更新日: 2022年10月14日
横浜・みなとみらい誕生の秘密を解き明かす。古地図から見る街の移り変わり
「紙地図をたどれば、その町の歴史や人の営みが見えてくる」
実在しない都市の地図を描く、空想地図作家の今和泉隆行さんはそう言います。そんな今和泉さんに、今回は横浜市中区、西区の変化について語っていただきました。
全国有数の港町で、観光地としての人気が高い横浜市。しかし、それは横浜の見せるひとつの顔に過ぎないと今和泉さんは言います。
横浜市は、いったいどのように変わっていったのか。過去と現在の地図を見比べながら、その軌跡を辿ってみましょう。
1985年生まれ。7歳の頃から実在しない都市の地図=空想地図を描き続けている「空想地図作家」。地図デザイン、テレビドラマの地理監修・地図制作にも携わる他、地図を通じた人の営みを読み解き、新たな都市の見方、伝え方作りを実践している。(Twitter:@chi_ri_jin)
1985年生まれのフリーライター。地図自体に造詣が深いわけではないが、地図を見ながら「こことここの間に道路ができたら便利だなぁ」などと妄想を膨らませるのが趣味のひとつ。(Twitter:@raira21)
1985年の中区には「工業の最後の姿」が見える
今和泉:
今回は横浜市の中区から見てみましょうか。1985年、我々2人の生まれた年です。
少年B:
今和泉さんは、5歳まで横浜に住んでいたんですよね。わたしは20歳で社会人になってから、7年間横浜に住んでたんですよ。
今和泉:
そうなんですか! じゃあどこかで話がリンクするかもしれませんね……。まず、この地図を見て、どう思いますか?
少年B:
うーん……。自分たちが生まれた年だからか、見てもそんなに昔って気がしないんですよね。といっても、客観的に考えたらだいぶ昔なんですけども。
今和泉:
いや、そうなんですよ。パソコンやスマホが普及し、デジタル化が進むなど、手に取るデバイスは変わったけど、建物や風景って、正直我々が生まれてからそんなに変わった気がしないじゃないですか。
少年B:
そうそう。そういうことを言うと年下の友達には「おじさんになった証拠だ」なんて言われるんですけど……。つらい。
今和泉:
でもね、これは実際そうなんですよ。1960年代、70年代は社会の「ガワ」が変わった時代なんです。たとえば洗濯機やクルマが普及して、住宅は長屋からマンションに変わった。街の八百屋さんや魚屋さん、お肉屋さんを回って買い物をしていたところに、スーパーマーケットが誕生した。
ほかにも、一部の限られた人だけじゃなく、半分くらいの人が普通に大学に行くようになったなど、わかりやすい変化が多かったんです。
少年B:
なるほど! そういう意味では、いま大きいのはハードよりもソフト面の変化かもしれませんね。テレビで受動的に受け取っていた情報をネットで能動的に取りに行く、というような。ほかにも、ゲームが大きく進化したので、子どもの遊び場も家の外から中へ……といった「行動の変化」は感じます。
今和泉:
そう。だから、もう1980年代にはほとんどの街でハードの進化は終わっているんです。ハードの進化の最後、バブル期に郊外で大規模宅地開発をしたのが、以前お話しした多摩ニュータウンです。あれも、大きく変わったのは1970年代でしたよね。
多摩ニュータウンの歴史を追う。古地図から見る街の移り変わりhttps://www.mapple.net/articles/original/14498/
少年B:
なるほど……。そして、現在もハードが進化し続けている数少ない街が渋谷、というわけですね。
渋谷の街はどう変わった?古地図から見る街の移り変わりhttps://www.mapple.net/articles/original/14041/
今和泉:
そういうことです。
日本が重工業で発展していたのが、いわゆる高度経済成長期(1954年〜1973年)ですね。しかし、物価が上がるとコストも上がる。アジアの工業力が成長して、日本の発展に陰りが見え始めてきた……という状況が見えるのが、この1985年の地図です。いわば、重工業成長の最後の姿ですね。
少年B:
この地図1枚でそんなことがわかるんですか!? じゃあ、さっそく見ていきましょう。
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