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この地は、近代ガラス工業の発祥地だった

1873(明治6)年、日本初の板ガラス製造工場「興業社」が誕生しました。場所は、東海道の宿場・品川宿から少し離れた、目黒川沿いにある東海寺の境内です。
明治政府の殖産興業政策の一つとして建設されたもので、このエリアでの最初の工場だったようです。英国の最新技術を導入し、外国人技術者も招聘していました。
その後、この工場は官営「品川硝子製造所」となり、当時まだ誕生したばかりの国産ガラス製造業の発展と、技術者の育成に大きな役割を果たします。

1909(明治42)年測図 1/20000「東京南部」 「今昔マップon the web」より作成

こちらは、冒頭の地図と同じ場所の、明治時代後期の地図です。
赤丸が、上記の「興業社」があった場所になります。これを追うような形で、周辺には次々と工場が建設されたようです。その理由としては、目黒川の水運・水利があげられます。それを示すように、目黒川(水色線)沿いには、いくつか工場が並んでいるのが分かります。

地図にある、品川~赤羽を結ぶ日本鉄道品川線(現在の山手線)が開業したのは、1885(明治18)年です。日本鉄道は日本最初の私鉄でした。
北関東の富岡製糸場からの生糸などを、横浜港へ輸送するための路線でした。旅客より貨物がメイン、という建設当時の発想は、現在の山手線からすると想像つきませんね。

大崎駅の開業は少し遅れて1901年です。上記の経緯から、貨物駅としての機能を持っていました。
駅の南側から品川方面にかけては、一面の水田地帯です。この頃はまだのどかな風景が広がっていたようです。

1945(昭和20)年部修 1/25000「東京西南部」 「今昔マップon the web」より作成

先ほどの地図から36年後の、昭和時代の地図です。
周辺にあった水田は消滅し、建物密集地になりました。目黒川沿いにあった工場に加えて、大崎駅の周辺には更に工場(赤丸印)が増えています。目黒川の水と、鉄道の貨物駅に隣接する好立地に目をつけて、企業が積極的に進出してきたのかもしれません。
大崎駅は、まさに工場街にある駅になっていました。
昭和時代の大崎駅は、周辺の工場製品の輸送と、工場への通勤客の利用がメインだったのではないでしょうか。

大崎「副都心」として再開発された街

大崎「副都心」として再開発された街
2001(平成13)年修正 1/25000「東京西南部」   「今昔マップon the web」より

こちらは、大きく時代が進んで平成時代の地図です。前の地図と比べてみると、大崎駅の南西側には、依然として大きな工場があります。
一方で、大崎駅の北東側、ちょうど目黒川と山手線に挟まれたエリアには、大きな変化があります。四角い大きな建物が2つある(赤丸印)のがわかります。
これは再開発によって誕生した、複合施設「ゲートシティ大崎」(1999年竣工)です。

【左】国土地理院空中写真 1979-83年頃 【右】国土地理院空中写真 2007-09年頃   「今昔マップon the web」より

この再開発の前後の空中写真を並べてみました。2枚の写真にはおよそ30年の時間差があります。途中、バブル経済期という時代を経て、街は大きく変わりました。街工場が立ち並んでいた一角は、高層ビルと緑地に生まれ変わっています。

大崎駅周辺の再開発は、昭和の終わり頃、東口駅前の「大崎ニューシティ」(1987年事業完了)からスタートしました。
1982年東京都が策定した「東京都長期計画」において、「副都心」のひとつとして位置付けられたことが、契機となったようです。
その後も、周辺では再開発の連鎖は続き、街は大きく変貌することになります。

余談になりますが、この東京都が示した「副都心」。新宿、渋谷、池袋、上野・浅草、 錦糸町・亀戸、大崎、臨海の各エリアとなっています。
錦糸町や亀戸が「副都心」だったとは初耳でした。

