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どうして羽田に可動橋?
さて、羽田可動橋に話を戻しましょう。
羽田可動橋は、東京都心と羽田空港や神奈川県を結ぶ、首都高速道路羽田線にあります。
そもそも、何故ここに、橋が建設されることになったのでしょうか。
この橋が計画された当時、この橋の直下には、既に、首都高速羽田線のトンネルが開通していました。しかし、このトンネル付近は慢性的な渋滞に悩まされていました。そこで、渋滞を軽減するため、このトンネルを経由せずに高速道路本線に合流できる、羽田空港方面からの入口として設置が検討されたようです。
簡単に言えば「トンネルの上に別ルートを作って、渋滞を緩和させる」という発想だったのでしょう 。
普通の橋ではなく「可動橋」として建設されたのは、先に述べた「水上交通と陸上交通とを両立」させるという理由からです。
当時この橋のある海老取川沿いには、鉄工所や工場などが立ち並んでいました。そして、資材輸送のため大型船の往来があったようです。つまり、船の通行に支障が出ない形で、橋を建設することが必要だったのです。
橋の特殊な構造には、羽田という立地が関係していた?
羽田可動橋の建設にあたり採用されたのが、先述の、橋桁が水平方向に回転する「旋回橋」方式です。
日本では他にあまり例がない特殊な形式で、天橋立(京都府)にあるものが知られています。
これが採用された理由は、すぐ近くに羽田空港があったことが関係しているようです。
飛行場周辺では、飛行機が安全に離着陸できるよう、高い建物が建てられません。橋桁が跳ね上がる跳開橋ですと、このルールに抵触する可能性が出てきます。一方、水平方向に回転する旋回橋なら、この高さ制限に収まりそうです。
つまり、航空機の安全な飛行に配慮する必要があったから、ということになります。
さて、はっきりした理由は分かりませんが、この橋はその後8年程度で運用を停止します。
考えられる理由のひとつとして、可動橋開通4年後に、首都高速湾岸線が開通したことが挙げられます。
この別ルートの開通によって交通が分散、羽田線の渋滞が解消されていったとすれば、この可動橋ルートの必要性は低下します。
つまり、渋滞迂回ルートとして使用されたが、渋滞解消により需要が無くなった、ということなのでしょう。
他にもあるぞ! 東京の可動橋
さて、可動橋は、東京都内に他にも存在しています。
ここで、その一部を簡単に紹介しましょう。
■ 勝鬨(かちどき)橋 (中央区築地・勝どき 1940年完成)
隅田川の河口付近に架かる国内最大級の跳開橋です。大型船の通行減少と自動車の通行増大等により、1970年を最後に開閉していません。 稼働していた当時の歴史は、橋のたもとにある「かちどき 橋の資料館」で知ることができます。ここでは橋内部見学ツアー(予約制)も開催されています。(※現在休館中・ツアー休止中)
■ アーバンゲートブリッジ (江東区豊洲 2006年完成)
勝鬨橋からほど近い商業施設「ららぽーと豊洲」にあります。かつてIHI(旧 石川島播磨重工業)の造船所があった場所で、施設内のドック跡を跨ぐように架けられています。(地図上で「水上バス発着所」のある所)。水上バスの発着時のみ跳ね上げられるようです。東京で開閉する可動橋を間近で見られるのは貴重かもしれません。(※現在、水上バス運休中)
羽田可動橋の今。 現在は「開かず」の橋ならぬ「開いたまま」の橋
さて、動かなくなった可動橋は、その後どうなったのでしょう。
こちらが現在の羽田可動橋周辺の地図です。稼働休止状態が長く続いているため、地図から削除されています。
橋の位置は、地図上の首都高速「羽田トンネル」のほぼ直上です。
2019年撮影の空中写真を見ると、橋は開いたままになっています。
8年程度でその設備が使われなくなった事が、「橋の稼働を間近で見たい!」と思う筆者には、少し惜しく感じられます。
羽田可動橋は、実際に外から自由に見学することが可能です。海老取川の堤防沿いは遊歩道があり、間近まで行くことができます。「稼働」しなくなった可動橋ですが、現物を見て旋回する様子を想像してみるのも一興です。一度足を延ばしてみてはいかがでしょうか。
さて、今回は、平成時代初期の地図から、ちょっと風変りな可動橋の短い歴史を振り返ってみました。
みなさんも「ちょっと昔」地図から、小さな時間旅行に出かけてみては如何でしょうか。
(参考とした資料:「可動橋一覧」の作成と近代可動橋の現在と評価【土木史研究 第12号 1992年6月 自由投稿論文】、大田区公式サイト、乗り物ニュースサイト、東京都建設局サイト、江東区内の橋めぐりサイト、東京の可動橋サイト)
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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
【筆者】オフィス プラネイロ
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現住所は地図雑学系ライター、本籍は地図実踏調査員。昭文社地図の現地調査歴15年以上の、自称「地理のプロフェッショナル」チームです。これまで調査・取材で訪問した市区町村は、およそ500以上。昭文社刊『ツーリングマップル』『全国鉄道地図帳』等の編集に参加しています。休日は、国内外の廃線、廃鉱など「廃」なものを訪ねる「廃活」、離島をめぐる「島活」中。好きな廃鉱は旧羽幌炭鉱、好きな島はサンブラス諸島(カリブ海)と大久野島。特技は「店で売ってる野菜の産地名⇒県名を当てること」。