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前橋や高崎ほか二転三転した群馬の県庁所在地

明治政府による廃藩置県で、第1次群馬県が誕生したのは明治4(1871)年のこと。県庁は高崎城下に置かれました。ところが明治5(1872)年には高崎城が兵部省の管轄下に置かれることになり、県庁は前橋城に移ります。

さらに明治6(1873)年になると、群馬県は入間県(いるまけん)と合併し熊谷県(くまがやけん)となりました。県庁が置かれたのは、現在の埼玉県熊谷市です。このときに前橋に支庁が置かれましたが、すぐに支庁は高崎に移転しています。

明治14年に前橋市が県庁所在地に正式決定

明治9(1876)年になると第2次群馬県が誕生。県庁は高崎の安国寺(あんこくじ)に置かれました。ですが執務をするには手狭だったため、県トップである県令・楫取素彦(かとりもとひこ)が、前橋城への移転を政府に提案。5年後の明治14(1881)年に正式に前橋への県庁移転が決定されました。

前橋市への県庁移転に反発した高崎市民

このときの移転は大いに揉めました。移転に激怒した高崎の人々が抗議活動を展開。デモ行進にまで発展したため、県は軍への出動要請を検討したほどでした。市民たちは行政起訴にまで持ち込みましたが明治15(1882)年に敗訴。以降県庁は前橋にあり続けています。

叶わなかった高崎市の県庁誘致活動

もし県庁の前橋移転の理由が県令の意向だけだったのであれば、高崎に巻き返しのチャンスはあったかもしれません。ですがそうなりませんでした。前橋の人々が当時最先端の生糸産業を背景に、地元のさらなる発展を夢見て県庁の誘致活動を推進したからです。

前橋市が県庁所在地に選ばれた理由

明治初頭からの前橋の繁栄を上毛かるたは「県都前橋生糸(けんとまえばしいと)の市(まち)」と詠んでいます。文明開化間もない前橋は生糸の生産地であるばかりでなく、群馬や長野でつくられた生糸を、開港したばかりの横浜港へ運ぶ物流の中継地でした。

その生糸輸出で財産を成した実業家の1人に下村善太郎(しもむらぜんたろう)という人物がいました。彼をはじめとする前橋の商人たちは、県庁設置が前橋の発展につながると考え、誘致活動を開始。県令と交渉しつつ、げんこつが飛ぶほどの激論を重ねました。そして最終的に下村自らを含む25名の商人が、官舎建設費など3万両を負担することを決定し、誘致にこぎ着けました。この熱意があったからこそ県庁は前橋に来たのでした。

前橋vs高崎は今も競い合いが続く

県庁をめぐる争いから1世紀以上経た今も、腹に一物を抱え合う両市の関係は続いています。

平成の大合併では人口を競い合うようにお互いが周囲の市町村を吸収していきました。結果として、両市ともに倍以上の面積となり、現在は高崎の人口が前橋の人口を抜きました。前橋と高崎が合併すれば政令指定都市入りが視野に入りますが、そうはなりませんでした。

平成の大合併前と現在の前橋市と高崎市

平成の大合併前と現在の前橋市と高崎市

合併前の人口は前橋28万人で高崎24万人。2004~2006年にかけての合併で、両市とも30万人を超えました。

前橋と高崎は人口だけでなく野球や建物の高さでも火花が

前橋対高崎の直接対決があるのは年に1度のことです。県下で1、2位を争う男子進学校、前橋高校と高崎高校がスポーツ交流大会という名の代理戦争を繰り広げるのです。種目は水泳、駅伝、綱引き、野球、柔道など多岐にわたり、負けて悔しさのあまり涙を流す熱血漢もいるといいます。

涙を拭くため空を見上げると、高崎市にそびえるのは1998年竣工で高さ102.5mの市庁舎。一方で前橋市には、1999年竣工で153.8mと県内一の高さを誇る県庁舎が鎮座。町のシンボルの高さ対決では前橋市に軍配があがりますが、駅ビルと駅前は圧倒的に高崎の方が栄えています。

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