

▲西武の練馬駅周辺。1968年時点では「練馬○丁目」だが、かつては「練馬南町」だった(クリックで拡大)

今和泉:
その通りです。西武の練馬駅があるあたりは練馬○丁目ですが、もっと昔は練馬南町(みなみちょう)だったんですよ。さらに、その間に練馬中町がありました。

少年B:
練馬、デカ過ぎんだろ……!

今和泉:
練馬駅も東武練馬駅も1929年まで「下練馬村」だったんですが、その南端が南町になり、練馬駅ができて、北端が北町になり、東武練馬駅ができたようです。。

▲練馬の位置関係(クリックで拡大)

少年B:
下練馬!? 下があるということは……上もあるってことですよね???

今和泉:
はい。下練馬村の西側、富士見台から光が丘あたりが以前の上練馬村です。

少年B:
そんなに広範囲が練馬だったんですね! ……確かに、言われてみれば区の名前になってるぐらいの地名だもんなぁ。

道路が幾何学模様を描く!?

今和泉:
ところで、練馬中町だった平和台のあたりを見てください。何か不思議なことに気付きませんか?

少年B:
うーん……。あれ? なんか道路が八角形になってません???


▲赤い丸で囲った部分は道路が八角形になっている(クリックで拡大)

今和泉:
その通りです。円形の交差点もあります。これ、おもしろいですよね。

少年B:
これは不思議ですね! 地上絵みたいです。いったいどんな秘密が隠されているんですか???

▲区画整理される前の平和台。大通りは斜め方向(黄色)、小さな道路は縦横方向(水色)になっている。
(出典:国土地理院2万5千分の1地形図)

今和泉:
古い地図を見ると、斜めに引かれた大通り(黄色)も、その近くにある縦横の水色の道も、古いんです。そして、それぞれの道を直角に結ぼうとした結果、大通りの交差点周辺が八角形になったんだと思います。

少年B:
えっ、計画的にこう作ったわけじゃないんだ!?

▲現在の平和台周辺。斜めの大通り(黄色)と縦横の道路(水色)がそれぞれ整えられ、現在の道路模様となった。

今和泉:
そう、たまたまそういう道があったから、なんかこうなっちゃったという話なんです。ただ、合理的ではありますよね。直角だと建物も建てやすく、車も通りやすいですし。

少年B:
たしかに、45度の交差点だと曲がりにくいし、三角の土地だと建物も建てにくいでしょうしねぇ。でも、こういう町は他にあるんですか?

今和泉:
なかなかないです。自分の知る限りでも、ここぐらいだと思いますよ。

少年B:
他の街だとどうなるパターンが多いんですか?

今和泉:
普通はどっちかに揃えますよね。大通りに並行して、ぜんぶの道が全部斜めになるパターンが多いと思います。

少年B:
そうならなかったのは何でなんでしょう。縦横の道が古かったから? 区画整理したのが昔だったかったから……?

今和泉:
ここは練馬区のなかでも一番都心側で、古くから宅地化しているはずです。昔からあった黄色い道と水色の道のどちらの道も沿道に建物があって、それぞれの道をなくすことはできなかったでしょう。縦横の道、斜めの道、それぞれの道を残したまま、それぞれに直角な道ができたことで、今の模様になっていると思います。。

少年B:
ほんとだ、これ上空から見たらおもしろいだろうなぁ。平和台・氷川台から都道441号線を越えて早宮に行くと道路の形がぜんぜん違うのも興味深いですね。

▲区画整理がなされた平和台・氷川台と対照的に、早宮は現在も区画整理がされておらず。古い道が残っている(クリックで拡大)

今和泉:
そう、平和台や氷川台は区画整理をしているけど、早宮は今もしていないんですよね。そういう意味で道路1本を挟んで街のかたちが対照的でおもしろいですよね。

練馬ICの周辺はどうだった?

