更新日: 2024年12月3日
応永の外寇~対馬に朝鮮軍が押し寄せ元寇以来の対外戦争が勃発!
倭寇の襲撃を受けた李氏朝鮮は、その報復として倭寇の根拠地とされる対馬攻撃を行います。対馬の島民も反撃に出て撃退に成功しましたが、大きな遺恨を残すことになりました。
【要点はココ!】
◎倭寇の襲撃に激怒した李氏朝鮮が報復として対馬へ攻めてきました。
◎対馬島民の反撃で朝鮮軍を撤退させたものの、その被害は大きかった。
◎日本の外国勢力への警戒心が強まりました。
応永の外寇とは朝鮮軍による対馬攻撃により勃発
外国勢力による日本に対する襲撃といえば鎌倉時代の元寇が思い浮かびますが、室町時代の1419(応永26)年にも応永の外寇(がいこう)と呼ばれる朝鮮軍による対馬攻撃がありました。
伏線となったのは1419(応永26)年5月に行われた倭寇(わこう)の朝鮮襲撃です。当時、朝鮮半島や中国の沿岸部を襲って略奪などを繰り返していた倭寇は、李氏朝鮮の庇仁県(ひじんけん)や海州(かいしゅう)を襲撃し、現地の住民を殺害したり、捕虜として連行したりしていました。
これに対し、李氏朝鮮は同年6月に倭寇の拠点である対馬を227艘の船団で攻撃。朝鮮の軍勢は対馬に上陸するやいなや、船や家々を焼き払い、島民を殺害、さらに捕虜となっていた自国民を救出したのです。
朝鮮軍による対馬攻撃
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!