更新日: 2024年10月19日
四ツ木橋の移り変わりと荒川放水路【東京都墨田区・葛飾区】
四ツ木橋。ちょっと聞き慣れない名前かもしれません。墨田区と葛飾区の間に流れる荒川に架かる橋です。実はこの橋、少々変わった歴史を持っています。古地図さんぽ、今回は、そんな橋の過去を、荒川放水路誕生の物語とあわせてご紹介します。
写真:荒川と木根川橋(手前)、四つ木橋(奥)/PIXTA
目次
1968年墨田区・葛飾区境 荒川に二つの道路橋(新四ツ木橋と四ツ木橋)があります
こちらは1968年刊行の葛飾区地図の一部です。切り取った範囲は、区の南西部を流れる荒川沿いのエリア。右上にある茶色の建物は、葛飾区役所です。中央を上下に貫く道路は国道6号線(水戸街道)。鉄道は京成電鉄押上線です。押上駅(墨田区)と青砥駅(葛飾区)を結んでいました。
対岸の墨田区側に目を向けると、荒川の少し上流には東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅があります。この「鐘ヶ淵」は、かつて存在した企業「カネボウ」の前身である「鐘淵紡績」の由来となった地名です。
1968年当時、この地にはその「鐘淵紡績」の工場が存在していました。鐘ヶ淵駅の北側には、その名が記されています。現在この場所は、都営団地と公園に変わっています。
冒頭の地図をすこし拡大してみましょう。「新四ツ木橋」と「四ツ木橋」が鉄道を挟んで、並存しています。一見、ありふれた光景ですが、この2つの橋には少々込み入った歴史がありました。
早速、その過去を振り返ってみましょう。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
【筆者】オフィス プラネイロ
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現住所は地図雑学系ライター、本籍は地図実踏調査員。昭文社地図の現地調査歴15年以上の、自称「地理のプロフェッショナル」チームです。これまで調査・取材で訪問した市区町村は、およそ500以上。昭文社刊『ツーリングマップル』『全国鉄道地図帳』等の編集に参加しています。休日は、国内外の廃線、廃鉱など「廃」なものを訪ねる「廃活」、離島をめぐる「島活」中。好きな廃鉱は旧羽幌炭鉱、好きな島はサンブラス諸島(カリブ海)と大久野島。特技は「店で売ってる野菜の産地名⇒県名を当てること」。