柴又 帝釈天の門前町として発展した歴史
柴又には、古くから親しまれている「柴又帝釈天」(帝釈天題経寺)という寺院があります。「帝釈天」とは、インドの武神インドラが、仏教にとり入れられて守護神となったものだそうです。このお寺は、江戸時代初期に創建され、江戸後期になると、庶民の信仰を集めるようになりました。やがて参道には、門前町が形成されていったようです。
言い伝えによれば、江戸時代、寺の修理の際、帝釈天のご本尊が発見されています。その発見の日がちょうど「庚申の日」【注】でした。それが由来となって、ここ帝釈天では、この庚申の日に縁日が開かれるようになりました。この縁日は、「男はつらいよ」に登場しますね。この日には、今も周辺から多くの人が参詣に訪れています。
【注】庚申(こうしん・かのえさる)とは、十干十二支の60通りある組み合わせの一つ。庚申の日は60日毎に巡ってくる
残念ながらこの地図から読み取れませんが、帝釈天門前には、この当時(1968年)、参詣客を相手にした茶店やなどが軒を連ねていたようです。上記の地図にある帝釈天の「卍」文字から、柴又駅へ延びる道がその参道です。
「寅さん」の誕生する前の柴又は、このように「帝釈天」で知られた街でした。
縁日が開かれるお寺、小さな昔ながらの商店街、そして渡し舟。
これらのロケーションこそが、この地が映画の舞台に選ばれた理由のひとつ、といえるのではないでしょうか。
少し、時代をさかのぼってみましょう。
帝釈天の街に、かつて存在した風変わりな鉄道
こちらは、大正初期の柴又の地図です。
中央には、田園地帯が一面にひろがっています。また、北から南に流れる江戸川には橋は無く、代わりに「上矢切渡」「下矢切渡」という渡船場が見て取れます。
更に見ていくと、柴又から北の金町駅に向かって、ほぼまっすぐに鉄道が延びています。
そこには「帝釋人車鐡道」とあります。この「人車」とはいったい何でしょう。
実は、この「人車鉄道」、人がレールの上の 客車を、押して動かす鉄道のことでした。鉄道版の「人力車」という訳です。
「人車軌道」とも呼ばれ、明治時代に誕生しました。建設コストが安価であったため、昭和時代にかけて、全国に30線区ほど建設されましたが、時代とともに全て姿を消しています。
この「帝釈人車鉄道」は、金町駅~柴又間の約1.5㎞を結び、1899(明治32)年開業しました。地図の上部を東西に走る鉄道は、日本鉄道(現在のJR常磐線)です。その金町駅開業により柴又帝釈天への参詣客は増加していたようです。その客を取り込もうと計画されたのが、この鉄道でした。
運行する車両は、小さな車体 で、50両程あったそうです。車両を押す人は「押夫」と呼ばれていました。普段は1人で押していたようですが、帝釈天の庚申の日(縁日)には、集中した参詣客をさばくため、120人前後の臨時押夫が雇われ、2人で押していたそうです。このことから、当時の帝釈天縁日の賑わいぶりが、うかがい知れます。
その後、この人車鉄道は、路線拡張を計画していた京成電気軌道(現在の京成電鉄)に吸収される形で、1912年廃止されました。開通から10年少々の、短い歴史でした。人車鉄道の跡地は、ほぼそのまま京成の電車線(現在の京成金町線)に転用されています。
それにしても、この「人車鉄道」、坂路は、どうやって押し上げていたのでしょうか。押す人に危険は無かったのでしょうか。「乗務員の安全性」がどうしても気になってしまいます。
柴又の現在 今も映画の世界観に触れられる街並み
こちらは、現在の柴又周辺の地図です。冒頭の1968年の地図では目立たなかった「柴又帝釈天」が、赤字で、「著名観光地」として記載されています。この表記の変化は、「寅さん効果」により、帝釈天の知名度が大きく上がったためかも知れません。また、渡船「矢切の渡し」(下矢切渡)も健在です。この渡し船も、「男はつらいよ」に登場しますね。
帝釈天に隣接して、映画「男はつらいよ」の資料を展示する「葛飾柴又寅さん記念館」(1997年開館・2022年リニューアルオープン)があります。先にご紹介した「帝釈人車鉄道」の資料や、再現された客車も、ここに展示されています。
さて、今回は1968年の古地図から、柴又界隈のちょっとした歴史を紐解いてみました。映画の舞台の過去をたどると、思いがけず奇妙な鉄道に出会えました。
みなさんも「ちょっと昔」地図から、気になるあの映画の世界へ、小さな時間旅行に出かけてみてはいかがでしょうか。
【参考にした資料:葛飾区史 HP、柴又帝釈天HP、葛飾柴又寅さん記念館HP】
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<商品の概要>
◆収録されている都市地図の刊行年 「1968年」「1985年」「2001年」「2014年」
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
【筆者】オフィス プラネイロ
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現住所は地図雑学系ライター、本籍は地図実踏調査員。昭文社地図の現地調査歴15年以上の、自称「地理のプロフェッショナル」チームです。これまで調査・取材で訪問した市区町村は、およそ500以上。昭文社刊『ツーリングマップル』『全国鉄道地図帳』等の編集に参加しています。休日は、国内外の廃線、廃鉱など「廃」なものを訪ねる「廃活」、離島をめぐる「島活」中。好きな廃鉱は旧羽幌炭鉱、好きな島はサンブラス諸島(カリブ海)と大久野島。特技は「店で売ってる野菜の産地名⇒県名を当てること」。