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「水中で木は腐らないの?」 水中貯木の意外な長所とは?

「水中で木は腐らないの?」 水中貯木の意外な長所とは?
昭和40年代の貯木風景/PIXTA

ところで、水中で長く保管していて、木は腐ってしまわないのでしょうか?

結論から言えば、腐りません。そもそも、腐敗するには十分な「酸素」が必要なのですが、水中にはそれが無いからです。また、水中に保管した木は、乾燥した際にきれいに水分が抜け、良質の木材になるそうです。これも意外ですね。

実はもう一つ、水中貯木には、陸上に比べて大きな利点があります。これが、水中貯木が普及した最大の要因もかもしれません。

江戸時代では、陸上で木材を移動させるのは、すべて家畜か人力に頼るしか手段がありませんでした。現代なら重機を使えば簡単ですが、重量のある木を動かすのは、当時は大変な労力だったのです。

一方、これが水の上ならどうでしょう。水に浮かんだ状態なら、木を簡単に動かしたり、整理することが可能になります。
つまり、大きな利点とは「木材の移動が楽!」ということなのです。このような利便性から、水中貯木場は、海や河川に近い場所に数多く設置されていくことになりました。

では、どのような経緯で、ここ深川に、この水中貯木場が集まるようになったのでしょうか。

深川木場誕生のきっかけは、意外? な理由でした

江戸の木場の歴史は、徳川家康が江戸幕府をひらいた頃に始まります。

江戸城や大名屋敷など新しい街の建設には、大量の木材が必要でした。当初は現在の日本橋付近に、材木商と木置き場が集められていたようです。
しかし、度重なる江戸の大火災で、これらの材木が延焼の原因とされてしまいます。この当時の木材は「水中」ではなく、主に「陸上」に大量に保管されていたようです。このため、ひとたび火がつけば、大規模火災の要因となりかねませんでした。「江戸の中心部に陸上の木置き場があると、火事のとき危険だ」という訳です。

そのような背景があって、この「木置き場」は、江戸の中心から離れた水中保管できる場所へ、移転を余儀なくされます。いくつかの移転ののち、現在の江東区木場付近に落ち着きました。これがかつての「深川木場」です。1701(元禄14)年のことでした。

やがて、江戸の街の人口膨張、産業発展ともに、木材の需要は増加していきます。
それに伴い、深川木場は発展を遂げていきます。明治維新以降、江戸が東京となってからも、250年以上もの間、東京の木材需要を支えて続けてきました。

「木場」移転の理由とは? 跡地はどうなった?

やがて、時代が大きく変わり、第二次世界大戦後、東京で急速な都市化が進行します。それに伴い、木場も大きな転機を迎えます。問題となったのは以下のような点でした。
・都市化による過剰な地下水の汲み上げが原因で、地盤沈下問題が起き、貯木場の機能を低下させた
・用地不足により、需要拡大に合わせた貯木場の拡大が難しくなった
このため、1958(昭和33)年、新たな場所に木場を建設すべく「木場移転協議会」が設立されました。その後様々な問題を乗り越え、最終的に、1981(昭和56)年、木場は埋立地への移転が完了します。

2021年発行 区分地図 江東区/昭文社 より

これが、現在の「新木場」(江東区新木場)です。この名称は有楽町線の終点駅名でも採用されていますので、目にする機会も多いですね。地図では「14号地貯木場」となっています。

1969年発行 区分地図 江東区/昭文社 より

ちなみに、冒頭でご紹介した地図では、「更地」の状態です。周辺の道路も未完成のようですね。激変ぶりには驚くばかりです。
おそらく、この50年間で、東京で最も変化した場所は、この湾岸エリアでではないでしょうか。
では一方の「旧」木場の跡地は、現在どのようになっているのでしょうか。

2021年発行 区分地図 江東区/昭文社 より

昔の地図でお見せした「水路」は、公園として生まれ変わりました。「都立木場公園」(1992年開園)です。園内には、東京都現代美術館を併設しており、多くの人が訪れる名所になっています。

