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徳川発祥の地も徳川埋蔵金も群馬にある!?~群馬と徳川家のつながり~ 徳川美術館

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年11月25日

徳川発祥の地も徳川埋蔵金も群馬にある!?~群馬と徳川家のつながり~

江戸幕府を開いた徳川家康。
実は群馬には徳川氏の始祖の地があったり、家康が眠る日光東照宮の奥社が移築されていたりと、徳川家と深い関わりがありました。

徳川発祥の地といわれる群馬県世良田町と徳川町ってどんな町?

天下の大将軍・徳川家康といえば、愛知県の三河国を思い浮かべる人が多いと思いますが、実は群馬県太田市内の世良田町(せらだちょう)や徳川町(とくがわちょう)が徳川氏発祥の地といわれています。

地名にも残るように、かつて徳川町周辺は「徳川郷」と呼ばれており、徳川氏発祥の地として近世では特別な待遇を受けていました。家康自身も「わが遠祖は、上野国新田の一族徳川氏である」と、徳川郷を祖先の地と公言しています。家康は、徳川氏の祖は上野国新田郡一円(現・太田市の西部)を支配していた、清和源氏の流れを組む新田氏であると主張し、征夷大将軍になったのです。

徳川の発祥は世良田町と徳川町を開いた新田氏から

平安時代、武将・源義家が東国(関東)に基盤を築くと、義家の四男・義国がその長子・義重とともに関東へ下向。源義重は「新田の庄」を開き、新田氏の祖となりました。仁安 3(1168)年、新田義重は「世良田」など6か郷の開拓の地を四男・義季(よしずえ)に譲ると、義季は現在の太田市徳川町にあたる、「上野国新田郡世良田荘徳川郷」に移住。そこで、徳川(得川)と改称し、徳川義季と名乗るようになりました。つまりこれこそが、徳川氏の発祥であるといえます。

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