目次
亀戸駅から小松川三丁目へ
予想最高気温が37℃という夏のある日、亀戸駅に集ったのは今和泉さんのほか、「平井の本棚」のオーナーで地元・江戸川区平井に精通する津守さん、そしてわたし少年B。昭文社からは撮影役の編集担当2名が同行し、計5名で江戸川区を歩きます。
▲駅の隣のコンビニには、不思議なところにスーパーマップル関東道路地図が置いてありました。「うーん、この場所で道路地図のニーズがあるのでしょうか」と首を傾げる昭文社の編集担当
さっそく最初の目的地に向かうべく、江東区の記事でも触れた、「水神森」バス停からバスに乗って10分弱。下車したのは小松川三丁目。京葉道路の北側です。
少年B:
写真でいうと右側、京葉道路の南側にはマンションが建ってますが、あれは元工場なんですか?
今和泉:
それが違うんですよ。
少年B:
えーっ!? これまでの連載では「工場が移転するとマンションができる」という話が多かったので、てっきりそうだと思っていたんですが、違うんですか!?
今和泉:
そう思いますよね。ここはかなり異例なパターンです。正解は「写真の左側と同じような街並み」でした。
少年B:
マジですか!? 南北でこんなに差があるだなんて。いったい何があったんでしょう。
今和泉:
1980年代までは北側同様、小さな住宅や商店がひしめきあう下町の町並みが広がっていたようですが、1990年代に一気に再開発されて高層マンションになりました。下町と高層マンションって、大変貌ですよね。
津守:
昔の建物が残る北側のお店の主人は「道路の反対側は別の町なのでよく知らない」というふうにおっしゃっていました。京葉道路で街が分断されてしまっているんですね。
小松川のリバーウエスト千本桜通りを歩く
続いては、京葉道路を渡って、南側に向かいます。
今和泉:
さっきとはうって変わって、高層マンションの間に挟まれた並木道が現れました。再開発ビルやニュータウンの1階って、マンション住民向けの新しい店舗が入ってるかと思いますよね。でもどうやら違いそうなんです。
少年B:
「Big-A」や、「どらっぐぱぱす」なんかのチェーン店もありますが、「商店会」ののぼりもありますね。
今和泉:
ほら、「創業大正13年」と書かれた看板のお店もありますよ。
津守:
中村屋さんですね。本店は平井にあって、ここ小松川には2009年に2号店を出店しました。
少年B:
このお店自体は意外と最近できたんだ。
今和泉:
再開発で建てられたビルに、創業時の写真を載せるという手法なんですね。歴史をアピールするという。
少年B:
調べてみたら2店舗しかないんですね。こういうご当地スーパー、好きだなぁ。
津守:
スーパーと言えば、平井からもうひとつ全国区になったお店があるんですよ。それはどこでしょう?
少年B:
えっ、ぜんぜん分からない!
津守:
正解は「肉のハナマサ」です。
少年B:
えーっ! ぜんぜん知らなかった。ハナマサも平井からなんだ!
今和泉:
元は平井のお肉屋さんだったんですか?
津守:
いえ、最初は花屋さんだったみたいです。
今和泉:
花屋ですか!?
少年B:
だから「ハナ」マサなんですかねぇ。
津守:
ちなみに、本店はまだ平井にあります。
今和泉:
へぇー、それは知らなかった!
ここまでは見てきたのは、チェーン店や、歴史あるお店ながらこの地に新規出店している様子を見てきたが、他にも以前からここにあったお店が見えてくる。再開発前は北側(平井駅通り)同様の商店街で、以前からあったお店が再開発ビル内に再出店した。外観からは下町風情は感じられないが、中身は古くからの老舗なのだ
津守:
実際に、ここにお住まいの方がどのように暮らしていたのか、気になりますよね。お話を聞いてみましょうか。
今和泉:少年B:
えっ!?
驚く今和泉さんとわたしをよそに、商店街のお店に入っていく津守さん。とりあえず後を追いかけます。
商店街で小松川の歴史を聞く
津守:
こんにちは、急にすみません。このあたりの昔の様子についてお聞きしたいのですが、いったいどのような様子だったんですか?
商店街の方:
私がここで生まれたときは、都電やトロリーバスが近くを通っていたので、すごく賑やかな商店街だったそうです。子どももけっこうたくさんいて。
今和泉:
京葉道路の北側に残っているような、小さなお店がたくさんあったんですか?