見比べてみると、貯木場は完全に埋め立てられ、貯木場内の橋のいくつかも無くなっています。一方で「崎川橋」「末広橋」などは、当時と変わらない位置に、現在も存在していることがわかります。

2021年発行 区分地図 江東区/昭文社 より

また、ご紹介したもう一つの「東京営林署 猿江貯木場」は、同じように「猿江恩賜公園」として再整備されています。

都心に近い場所で、これだけ広大な緑は貴重ですよね。これらの公園は「深川木場の歴史が残してくれた遺産」とも言えるかもしれません。

「ちょっと昔の地図」が古地図さんぽには「ちょうど良い」!?

古地図を読み解く楽しみのひとつ。それは「今との比較」を楽しむことです。

古地図を通して、昔と今を比べれば、大きく変化したものもあれば、変わらずそこにあるものあります。
街の変貌に驚き、往時の痕跡を見つけてほくそ笑む・・・この2つの感情のバランスが、古地図の読み解きの醍醐味ではないでしょうか。

さて、今回気が付いたことは、半世紀前の地図の「ちょうど良さ」です。

江戸の古地図を現在と比べると、当時の面影が全く無くなっていて、がっかりすることもあります。一方、半世紀前の古地図なら、街の変化もあり、当時の痕跡も残っています。街の「変化したもの」と「変化しないもの」の両方を程よく楽しむことができるのです。それが「ちょうど良い」古さ、なのです。

みなさんも、この程よい加減の「ちょっと昔」地図から、小さな時間旅行に出かけてみては如何でしょうか。

(参考とした資料)東京木材問屋協同組合ホームページ

1969(昭和44)年はどんな時代?

<出来事>
・アポロ11号・人類初の月着陸
・東名高速道路全通
・東大安田講堂占拠事件
・キャッシュディスペンサー(今のATM)日本第1号が大阪梅田・東京新宿に登場
・地下鉄東西線東陽町~西船橋開通
<流行語>
・あっと驚くタメゴロー
・オー、モーレツ!
<テレビ・音楽>
・テレビアニメ「サザエさん」放送開始
・ヒット曲:夜明けのスキャット(由紀さおり)/港町ブルース(森進一)/ブルーライト・ヨコハマ(いしだあゆみ)

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昭文社が刊行してきた都市地図には、道路や鉄道、河川など街の骨格となる情報はもちろん、町丁名や地番、学校・役場などの公共的施設から、住宅団地やアパート、スーパー・デパート、工場や倉庫などの民間施設まで豊富に掲載してきました。収録内容も時代とともに変化するなど、地図はその時々の景観や暮らしが垣間見える「街の記憶」でもあります。

この商品は昭和40年代以降に出版した大判の都市地図から、時代の変化がわかる4世代の地図を選出・複製し、どこでも手軽に利用できる電子書籍として編集・構成したものです。

銭湯や映画館、銀行や郵便ポストなど生活密着の情報から、住宅団地の整備、工場跡地の再開発まで、様々な街の様子や移り変わりを地図から読み解きつつ、昭和から平成に至る社会の変化と合わせて時間を辿ってみてはいかがでしょうか。

<商品の概要>
◆収録されている都市地図の刊行年 「1968年」「1985年」「2001年」「2014年」

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

現住所は地図雑学系ライター、本籍は地図実踏調査員。昭文社地図の現地調査歴15年以上の、自称「地理のプロフェッショナル」チームです。これまで調査・取材で訪問した市区町村は、およそ500以上。昭文社刊『ツーリングマップル』『全国鉄道地図帳』等の編集に参加しています。休日は、国内外の廃線、廃鉱など「廃」なものを訪ねる「廃活」、離島をめぐる「島活」中。好きな廃鉱は旧羽幌炭鉱、好きな島はサンブラス諸島(カリブ海)と大久野島。特技は「店で売ってる野菜の産地名⇒県名を当てること」。

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