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平維盛の妻「北の方」と「源のすけ」の歌をよみくらべる

歌人藤原俊成の孫である北の方は、『建礼門院右太夫集』の中に、いくつか歌が載っています。「安徳天皇は生きていた」という藤原経房の遺書に残した源のすけのものと比べてみましょう。

まず、源のすけの歌は、

織姫は秋の錦を織りなして 君がミそこそ霧はたちぬる

建礼門院右太夫と、平維盛北の方との贈答歌二首は、次の通り。

[維盛北方との贈答―あやめ]
成親の大納言の女君、権亮維盛の上なりし人は、しるゆかりありしもとより、薬玉おこすとて

君に思ひ深き江にこそひきつれど あやめの草のねこそ浅けれ
返し
ひく人のなさけも深き江に生ふる あやめぞ袖にかけてかひある

[維盛北方との贈答―紅葉]
三位中将維盛の上のもとより、紅葉につけて、青紅葉の薄様に

君ゆゑはをしき軒端のもみぢをも をしからでこそかくたをりつれ

かへし 紅の薄様に
われゆゑに君がをりけるもみぢこそ なべての色に色そへてみれ

ともに紅葉とかあやめなど、季節の植物に寄せて、こころを詠むという手法で、雰囲気も大変似ています。
また、すべて君と相手に呼び掛ける手法がつかわれていますがが、深刻な恋などではなく、言葉遊びに近い軽やかさと、色彩豊かな華やかさがあります。同一人の作品とみてもおかしくないのではないでしょうか。

もし、もの好きが作った偽作だとすれば、その人は歌を詠むだけではなく、『建礼門院右京太夫集』の平維盛北の方の歌を知った上で、それに似せて詠むことも出来た大変な才人ということになるでしょうが、そんな人がどこにいたのでしょう。北摂能勢にいたのでしょうか?いたとすれば、それはそれで大変興味を引くところではありますが。

平維盛の妻・北の方=源のすけ?!

藤原経房の遺書がほんものだとすれば、源の典侍も実在の人物のはずだと、冒頭の「源のすけみまかり給へり」を手がかりに、ここまで尋ねて来ました。源のすけを探しているうちに、(吉田)経房と再婚したという平維盛の「北の方」に出会いました。まさかと思いながらも、推理を積み重ねた結論は、「源のすけ=平維盛の北の方」ということになります。推理に飛躍はあるかもしれませんが、しかし、いまはそうとしか思えません。

著者:能勢初枝(のせはつえ)

【略歴】
1935年、岡山市に生まれる。岡山県立操山高校・奈良女子大学国文科卒業。結婚後、東京に約20年、途中札幌に3年間、さらに千葉県市川市に2年居住。夫の転勤で大阪府高槻市に移り約30年、夫の定年後岡山市に3年、その後兵庫県神戸市に移り現在も同市に在住。
【著書】
・『ある遺書「北摂能勢に残るもうひとつの平家物語』2001年発行(B6版218ページ)
・『右近再考高山右近を知っていますか』2004年発行(A5版277ページ)
・カラー冊子『歴史回廊歩いて知る高槻』(共著)2007年発行(A4変型版&ページ)

『ある遺書―北摂能勢に残るもうひとつの平家物語』を書いた時は、大阪府高槻市に住んでいました。高槻から能勢へは峠を三つほど越えますが、車で約一時間の道程です。
途中に大阪府茨木市の「隠れキリシタンの里」があります。ここの民家の屋根裏に隠されていた「あかずの櫃」(長い木箱)の中から、教科書などにも載っている「聖フランシスコ・ザビエル画像」や「マリア十五玄義図」を始め、数々のキリシタン遺物が出てきました。これは徳川幕府によるキリシタン禁制が厳しくなった1600年頃(家康の晩年)、弾圧を恐れて隠されたものだと思われます。発見されたのは大正9年(1920年)のことでした。
『経房の遺書』はその20年ほど前の「本能寺の変」(1582年)後に、竹筒に入れて屋根裏に隠されたのだと思います。こちらは江戸末期(1817年)に見つけられました。
キリシタン遺物は、重要文化財として広く認められていますが、『経房の遺書』は原物がなくなったとはいえ、いまだに正式には認められず日陰の運命を辿っています。
「キリシタンの里」と能勢地方は隣接しています。貴重なものを権力に知られないようにするために、天井裏に隠すというのはこの地方の、あるいはこの時代の風習だったのでしょうか。
いま改めて『経房の遺書』を讀み、やはり本物だろうという印象を強めています。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

【筆者】能勢初枝

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1935年、岡山市に生まれる。岡山県立操山高校・奈良女子大学国文科卒業。結婚後、東京に約20年、途中札幌に3年間、さらに千葉県市川市に2年居住。夫の転勤で大阪府高槻市に移り約30年、夫の定年後岡山市に3年、その後兵庫県神戸市に移り、現在は大阪市内に在住。
【著書】
・『ある遺書「北摂能勢に残るもうひとつの平家物語』2001年発行(B6版218ページ)
・『右近再考高山右近を知っていますか』2004年発行(A5版277ページ)
・カラー冊子『歴史回廊歩いて知る高槻』(共著)2007年発行(A4変型版&ページ)

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