商店街の方:
そうです。1階か、せいぜい2階建てぐらいじゃないかな。ああ、1軒だけ5階建ての文化住宅がありました。川に挟まれているので、大きなお店が進出してこなかったんですよ。
今は荒川の向こうが中心ですが、昔は江戸川区の中心地はこのあたりだったんですよ。当時は「橋向こう」って言ってましたね。今は言われるほうですけど。
江戸川区発足当時、区役所があったのはこのあたりだ。新たにできた現在の荒川より東側の人口が増え、都市化していくことで徐々に中心地がより東側に移っていく。
津守:
このあたりは近くの工場に勤める方や、都心に働きに行く方もいらっしゃったんですか?
商店街の方:
バスに乗れば上野や浅草まですぐ行けたし、都電は日比谷まで1本だったからね。新橋とかも行きやすかったんですよ。日比谷に映画を見に行ったりね。
今和泉:
それは便利ですね。
商店街の方:
なかなか着かなかったけどね(笑)
少年B:
遅いんだ。
今和泉:
1960年代、交通量が増えて、クルマが線路の中に入っていいということになってから、都電の平均時速は10km/hぐらいになったとか。
商店街の方:
西荒川は道路の上ではなく、専用の線路が引いてあったからいいけど、その先が遅かったね。このあたりだと渡邊米店さんが一番古いので、寄ってみるといいかもしれないね。
3人:
ありがとうございました!
続いて訪れた渡邊米店さんでもおもしろいお話と、おいしいおにぎりでお腹がいっぱいになりました。満腹になったので、渡邊米店さんのお話はまたどこかで……。
バスに乗り、一之江境川親水公園へ
小松川三丁目から再びバスに乗りました。荒川を渡ると、都心近くで古くから下町だった小松川の西側とお別れ。都心から東に進むと、初めて見られる広い空ではないでしょうか。風の強い日に自転車で渡ると大変なんだそうです。
川を渡った先、バスは松江を通ります。どの駅からも遠いため、個人店が多くチェーン店が少ない、昔ながらの商店街が残っています。少し空は広くなった気がしましたが、まだまだ漂う下町感。
バスに乗ること15分、一之江七丁目バス停で下車しました。下町から郊外に、風景が変わった気がします。高層の建物がなく、バス停の向こうの家は木が植わっています。敷地の広い農家や、元は農家だったと思われる家も多く見られます。ここから先の目的地は、以前記事で紹介した「佐々木養魚場」です。
少年B:
境川親水公園はけっこう範囲が広いんですね。
今和泉:
新小岩のほうから流れてきて、後でできた荒川に飲み込まれます。
少年B:
この水の流れも、荒川に繋がってるんだ。このエリアは川のせせらぎが身近にあるんですね。
津守:
自然豊かな街を作ろうと、行政も「景観まちづくり運動」を実施しています。。
少年B:
確かに、住環境はいいですよねぇ……。実際に来てみると肌で感じます。
古地図に載っていた佐々木養魚場はいま
佐々木養魚場に着いた一行。営業時間は12時から18時。火曜日と水曜日はお休みです。古地図に描かれていた養魚場はいま、どうなっているのでしょうか。今和泉さんが伺いました。
今和泉:
はじめまして。この古い地図にも佐々木養魚場さんが描かれているんです。
佐々木さん:
昭和40年代だと、徐々に池を減らし始めている時期です。この地図に描かれている池は道路の向こうなので、今はもうないですね。
今和泉:
確かに、位置が違いますね。昔はこの周りにもたくさん池があったとか。
佐々木さん:
ありましたね。この周りだけでも30軒養魚場があったと聞いています。
今和泉:
なんと、30軒!
佐々木さん:
でも、今も残っているのはうちと堀口さんだけですね。他はみんなもう辞めてしまいました。
今和泉:
そうなんですね。ほかの方々が辞められたなか、今でも続けていらっしゃる理由はあるんですか?
佐々木さん:
多くの方々は土地を借りていらっしゃったんですよね。そうすると都市化して、地代が上がるから、割が合わない。それでみんな辞めてしまったんです。
うちとか堀口さんは土地を自前で持っているので、それで続けられているという部分があります。
今和泉:
なるほど、土地があったからよかったと。
佐々木さん:
よかったのか悪かったのか、って感じですけどね(笑)
今和泉:
このあたりの養魚場は、もともと本所や深川から移ってきたと聞いているんですが……。
佐々木さん:
そうですね。浅草とか。
今和泉:
なので、もっと外側に移ったのかなとも思っていたんですが、ここで辞めてしまわれたんですね。
佐々木さん:
ここから外に行ったのもうちと堀口さんだけですね。うちは茨城県の常総市に池がありますし、堀口さんは今はどうかわかりませんが、埼玉に池があったはずです。
今和泉:
池の移転先はなぜ茨城県だったんですか?
