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高島平の歴史 かつては一面の田んぼ

かつての高島平は、「徳丸原」と呼ばれた一面の荒野でした。
荒川の後背湿地のため、泥地や沼地ばかりで、農耕に適さない土地でした。江戸地代には幕府の天領であり、「鷹狩場」として使用されていたようです。


【左】1947(昭和22)年発行 1/25000地形図「赤羽」【右】空中写真 1945-50年頃/出典:「今昔マップ on the web」より

明治期になると、土地改良がおこなわれ耕地化が進みます。昭和に入る頃には、「徳丸田んぼ」と呼ばれる、東京では有数の穀倉地帯となりました。当時の地図と空中写真を見ると、見事!な一面の田園風景が広がっています。この「徳丸原」の広大な農地が、東京の人口膨張対策に、やがて大きな役割を果たすことになります。

1972年、高島平団地竣工。 日本有数のマンモス団地の誕生

時代が移り、戦後の高度成長が始まると、東京への人口流入に伴う住宅不足は、深刻な問題となっていきます。これに対処するため、この徳丸原を大規模な住宅地として整備する、板橋区の区画整理事業が計画されます。

事業は日本住宅公団(現・UR都市機構)の施行により、1966年始まりました。鉄道(地下鉄)、街路の整備から始まった事業は、およそ6年のち、1972年の高島平団地竣工により、完了となります。高島平団地は、面積約100万坪、総戸数約1万にものぼる、国内最大級のマンモス団地となりました。団地の建物は、当初の計画では5階建でしたが、人口増加に対応するため、途中で14階建に変更されています。

「高島平」という地名は、江戸時代の砲術家・高島秋帆(たかしま・しゅうはん)にちなんで、1969年に命名されました。長崎出身の彼は1841(天保12)年、幕命によりこの地で、西洋式砲術調練を行っています。その故事にちなんで、その日5月9日は、この地区の学校の「開校記念日」にもなっています。

【左】1967(昭和42)年発行 1/25000地形図「赤羽」【右】空中写真 1974-78年頃/出典:「今昔マップ on the web」より

造成が始まる直前の地図と、団地竣工後の空中写真を、並べてみました。見渡す限りの田んぼが、巨大団地に変貌しています。
これらの間には、およそ10年の時間差がありますが、その激変ぶりは、目をみはるものがあります。「急速な都市化」という言葉が実感できるのではないでしょうか。

現在の高島平 新たな問題と解決へ向けて

現在の高島平 新たな問題と解決へ向けて
2022年昭文社刊行「街の達人全東京」より

さて、こちらは現在の高島平団地周辺の地図です。鉄道、商業施設、公園、学校など、生活に関わる施設が揃い、成熟したひとつの街が出来上がっています。

しかし、完成から半世紀を迎えたこの団地は、新たな問題を抱えるようになりました。同時期に建設された建物は、一様に老朽化が進行しています。また、住民の高齢化という問題も生まれてきています。

これらの諸問題の解決を図るべく、2022年、板橋区は「高島平地域都市再生実施計画」を策定しました。UR都市機構と連携し、連鎖的な都市再生を進めていこうと動き出しています。これにより、団地の建て替えが計画的に進められ、少しずつ新たな街へ生まれ変わっていくことが期待されています。

徳丸原から高島平へ それは東京近郊の急速な都市化を象徴する出来事

徳丸原から高島平へ それは東京近郊の急速な都市化を象徴する出来事
写真:PIXTA

さて、今回は1968年の古地図から、巨大団地の街・高島平の歴史を紐解いてみました。
大水田地帯から大規模団地へのおよそ10年での変貌は、東京近郊の急速な都市化を象徴する出来事だったような気がします。高度経済成長期の日本各地では、きっと都市近郊の至る所でこのような光景が見られたことでしょう。

みなさんも「ちょっと昔」地図から、大規模開発の前に存在したであろう、のどかな風景に思いを馳せる、小さな時間旅行に出かけてみては如何でしょうか。

【参考にした資料:板橋区立郷土資料館HP、板橋区観光協会HP、高島平新聞HP】

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昭文社が刊行してきた都市地図には、道路や鉄道、河川など街の骨格となる情報はもちろん、町丁名や地番、学校・役場などの公共的施設から、住宅団地やアパート、スーパー・デパート、工場や倉庫などの民間施設まで豊富に掲載してきました。収録内容も時代とともに変化するなど、地図はその時々の景観や暮らしが垣間見える「街の記憶」でもあります。

この商品は昭和40年代以降に出版した大判の都市地図から、時代の変化がわかる4世代の地図を選出・複製し、どこでも手軽に利用できる電子書籍として編集・構成したものです。

銭湯や映画館、銀行や郵便ポストなど生活密着の情報から、住宅団地の整備、工場跡地の再開発まで、様々な街の様子や移り変わりを地図から読み解きつつ、昭和から平成に至る社会の変化と合わせて時間を辿ってみてはいかがでしょうか。

<商品の概要>
◆収録されている都市地図の刊行年 「1968年」「1985年」「2001年」「2014年」

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

現住所は地図雑学系ライター、本籍は地図実踏調査員。昭文社地図の現地調査歴15年以上の、自称「地理のプロフェッショナル」チームです。これまで調査・取材で訪問した市区町村は、およそ500以上。昭文社刊『ツーリングマップル』『全国鉄道地図帳』等の編集に参加しています。休日は、国内外の廃線、廃鉱など「廃」なものを訪ねる「廃活」、離島をめぐる「島活」中。好きな廃鉱は旧羽幌炭鉱、好きな島はサンブラス諸島(カリブ海)と大久野島。特技は「店で売ってる野菜の産地名⇒県名を当てること」。

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