現在の大崎駅周辺 オフィス街として生まれ変わった街 そして残ったもの

現在の大崎駅周辺 オフィス街として生まれ変わった街 そして残ったもの
2021年昭文社刊行 「区分地図 品川区」より

さて、こちらは現在の大崎駅周辺です。周辺には巨大なオフィスビルが目立っています。平成時代の地図では駅南側に残っていた工場群も、消えてしまいました。再開発によって「シンクパーク」「大崎ウィズシティ」などの複合施設に変わっています。

大きな工場はといえば、唯一「第一三共」が山手線のカーブの南側に見える程度です。第一三共は、第一製薬と三共が経営統合して誕生した、大手製薬メーカーです。「ルル」や「ロキソニン」の会社、といえば分かりやすいかもしれません。

実はこの工場、前身の「三共」という名称で、冒頭にお見せした地図で同じ場所に存在しています。もっとさかのぼると、この工場(三共 品川工場)は1908(明治42)年に開設されています。移り変わりの激しい東京都内にあって、今日に至るまで「100年以上移転していない工場※ というのは珍しいのではないでしょうか。
※ 現在の名称は「第一三共(株)品川研究開発センター」

交通網に目を向けてみると、横浜方面への湘南新宿ライン、湾岸方面へのりんかい線が開通し、大崎駅は鉄道の要衝となりました。さらには2019年、相模鉄道線との直通運転も始まり、ますます便利になりました。便利さを求める人や企業は、これからもこの街に集まっていくことでしょう。

かつては「工場以外何もない」などと言われた駅前には、オフィスビルが立ち並び、今やその面影は全くありません。
もしかすると大崎駅は、山手線の駅のなかで最も劇的に「出世した」駅なのかもしれません。

「ちょっと昔」地図から、今と変わらない「何か」を見つけに、時間旅行に出かけてみませんか

さて、今回は1968年の古地図から、大崎駅周辺の歴史を紐解いてみました。工場街からオフィス街へ、大きな変貌を遂げた街。その変身ぶりは、移り変わりの激しい東京にあっても、際立っていました。そんな中に「変わらないもの」を見つけたことは、ささやかな安堵感を覚えました。
「ちょっと昔」地図から、今と変わらない「何か」を見つけてほっこりする・・・みなさんもそんな時間旅行に出かけてみては如何でしょうか。

【参考にした主な資料:「市街地形成のあゆみ」品川区まちづくりマスタープラン策定委員会、「品川歴史館解説シート」(区立品川歴史館)、第一三共株式会社HP】

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昭文社が刊行してきた都市地図には、道路や鉄道、河川など街の骨格となる情報はもちろん、町丁名や地番、学校・役場などの公共的施設から、住宅団地やアパート、スーパー・デパート、工場や倉庫などの民間施設まで豊富に掲載してきました。収録内容も時代とともに変化するなど、地図はその時々の景観や暮らしが垣間見える「街の記憶」でもあります。

この商品は昭和40年代以降に出版した大判の都市地図から、時代の変化がわかる4世代の地図を選出・複製し、どこでも手軽に利用できる電子書籍として編集・構成したものです。

銭湯や映画館、銀行や郵便ポストなど生活密着の情報から、住宅団地の整備、工場跡地の再開発まで、様々な街の様子や移り変わりを地図から読み解きつつ、昭和から平成に至る社会の変化と合わせて時間を辿ってみてはいかがでしょうか。

<商品の概要>
◆収録されている都市地図の刊行年 「1968年」「1985年」「2001年」「2014年」

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

現住所は地図雑学系ライター、本籍は地図実踏調査員。昭文社地図の現地調査歴15年以上の、自称「地理のプロフェッショナル」チームです。これまで調査・取材で訪問した市区町村は、およそ500以上。昭文社刊『ツーリングマップル』『全国鉄道地図帳』等の編集に参加しています。休日は、国内外の廃線、廃鉱など「廃」なものを訪ねる「廃活」、離島をめぐる「島活」中。好きな廃鉱は旧羽幌炭鉱、好きな島はサンブラス諸島(カリブ海)と大久野島。特技は「店で売ってる野菜の産地名⇒県名を当てること」。

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