佐々木さん:
もともと、このあたりは金魚栽培に適した地域というわけでもないんです。池ひとつで水が100tから250t必要ですし、そうすると水道代がものすごくかかるんですね。
だから、水のいいところを探していたら、茨城県になったという感じです。
今和泉:
なるほど、ここは井戸水じゃないんですか?
佐々木さん:
昔は井戸水を使ってましたけど、今は水道水ですね。だから池もだいぶ減らしました。
今和泉:
昔と比べるとどうですか?
佐々木さん:
景気に左右される商売なので、それこそバブルのころはよかったですが、今はだいぶ厳しいですね。値上げ値上げで経費ばかりかかっちゃうし、みなさん苦しいから、趣味にお金をかけなくなってきていますし。
徐々に回復しつつありますが、まだお祭りが少ないので、金魚すくいもだいぶ減りました。
今和泉:
コロナの影響がこんなところにもあるんですね。
津守:
あとひとつお聞きしたいんですが、私は地元の年配の方から「台風で池があふれて金魚が逃げた」と聞いたことがあるんです。そんなこともあるんですか?
佐々木さん:
ありましたね。池の水位が上がって、色んな人のいろんな池の金魚が混ざっちゃうんです。で、水が引いていくと金魚は水のある方に集まりますから、近くの川に逃げていく。
他の金魚屋さんもいるので、混ざっちゃうとどの金魚がうちのとか、わからないじゃないですか。
今和泉:
名前が書いてあるわけじゃないですからね。
佐々木さん:
台風の後にたくさんの人が長い網を持って、逃げた金魚を捕まえて持って帰っちゃうって話を親父から聞いたことがあります。1人2人ならなんとかなるかもしれないけど、何せ大勢だからもうどうしようもなかったと。
津守:
都市伝説の類かと思っていたんですが、そんな大騒動があったんですね……。
↓金魚の動画もあります。
船堀タワーから江戸川区を見てみよう
佐々木養魚場を後にしたわたしたちは、続いて船堀駅へと向かいました。船堀駅に隣接する船堀タワーは、正式名称をタワーホール船堀といい、高さは115m。無料で展望台に上がれるタワーとしては都内随一の高さを誇ります。
一部ではスカイツリーや東京タワーと一緒に、「都内三大タワー」と呼ばれることもあるそうです。そんな建物が江戸川区にあったなんて!
少年B:
おおー!!! 船堀駅のそばにこんなところがあるんですね! 初めて来ました。
津守:
私も登るのは初めてです。入場無料なんですね。
今和泉:
私も実は初めてです。上空から江戸川区の様子を見てみましょう。
少年B:
船堀駅、屋根の上に「都営新宿線 船堀駅」って書いてあるんですね。それにしても何で逆さに書いてあるんだろう。どうせならこっちから見やすく書いてくれればいいのに。
今和泉:
何ででしょうね。航空写真で撮った時に読みやすいようにしているのかもしれません。
少年B:
ああー! 航空写真だと北が上になるから。なるほど。
今和泉:
あの、左右に流れる川が荒川です。荒川より奥を見てみましょう。船堀から西、10km先には大手町や霞が関といった都心の街がありますが、奥に見えるビル街が都心です。
少年B:
こうして眺めてみると、都心は思ったよりも「横に広い」んですね。
今和泉:
そうなんです。東京都心部の品川から上野までは10kmあるんですが、その間ずっとビル街が続く様子が見えますよね。船堀タワーは、そんな都心の大きさを見渡せる絶好のスポットなんです。
少年B:
ほぇ~! ビルが続いているなとは思ってたけど、あれ10kmも続いてるんですね……! 想像以上に長かった。
少年B:
あとは、船堀駅前に広大な空地がありますね。急行停車駅の駅前なんて一等地だと思うんですが、どうしてこんなところに……?
今和泉:
あそこは都有地で、ここに江戸川区役所が移転してくる計画があるようです。なるほど、という感じです。
少年B:
えっ、どういうことですか???
