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大森周辺は日本一の海苔産地だった 【東京都大田区】

オフィス プラネイロ

更新日: 2023年11月24日

大森周辺は日本一の海苔産地だった 【東京都大田区】

こちらは1968年昭文社発行の大田区地図から抜粋した、平和島駅(京急電鉄)付近のエリアです。東側を走っているのは、首都高速道路羽田線と東京モノレールです。

モノレールは、東京五輪開催に合わせて、この4年前の1964年に開業しました。海岸部には、完成(1967年竣工)間もない埋立地「昭和島」がありますが、道路が未整備のようです。「昭和島二丁目」辺りの地図面には、何も無い空間が広がっています。

更に見ていきましょう。

都内最大の海苔漁協だった大森漁業組合

都内最大の海苔漁協だった大森漁業組合
1968年昭文社刊行 大田区地図より

産業道路のすぐ東側に「大洋漁業組合」の文字があります。
「大洋漁業組合」は誤植*で、「大森漁業組合(正式名称:大森漁業協同組合)」が正しいようです。
では、大森の漁業とは、どのようなものだったのでしょうか。

※現地取材、聞き取りにより確認

漁業記念碑 (筆者撮影)

現在、大森漁業組合の跡地は、区立の児童館になっています。その傍らに「漁業記念碑」なるものが建っています。
そこには、およそ以下のような内容が書かれています。※筆者が一部を抜粋・意訳しました

1682年、大森在住の野口六郎左エ門らが、幕府に願い出て海苔の生産を始める。
その後「浅草海苔」の中心的産地として、海苔養殖業の先駆者として業界の指導的役割を果たしてきた。
およそ300年もの長い漁業の歴史は、今後も続くと思われた。しかし1964年、東京湾埋立事業のため、やむなく漁業権を放棄するに至った。

ちなみに、碑文にある「浅草海苔」の名前の由来は、「浅草沿岸で採取したから」「大森で採取したものを浅草で製造販売したから」など諸説あるようです。

「先駆者」であった大森の海苔養殖業。その歴史を、少し振り返ってみましょう。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

現住所は地図雑学系ライター、本籍は地図実踏調査員。昭文社地図の現地調査歴15年以上の、自称「地理のプロフェッショナル」チームです。これまで調査・取材で訪問した市区町村は、およそ500以上。昭文社刊『ツーリングマップル』『全国鉄道地図帳』等の編集に参加しています。休日は、国内外の廃線、廃鉱など「廃」なものを訪ねる「廃活」、離島をめぐる「島活」中。好きな廃鉱は旧羽幌炭鉱、好きな島はサンブラス諸島(カリブ海)と大久野島。特技は「店で売ってる野菜の産地名⇒県名を当てること」。

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