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マンモス団地「高島平」の生まれる前 【東京都板橋区】 pixta

オフィス プラネイロ

更新日: 2023年11月24日

マンモス団地「高島平」の生まれる前 【東京都板橋区】

板橋区・高島平は、東京を代表するマンモス団地のある街として、その名を知られています。その巨大団地ができる前は、どのような土地だったのでしょうか。今回の古地図さんぽでは、当時の地図から、建設が始まった頃の様子と、その歴史を振り返ります。

1968年の高島平 区画整理の真っ最中です

1968年の高島平 区画整理の真っ最中です
1968年昭文社刊行 板橋区全図より

こちらは1968年昭文社刊行の「板橋区全図」から、現在の高島平付近を切り取った範囲です。左上の河川は荒川、その対岸は埼玉県戸田市です。
時代はまさに、東京を代表する大団地の建設が始まった頃でした。地図には、赤い線で囲まれたエリアがあるのが、おわかりでしょうか。これが、当時施行中の区画整理の範囲を示しているようです。高島平という町名はまだ、見当たりません。

更に拡大してみましょう。
「日本住宅公団土地区画整理完成予定図(昭和45年完成)」とあります。2年後に完了予定の区画整理を、「先取り」して、地図に反映させていたようです。その隣には、「志村駅」があります。現在の高島平駅で、住居表示実施後に改称されました。この駅まで、「地下鉄6号線」(都営三田線)が開業したのが、この年1968年12月のことでした。

この地図では、志村駅より先(西側)にも地下鉄線が延びています。「四葉」「上赤塚」(いずれも仮称)という駅が記載されていますが、実は、当時まだこの区間は未開通でした。終点・西高島平(この地図での「上赤塚駅」)まで延伸開業するのは、この地図では「45年開通」と書かれていますが、だいぶ遅れて1976(昭和51)年のことです。余談になりますが、この地図に記載ある「北足立郡大和町」とは、現在の埼玉県和光市(1970年市制施行)になります。

更に見ていくと、地図には「小学」「中学」「高校」「集合住宅地」などの文字が散らばっています。当時はまだ街路の整備中で、公共施設は完成していません。殆んどが、名称未定の段階だったことがわかります。おそらく一面の空き地が広がる造成地だったのではないでしょうか。

さて、この大規模開発が行われる前、この土地はどんな場所だったのでしょうか。ここで、その前史を少し振り返ってみましょう。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

現住所は地図雑学系ライター、本籍は地図実踏調査員。昭文社地図の現地調査歴15年以上の、自称「地理のプロフェッショナル」チームです。これまで調査・取材で訪問した市区町村は、およそ500以上。昭文社刊『ツーリングマップル』『全国鉄道地図帳』等の編集に参加しています。休日は、国内外の廃線、廃鉱など「廃」なものを訪ねる「廃活」、離島をめぐる「島活」中。好きな廃鉱は旧羽幌炭鉱、好きな島はサンブラス諸島(カリブ海)と大久野島。特技は「店で売ってる野菜の産地名⇒県名を当てること」。

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