今和泉:
これは……江戸川区の古地図と今の地図を比べて、変化をつかまないと見えてきません。ここ船堀は、位置としては江戸川区のほぼ中心部にあるので、移転の話が出てきてもおかしくないんです。現在の区役所や江戸川区発足時の区役所は、割と区の端にあったんですよ。
少年B:
そうなんだ! 区の端っこにどうして区役所ができたんでしょう。
今和泉:
発足時、区役所があったのがさきほどの小松川、まさにリバーウエスト千本桜通りのあたりでした。区の西端ですが、ここだけが都市化していて、他はまだまだ農村の時代です。
少年B:
いまこの展望台から見えているあたりは、ほぼ畑だった、ってことですね。
今和泉:
はい。戦後になると東京に人が増えてくるんですが、当時、都電を除くと江戸川区内を走る鉄道が北東を走る総武線しかなかったので、北東方向にだけ増えていきます。古くから賑わう新小岩や小岩もそんな総武線沿線の街です。その流れと連動してか、区役所も少し北東に動きます。
少年B:
さっき通ってきた松江のあたりですか?
今和泉:
松江の少し北ですね。それから1960年代から80年代にかけて、区内の南側(海側)に3つの鉄道路線が開通します。こうしてようやく江戸川区全体が住宅地になり、人口の重心も南に広がり、区役所も現在より南の船堀に移転させようという話が出たのではないでしょうか。
少年B:
都心から同じ距離でも、北の内陸側よりも南の海側のほうが新しい街なのか……。
今和泉:
そうなんです。なので我々が西へ南へ乗っているバスは、新しいエリアに移動していて、目に見えて空も少しずつ広くなっています。
少年B:
地下鉄駅の近くで便利だからか、マンションだらけですね…
今和泉:
マンションだらけなんですが、真ん中に庭付き一戸建てがありますね。それもかなり広いです。
たぶんこれは元農家で、養魚場が広がってた高度成長前の時代は畑が広がってたんじゃないかと思います。元農家を見つけると、ここは農地が広がってた風景だったんだな、と想像しちゃいます。
昔の海岸線を歩く
船堀駅からバスで南下し、葛西駅の先の仲町西組で降り、さらに南を目指します。周りはマンションだらけですが、まだ少しだけ畑があったり、農家の雰囲気が残るところもあります。
今和泉:
この左近川は昔の海岸線だと思います。
少年B:
ああー! 以前の記事で話していたところですね!
まっぷるトラベルガイド:https://www.mapple.net/articles/original/14127/
今和泉:
そうです。よく覚えていましたね。この地図を見てください。ふつう川って上流と下流があるんですが、どこかおかしくないですか?
少年B:
東西に川が広がっていて……これ、どっちが上流なんだ? 何だかどっちも下流に見えます。
今和泉:
そう。どちらも下流で、両端が河口です。左近川の中央に北から注ぐ川があって、これが東西に分かれます。東西どちらの河口にも水門があります。
少年B:
小さな川に水門は珍しいですね。
今和泉:
そして、左近川以南の当時の町名は「堀江町」。堀江は人工的に作った水路の意味です。左近川以南は埋立地だったのではないでしょうか。明治期の地図を見てもここは陸地なので、江戸時代以前の埋め立てだと思いますが、左近川はある時期まで海岸線で、後に川になったところだと思います。
少年B:
今の地図と見比べると……西側は1968年以降埋め立てられてるんですね。新左近川親水公園はぜんぶ海だったと!
今和泉:
そうです。この地図で見ると海はすぐそこなんですよね。今はだいぶ遠いですが……。海岸水門はすぐそこなので、見に行きましょうか。
今和泉:
ここが海岸水門です。
少年B:
新左近川親水公園の北側は新長島川親水公園までが海岸線で、南側は新しい埋立地ってことですよね。
今和泉:
そうです。埋め立てられる前はここは海で、多くの人たちが潮干狩りをしてたようですね。
少年B:
のどかな風景が広がっていたんですねぇ。
今和泉:
こちらが新左近川の南側、1970年代の前後に埋め立てられたところです。葛西ラグビースポーツパークの向こうに、大型の住宅や倉庫が並ぶ新しい風景です。昔から栄えていた小松川から比べると随分と時代が進んできましたね。
少年B:
あー、確かに言われてみれば! 見た目でぜんぜん違うんですね!
さて、お昼から始めた江戸川区の散歩も、そろそろおしまいです。ふと空を見ると、きれいな夕焼けが浮かんでいました。
少年B:
夕焼けと新しい団地……じつに埋立地らしい風景ですねぇ。
今和泉:
私もそう思いましたが、ひっかけ問題でした。地図を見ると、写真右側の団地は明治期の時点で既に陸地だったところですね。長らく田畑や工場しかなかったところが、一気にニュータウンになって、人口が増えました。
少年B:
あーっ、埋立地は写真左側のほうか! ううっ、最後にトラップに引っかかってしまった……!
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