今和泉:
1968年から1985年にかけての変化も見てみましょうか。北大泉町が大泉町○丁目になっています。

少年B:
道の密度が増えましたね。小学校も高校もできています。

▲北大泉町の1968年から1985年にかけての変化(クリックで拡大)

今和泉:
大泉一小の右側とか、農地が宅地化しているのがわかりますよね。そして、一番の違いは関越道ができたことです。

少年B:
練馬インターの周辺だけ異様に道路がデカくておもしろいですね。これもインターの向こう側、大泉学園町二丁目で唐突に止まってるなぁ。

今和泉:
ちなみに、いまの地図をよく見ると、隣町の西東京市の北町六丁目まで延伸しようとしているのが見て取れます。

(今の地図、大泉学園町二丁目~北町六丁目)※黄色い点線部分が建設中、筆者記入

少年B:
1985年って我々2人の生まれた年ですが、それからもう40年近くが経とうとしているのにまだ完成してないんですね。都市計画の気の長さよ……!

今和泉:
そもそも1985年の地図を見る限りでは、よくここに外環道を通したなって感じがしますね。1985年の地図で大泉北高校と書いてあるのがいまの大泉桜高校ですが、この辺はもうすでに宅地化がやばいです。

▲1985年の大泉町。宅地化が激しく、「ここに外環道を通したことがすごい」と今和泉さん(クリックで拡大)

少年B:
外環道は南進の予定もありますもんねぇ。これは調布市の話ですが、地盤沈下が問題になって工事が凍結したなんてニュースも見ましたし、宅地化が進んだなかでの工事は難しそうです。1985年の地図に話を戻すと、この頃はまだ大江戸線もなかったんですね。

今和泉:
光が丘の都営住宅・公団住宅の入居開始は1983年です。米軍跡地を一気に造成して光が丘団地を作った直後ですからね。人は多いけど駅から遠いという難点がありましたが、1991年に大江戸線の光が丘駅ができました。

▲1985年の光が丘団地。大江戸線の駅ができるのは6年後のこと(クリックで拡大)

少年B:
そういえば、大江戸線にも光が丘から新座市までの延伸計画がありますよね。ほんとにできるの……?って感じの印象がありますが。

ただ、延伸したとしても、練馬区内の南北は繋がらないという。東武練馬と西武沿線のアクセスは一度豊島区の池袋駅まで行かなきゃいけないんですね。

今和泉:
それは郊外の宿命ですよね。どうしても鉄道路線は都心と郊外を結ぶ需要に応えるので、郊外同士を結ぶのは弱いという。

光が丘団地の小学校名に注目

少年B:
ところで、練馬区はスタンプが4つもありますね。けっこう多い気がします。

▲規模の大きな町や名所に押されていたスタンプ。練馬区は4つもある(クリックで拡大)

今和泉:
でも、これは名所だからという理由ですよね。豊島園も石神井公園も。純粋に街の規模でスタンプが押されているのは練馬と大泉学園だけです。

少年B:
なるほど。

今和泉:
でも、石神井公園駅は現在は急行停車駅ですし、洗練された雰囲気になったので、今なら街としてスタンプが押されても良さそうな気がします。西武池袋線は石神井公園まで複々線ですし。

駅前が大きく再開発された一方、駅から少し離れると古い商店街も残っていて、賑わっています。駅の南西の商店街は1985年からあまり変わってなさそうです。

▲石神井公園駅周辺の変化。水色の点線枠内が再開発されて洗練されたビル群が並ぶが、すぐ外側には古くからの街が残り、特に駅南西の商店街は賑わう。

少年B:
なるほど。もうひとつのスタンプが押されている大泉学園はどうですか?

