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港町は中心市街地が移動する

今和泉:
さらに、城が中心となる城下町に対して、港町には中心がありません。

少年B:
ええっ、そうなんですか!? 一番栄えてる港が中心なのでは……?

今和泉:
じゃあ、いちばん栄えてる港を中心としましょう。でも、港って、いろんな人や荷物が行き交う「交通の要衝」ですよね。つまり、現代に置き換えると、大きなターミナル駅の改札前みたいなものだと思ってもいいわけです。Bさんはいつも混みあう新宿駅の改札前に住みたいですか?

▲1985年の中区。港はあくまで「交通の要衝」で、街の中心ではない(クリックで拡大)

少年B:
うっ……。たしかに新宿の改札前ってめちゃめちゃ便利ではありますけど、住みたいかって言われると話は別ですよね。だったら笹塚とか中野あたりに住みたいです。

今和泉:
ですよね。いくら便利だからって、さすがに新宿駅の改札の目の前に住みたい人はいないわけです。

いまBさんが言ったように、港の真ん中に住みたいと思う人は少ない。だから、人は港の外側に住みたがるんです。とくに、お金を持っている人は顕著ですよね。閑静で、便利な場所に住みたいのは当然のことです。

少年B:
横浜港の近くにある閑静な住宅地……山手だ!!!

▲現在の山手(クリックで拡大)*

今和泉:
そういうことです。横浜、神戸、函館、門司……。港の近くには山があることが多いんです。

山の上は眺めもいいし、喧騒とは無縁の場所なので、お金持ちはみんな山の上に住みたい、となります。だから、港に近い山の上は高級住宅地になりがちなんです。

少年B:
港の近くに山が多い、そんな偶然があるんですねぇ。

今和泉:
いえ、偶然ではありません。これは地形上の問題で、港は船が入れるくらいの水深が必要です。そうすると、傾斜が急な土地のほうがいい港になるんです。

水面下で急傾斜ってことは、当然地上でもそうなるので、「港のすぐ近くには山がある」ということになります。

少年B:
へぇ~、そういう理由があるんですね! そして高級住宅地は山の上、ってのもおもしろいです。港には隣接しないほうがいいんだ……。

今和泉:
戦国時代のお城は、攻められにくく見通しの良い山の上でしたが、江戸時代は城と街をあわさった計画都市(城下町)が作られました。

お城や武家地は街の中心でありながら、人口密度は低いんです。人が住んでいない広い土地があると、広い市役所が作れるんですが、市が発展して広い庁舎が必要になっても増築できます。江戸時代の都市計画が、その後の発展の受け皿を作ったとも言えます。

一方、港の付近にはまとまった広い土地がありません。広い土地をまとめて外国人居留地にしたり、埋め立てて港湾施設倉庫を作ったりはしますが、それぞれ場所はバラバラで、そのとき必要な施設が場当たり的に作られます。

▲現在は本牧ふ頭、さらに南本牧ふ頭と、港湾機能の強化が行われている

少年B:
現在だと空港が「機能強化」として滑走路を増やしたり、新ターミナルを作っているイメージが強いですが、港もそんな感じなんですね。必要に応じて機能や規模を広げていく。

今和泉:
そうです。なので、都市の中心地がどんどん移っていく。横浜市役所や神戸市役所は何度か大きく移転しています。

重要施設の移転が多い横浜市

今和泉:
横浜市庁舎は7回移転しています。大阪市、名古屋市が2回、京都市は一度も移転していないので、かなり移転が多いといえます。

少年B:
飛びぬけてますね。いったいなぜ?

今和泉:
関東大震災で焼失して、臨時庁舎として移転したとか、元の場所に再建したら第二次世界大戦が始まって、空襲を避けるために移転したとか、そういった歴史があります。

主に中区、西区を転々としていますが、6代目の庁舎は神奈川区の反町にあったそうです。横浜駅の北の郊外ですよ。

▲現在の横浜市役所は桜木町駅と馬車道駅の間にある。以前は横浜スタジアムと関内駅の間にあった

少年B:
反町!? それはちょっと意外かも……!

今和泉:
横浜市は旧制中学校も大きく移転しています。旧制中学校はいまの高校の前身で、現在も歴史のある難関校が多いという特徴があります。

では、神奈川県立第一中学校は現在のどこ高校だかわかりますか?

少年B:
歴史が古くて、難関校で、横浜の話題で出るわけだから、当然横浜にある高校ですよね……。うーん、横浜翠嵐高校じゃないですか? どうだ!

今和泉:
残念! 惜しかったですね。翠嵐は神奈川県で5番目に開校した、県立第二横浜中学校なんです。正解は希望ケ丘高校です。

▲希望ヶ丘高校が現在地に至るまでの移転の経緯*

少年B:
希望ケ丘高校!? わたしのクラスメイトにも進学したやつがいて、確かに難関校のイメージはあるんですが、そんなに歴史が古いとは思わなかった……!

今和泉:
そうなんですよ。難関校ではあるんですが、名前だけ見ると新設校みたいですよね。駅名は希望ヶ丘、地名は希望が丘、高校名は希望ケ丘と表記ゆれはありますが、いずれにしても歴史を感じさせない地名です。

もともとは久良岐郡戸太村戸部、現在の西区藤棚町にあったようですが、空襲で金沢区六浦に移転、その後相鉄の寄付で希望が丘に移ったようです。市庁舎以上にダイナミックに動いてますね。

少年B:
第一中学校って、歴史ある校舎があって、長年地域のシンボルとなっている……みたいなイメージがあったので、正直びっくりしました。

今和泉:
私の知る限りでは、こんなのは横浜だけですよ。ほかの旧制第一中学校は埼玉が県立浦和高校、千葉は県立千葉高校、東京が都立日比谷高校と、Bさんのイメージに近いと思います。

ちなみに、神奈川県立第二中は小田原高校で、やはり城下町です。第三中は厚木高校、第四中は横須賀高校、いずれも主要都市の都市名を冠する高校で、一度も移転していません。

少年B:
小田原高校、わたしの弟が通っていました。今和泉さんがさっき言っていた、城跡に学校ができるパターンですね。これは旧制中学校のイメージがあるな……。

▲小田原城の近くにできた神奈川県立第二中学校、現在の小田原高校
(今昔マップ on the web より作成)*

今和泉:
城跡は都心にできた空き地なので、都市計画をする際に収めやすかったというのがありますね。

少年B:
対して、希望ケ丘高校はなんでこんなにワイルドに動いているんでしょうか。

今和泉:
平地だと郊外に農地や荒地が広がっていたりして、移転するにしてもいくらでも近くに移転できるんです。ところが、港町はすぐ近くに山があるので、あまり空き地がない。

さらに、横浜の場合は関東大震災をはじめ数回の火災に空襲と、多くの被害を受け、さらには市の大部分が連合国軍に接収されたこともあって、重要施設がダイナミックに移転することになったんでしょう。

少年B:
もともと港町っていう地理的要因があったうえに、横浜独自の要因もあったってことなのか……。なるほど。

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【筆者】少年B

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1985年生まれのフリーライター。地図自体に造詣が深いわけではないが、地図を見ながら「こことここの間に道路ができたら便利だなぁ」などと妄想を膨らませるのが趣味のひとつ。(Twitter:@raira21

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