今和泉:
大泉学園は今も昔も乗降客が多く、石神井公園より少し乗降客の多い駅です。ただ、個人的には再開発でにぎわいが薄まった印象です。

少年B:
えっ!? 地図で見る限りではペデストリアンデッキで結ばれて、かっこいい街になっているイメージがあるんですが。

今和泉:
確かに再開発ビルはスマートで、デッキは歩きやすく、新しい街になった感はあるのですが、商店街の要素は薄めです。


▲1985年の大泉学園駅周辺。水色の点線枠内が再開発されたエリア。(クリックで拡大)

今和泉:
1985年の地図を見ると、ビルがないばかりか道も狭く、車も歩行者も今より通りにくそうですが、、商店街の活気がありそうに見えます。実際には見てないので分かりませんが。

少年B:
道に人々があふれて、にぎわいがあったという。

今和泉:
わかりませんけどね。今の地図を見ると、北口の北側は雑居ビルに店舗が並ぶエリアがありますが、その他はお店はなく、マンションが多そうです。

少年B:
なるほど……。

今和泉:
最後に現在の地図をよく見てみましょう。光が丘のあたりを見てみると、なにか不思議なことに気付きませんか?

少年B:
うーん……あっ! 小学校の名前がだいぶ変わってますね!四季がモチーフで近隣の公園と同じ名前になっています。1985年から大きく名前が変わってますが、なぜでしょう。町の名前が変わったから?

▲光が丘団地の小中学校の変化。学校名が変わったり、廃校になったり、別の施設に変わったりしている。

今和泉:
おっ、かなりいいところまでいきましたが、ちょっと惜しいですね。学校の数を数えてみてください。

少年B:
あっ、だいぶ減ってますね!第二小も第三小も、第五小も第七小もなくなってる!!!

今和泉:
そうなんです。第二小が学校教育支援センターに、第三小がアオバジャパンインターナショナルスクール、第五小がこども発達支援センターになっています。第七小の跡地はそのままのようです。そして少し離れたところにある光が丘八小だけはそのままの名前で残っています。

調べてみると、光が丘第一小と第二小、第三小と第四小、第五小と第六小、田柄三小と第七小が合併したようです。こうして学校名を近隣の公園名にしたようです。

少年B:
半減じゃないですか。そんなに減っちゃったんだ!

今和泉:
大規模な住宅造成→家族世帯の人口爆増→一気に小学校が必要になる→一気に卒業して巣立つ→児童数減、という流れではないかと思います。いまの感覚からすると、ひとつの団地に七つの小学校は多すぎでは?と思いますが、当時はものすごい勢いで人口が増えていましたからね。

少年B:
なるほど。それにしてもなんでこんな名前になったんでしょう。不思議です。

今和泉:
改名の原因を探ると、「歯抜け感が出ないようにした」のではないかと考えられます。対等合併だから、どっちの名前も使えないという事情もあるかもしれません。

少年B:
確かに、数字を並べ替えるにしても、たとえば第四小が第二小に変わったら地域の人は混乱しますよね。最初から数字を使わなきゃよかったのに。

今和泉:
昭和の時代にはまさか学校が減るなんて考えてなかったんでしょうね。地図を見返してみると、そういった当時の考えかたまで読み解けるのが興味深いところです。

少年B:
さすがです……! 地図ひとつでそこまでわかってしまうんだなぁ。

練馬区の地図は「知られざる街の歴史と思想」が楽しめる

地図をたどることでわかったのは、意外と知らないない練馬区の変化です。現在も人気のニュータウン・光が丘団地のなりたちや、区になる前の下練馬村の様子珍しい幾何学模様のような道路……。どれも広く知られているような話ではありませんが、地図をひも解くことで知ることのできた、興味深いお話です。

道路の作られ方からまちの様子まで、地図ひとつでそこまでわかってしまうのか!という新鮮な驚き。どんな町にも歴史や思想があるんだなぁという気付き。練馬区の地図は、それを教えてくれるようです。

今和泉さんの地図話はまだまだ続きます。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

【筆者】少年B

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1985年生まれのフリーライター。地図自体に造詣が深いわけではないが、地図を見ながら「こことここの間に道路ができたら便利だなぁ」などと妄想を膨らませるのが趣味のひとつ。(Twitter:@raira21

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